今年も妙な企画が持ち上がったらしい。
その名も、電王戦合議制マッチ。
例によって例のごとく、森下と一緒に長い夜を過ごしましょうという話である。(笑)
詳しいルールはまだ決まっていないが、人間対コンピュータの3対3の合議制の対決となる。
人間側の代表はご存知森下で、他2名はまだ決まっていない。
コンピュータは、ponanza、nozomi、大樹の枝。
技巧などという、16位で予選を敗退したような弱いソフトは参加することは出来ない。(笑)
この発想自体は、実は前にもあった。
コンピュータ3台で、お互いに弱点を補いあうというのが、あからの時に試されて効果があることが確認されている。
しかし、人間の場合は、プロ棋士は自分の考えを曲げないので、話がまとまらずかえって弱くなるのではないかという話だった。(笑)
まあ、そこは残りふたりの人選次第となる。
それと、継ぎ盤を使うことに抵抗がない人物を選ぶ必要がある。
コンピュータ側の指し手は自動的に選択される。
3者一致ならもちろん、その手。
2対1なら、2者一致の手。
3者不一致なら、ponanzaの手。
ここでの問題は、ponanza1台とコンピュータ3台では、本当にコンピュータ3台のほうが強いのか、ということである。
ponanzaの指し手が、他の2台が一致した指し手と違った場合、その選択でいいのかどうかということになるが、ドワンゴのことだから事前にチェックはするのだろうと思う。
3台の合議制がponanza1台と対戦してどのくらいの勝率なのか、そのデータは公表されると思う。
普通に考えればコンピュータのほうが強いに決まっているのだが、なにせ森下は前回ツツカナに曲がりなりにも勝っている。
まだまだ人間はやれるのか、それとももうすでに何をやっても歯が立たないほどの差がついてしまったのか。
もうすぐ、その答えが出る。
中川の目の前で、村井はDFを井上に渡し、井上は上九を出ていった。
中川も村井もワークが忙しかったため、DFはしばらく井上に預けられたままとなっていた。
ここが中川と井上の証言に食い違いがある部分である。
3月18日、DFは上九に戻り、村井から中川に渡される。
ジーヴァカ棟でサリン製造が行われることになり、遠藤はその薬品が本当にDFかどうかの検査を土谷に依頼、土谷もサリン製造に加わる事となる。
1993年に、DFとIPAからトリエチルアミンを塩基として使い、サリンの合成に失敗していたので、中川と遠藤はDCなしではサリンの合成は出来ないと考えていた。
そこで土谷が考案したのが、DEAを塩基として使用する方法だった。
世の中に知られているオウムにおけるサリンの合成方法は、実は地下鉄サリン事件の2日前に初めて試された方法だったというのは興味深い。
処分しきれずにDFが残ってしまった事にしても、2日前になってようやくDEAを塩基として使用する方法が確立された事にしても、ギリギリのところで事件が起きる方へ事件が起きる方へと向かって行っているように見えるのは僕だけだろうか?
土谷がDEAを使った理由は、第7サティアンのプラントでTMPを製造するためのものであり、まだ残っていたからである。
それともうひとつ。
土谷は1994年のVX製造における反応過程で、DEAを塩基として用いて酸を中和させていたのだ。
こうやって、不純物の多い2層に分離した茶色いサリンが、溶媒のヘキサンを合わせて約5L合成された。
まあ、これも素人にはよくわからない数字になっている。
DFが1L、純度35%のサリンが約5L。
小学校の算数を使うなら、純度が35%なら、生成物はおそらく約3Lになるはずである。
逆に、生成物が5Lなら、生成されたサリンの純度は20%になるはずである。
純度35%が5Lというのは、どう考えても計算が合わない。
中川の手記によって、オウムにおけるサリン製造の過程がかなり詳しいところまで分かってきたが、それでも後から後から疑問が沸いてくる。
これは、2層に分離したサリンが、茶色い層と透明な層でかなり濃度が違ったという事なのではないだろうか。
どちらの濃度が高かったのかは分からないが、濃度の高いサリンが撒かれた現場では被害が大きく、そうでなく濃度の低いサリンが撒かれた現場では死者が出ていない。
そういう結果になったということなのかもしれない。
ということになると、使われた凶器の殺傷力にかなりの違いがあった事になる。
まあ、裁判はとっくの昔に終わってるんだけどね。
新聞報道を見て、幹部たちはすぐにでも上九に強制捜査が入ってくると考えた。
第7サティアンではまだサリンは完成していなかったが、土谷棟で作ったサリン、VX、DC、DFなどを処分し、全身防護服を焼却した。
この時、運命のいたずらとでもいうべきことが起こる。
なぜ、そんな事になってしまったのだろうと思う。
教団は、全ての毒ガスを処分するつもりだった。
しかし、全ての処分が終わったと思って、全身防護服を焼却した後に、処分漏れのVXとDFが出てきたのである。
防護服なしでは、危険すぎて毒ガスの処分は出来ない。
そして、この時のDFによって地下鉄サリン事件が起きるのである。
この時、完全に処分出来ていれば、地下鉄サリン事件は起きてはいない。
オウムは毒ガスを作る能力を失い、もう一度初めからやり直すには数か月を要したはずだ。
この経緯を見ると、まるでそうなることが始めから決まっているかのように、人間の思惑とは関係なく地下鉄サリン事件が起きているかのようにすら思える。
1995年1月、アンソニー・トゥーの協力により、警察は上九の教団施設周辺から、サリン関連物質であるメチルホスホン酸を検出する。
メチルホスホン酸はそれ以上は分解されにくく、しかも自然界には存在しない。
従って、この時点で、オウムがサリンを製造している事が確定的となった。
新聞でこの記事を見た時は、まさに衝撃だった。
サリンなどというものが、本当に日本に存在した。
まさか、そんな。という思いだった。
オウムがサリンを作っていたという事なのか?
しかし、これは、自分たちが毒ガス攻撃を受けているというオウムの主張と矛盾しない。
様々な考えを巡らせながら、最悪の事態を想定し、恐ろしく気分が落ち込んでしまった。
サマナたちは、おそらくこの新聞記事を見ることは出来なかったのだろうと思う。
事件発覚後に、サマナたちを襲った全てが崩壊するような衝撃は、想像に難くない。
しかし、外にいてこの新聞記事を目にしていた僕にとっては、地下鉄サリン事件発生の段階で、何が起こっているのかを理解することはさほど難しくはなかった。
