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とある、2月14日の夜。

 

 

スーパーで、1パック98円の卵を買ってレジに並んでいると。

 

前に並んでいた爺ちゃんが、買い物かごに入れずに、商品を台の上に直接置いていた。

 

 

まあ、かごの中に入っていないから、それが何であるかが一目瞭然ということなのだが。

 

 

そこには、3つの品物があった。

 

値引きシールの貼られたお弁当。

 

500mlのペットボトルのお茶。

 

 

そして、明治の板チョコが1枚。

 

 

何か、見てはいけないものを、見てしまった気がした。(笑)

エゴを滅する実践、すなわち我を滅する実践が修行である。

 

繰り返すが、無我は我、非我も我だが、真我は我ではない。

 

我が真我になるのではない。

 

我がなくなった後に残るのが真我である。

 

そして、我が消えてなくなるのを見ているのが、純粋観照者たるプルシャである。

 

が、しかし、プルシャは真我そのものではない。

 

 

で、ここまでの事を最初に理解してから、修行を始めるべきである。

 

当たり前の話だが、解脱とは何かを知らずして、修行とは何かを知らずして、いったい何をどうしようというのだろうか。

 

一般的な話として、目的を達成するために必要なのは、そのための正しい方法を知る事と、そのために必要十分な量の努力である。

 

しかしそれ以前に、自分の目的が何なのかを正しく理解しておく必要がある。

 

 

理解出来ずに修行を始めてしまうと大変な事になる。

 

なぜなら、修行が進めば進むほど、現世が崩壊しどんどん不幸になるからだ。(笑)

 

我、つまりエゴが喜ぶのが、現世が豊かになり貪りを増大させることである。

 

その真逆が修行者が進む道。

 

 

さあ、唱えるがいい。

 

「自己の苦しみを喜びとし、他の苦しみを自己の苦しみとする。」

去年はやったアドラー心理学を元にしたドラマらしい。

 

まあ、嫌われるのに勇気は必要ないだろうな。

 

オウムなんて、勇気とは関係なくめっちゃ嫌われてるやん!(笑)

 

 

承認欲求がなんたらかんたら、束縛されて自由になれないとかなんとかかんとか。

 

まるで信徒向けのレベルの低い説法のようだ。

 

ようするにアドラー心理学とは、ほどほどにオウムの実践を行うという結論になるのだろうか。

 

ほどほどは良くて、全力はダメ。

 

そんな相対の世界に解脱はない。

 

 

修行者にとってはアドラーよりもワンパンマンの方がよっぽど役に立ちそうだ。

 

世の中から評価されることもなく、金になるわけでもない。

 

趣味でヒーローをやっている男。

 

人間界には存在しない、意識堕落天のようなヒーローがそこに存在する。

 

 

ヒーロー、

俺を称える声や 喝采なんて欲しくはないさ

 

ヒーロー、

ならば揺るぎなき覚悟したため、繰り出せ鉄拳

 

さあ、闘(や)ろうぜ!(笑)

 

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