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ギャラリーの投稿数が100を超えた。

 

まあ、最初に比べれば多少は上手くなったという実感はある。(笑)

 

 

目的を達成できない場合、その理由は主に二つである。

 

ひとつは努力の方法が間違っている場合。

 

もう一つが、努力の絶対量が足りないという場合である。

 

 

独学で試行錯誤を繰り返しているので、努力の方法が正しいのかどうかは分からない。

 

まあ、そこは才能のない身の悲しさである。

 

しかし、現時点において、努力の絶対量が足りないという事ははっきりしている。

 

なので、しばらくは地道に努力を続けるしかあるまい。

 

 

1000枚も描けば、創作活動を始めるだけの基礎力は、十分身に付くだろう。

 

まあ、よほどの天才でもない限り、その程度の努力は最低限必要なはずだ。

 

 

最近見たイラストレーターの話では、学生時代の課題が毎週50枚のスケッチを提出することだったそうだ。

 

また、芸大を受験するような連中は、芸大というのは日本で最も合格するのが難しく、東大など比較にならないのだが、早ければ中学から遅くとも高校入学と同時には、毎日5、6時間絵を描き続けている。

 

その積み上げた紙の厚さが数十センチにも及び、その上で2浪、3浪しても合格するかどうか分からない、そういう世界だ。

 

 

なので、とりあえず最終解脱、じゃなくて、とりあえず1000枚描こう。(笑)

 

 

智慧のある修行者ならば、言葉によって真理を悟ることが出来る。

 

智慧のない者には、絵でも描いて見せるしかあるまい。

 

そういうことだ。

ついでに書いておこう。

 

何のついでなんだ?

 

っていう話ではあるが。(笑)

 

 

智慧は知恵とは違う。

 

同じなのは音だけである。

 

智慧は仏教の専門用語であり、日常会話で使われる言葉ではない。

 

 

まあ、これは他の言葉で考えてみればすぐに分かる事だろうとは思う。

 

例えば、量子力学という言葉の意味を知りたいと思ったら、それはやはり物理学者に聞くべきだろうと思う。

 

たとえそうでなくても、少なくとも科学者、または多少なりとも科学を知っている者に聞くべきである。

 

 

その量子力学の意味を、文学者に聞いたところで所詮は素人、まともな答えは期待出来ないということは理解出来ると思う。

 

ところが、これが智慧になると、とたんに素人の文学者に聞いて、それで満足してしまうのは、何とも不思議である。

 

まあ、オウムの教義に関しては、これよりもっとひどい事になっているのではあるが。(笑)

 

 

オウム真理教の教義においては、知性を3つに分類している。

 

これは3つの段階と言い代えることも出来る。

 

それは、知識、知能、智慧である。

 

 

知恵というのは、生活の知恵やお年寄りの知恵という言葉から分かるように、知識の事である。

 

そして、知能が思考、智慧が理解である。

 

量子力学という言葉で考えてみると、誰でも見たことはあると思うがそれが何なのかと思考することはない。

 

ましてや理解など、ほとんど不可能である。

 

 

もちろん人間界において最も大切なのは知識であり、受験にせよ資格試験にせよ、記憶で全てが決まると言っても過言ではない。

 

思考が必要になるのは、十分な記憶の後であり、理解が必要になることなどほとんど無い。

 

 

ところが、修行者においては、これが全く逆になってしまう。

 

最も大切なのが智慧であり、知識など修行には何の役にも立たないのだ。

 

まあ、智慧と知恵が全然違うものだという知識は、持っておいた方がいいかもしれないが。(笑)

ついに野球にもAIの波が押し寄せてきた。

 

http://www4.nhk.or.jp/zuno-san/

 

300万球を超えるデータをディープラーニングで学習し、結果を予測する。

 

その名は、電王手さんならぬ「ZUNOさん」。

 

 

まあ、時代の流れはそういうことなんだろうなあ。

 

ニコ生での将棋の放送が面白いのは、評価値と指し手の予測が表示されているからだ。

 

これなら将棋を知らない人でも、対局の面白さを堪能出来る。

 

 

これに対して、囲碁の放送が面白くないのは、単に対局を流しているだけというところにある。

 

当然に野球においても、評価値と予測が画面に出るのであれば、野球をよく知る人もよく知らない人も、みんながより楽しめるようになるはずだ。

 

これぞ、人類とAIの共存だ!(笑)

 

 

将棋との決定的な違いは、そのデータ数の差。

 

野球の場合データ数が300万個なのに対して、将棋の場合はPONANZAの解析データ数は80億を超える。

 

まあ、ここが頭脳労働と肉体労働との差という事になる。