
教義には矛盾はない。
ただ、解脱するまで理解出来ないだけだ。
しかし、方便には矛盾がある。
そして方便は教義とも矛盾する。
それだけならまだいいのだが、方便につられて修行を始めた場合、方便と教義とのギャップを乗り越えられずに挫折する。
そして、教義を攻撃するようになってしまう。
それなら初めから方便など説かずに教義だけを説けばいい。
これを麻原は、相手が理解出来ようが理解出来まいが、ひたすら真理の法則を説く、と言った。
あとは信じるか信じないかだけ、実践するか実践しないかだけである。
元々救済とは解脱だけである。
そして、修行をした者だけが解脱する。
したがって、他人を救済することなど出来ない。
何度も書いているように、ポアなど不可能だ。
これが教義であり、教義が理解出来て初めて、なぜ事件が起こったのかが理解出来る。
自分が修行して解脱する。
これがヒナヤーナである。
では、マハーヤーナの救済とは何なのか?
それは修行法を伝えることしかない。
他人には他人の自由がある。
修行をしない他人を救済することなど出来ない。
そもそも麻原が説いていたのは、世の中を変えることは出来ない。
しかし、修行によって自分を変えることは出来る。
という事である。
したがって、他人を変えることは出来ない。
変えることが出来るのは自分だけである。
これが教義であり、これに矛盾するもの全てが方便であるといえる。
そして、オウムの教義と呼ばれているもののほとんどが方便である。
この大量の方便の中から、宝探しのように教義を見つけ出し、そこで観念の崩壊を起こさせるのがタントラヤーナの修行である。
中学生対ひふみんの対局の棋譜を調べてみた。
結論から言ってしまうと平凡だな。
正直、がっかりした。
単にひふみんが弱かったから負けただけ。
そんな感じ。
8五飛はそんな不思議な手には見えない。
確かに、ひふみんから5四歩と打って攻めてくるのが見えているが、自分から歩を打って守るのは謝る格好でプロなら嫌う手だ。
それなら手番を生かして攻めの手がかりを残しておき、ひふみんに歩を打たせてそれを取り歩切れにさせるのが大きい。
そして実際に、この歩得・駒得で中学生がリードしたまま終盤を迎えている。
羽生も渡辺も、その他のプロ棋士も、8五飛に驚いたなんてどうかしている。
それよりも問題は83手目の6四角打。
これがひふみんの敗着だろう。
ここは6一角と飛車取りに打って、飛車が逃げたところで3四角成りと玉頭から迫れば、まだ勝負はどうなるか分からなかったのではないだろうか。
しかし、ひふみんもどうかしているな。
8六桂と打たれたところで、素人目にも勝負はついている。
そこから先、プロが寄せを間違うはずがない。
まあ、今後の対局に期待するしかない。

