法友(とも)へ -610ページ目

法友(とも)へ

ブログの説明を入力します。

日曜日の新聞の真ん中あたりに、新刊書がいくつか紹介されている。

 

その中に興味深い一冊を見つけた。

 

 

「中動態の世界」

 

これがその本のタイトルである。

 

自分の責任だと思う人は能動。

 

他人のせいだと思う人は受動。

 

現代人は「能動/受動対立世界」のなかにどっぷり漬かっているために、自分を責め、他人を責め、息苦しい日々を送っている。

 

 

本当はどちらだと断定することなど出来ないのだが、責任の所在をはっきりさせなければならないという観念に取りつかれてしまっている。

 

しかし、古代ギリシャをはじめかつての多くの言語には、能動態でも受動態でもない「中動態」というものがあり、当時は意志や責任という概念もなかったという。

 

面白い。実に面白い!

 

これこそまさに、自と他の区別をなくすではないか。

 

 

日本語もかつてはそうであり、能においては「思い出」という考え方を取る。

 

思い出とは、身体に宿った思いが外に出てくる事を言う。

 

そのあふれ出る思いを止めることは出来ない。

 

その思いによって人は狂気となり、思いが鎮まれば狂気もやむ。

 

そこには、善も悪もない。

 

 

こういう本こそ。現代人に必要なのではないかと思う。

シヴァ神の系統なので、果物好きである。

 

夏の果物と言えば、やはりスイカ。

 

スイカに塩をかけて食べるのは、水分と塩分を同時に補給することが出来て、味覚を刺激するだけでなくとても合理的である。

 

 

なのだが、スイカ丸ごと1個ということになると、結構なお値段である。

 

かといって、切り売りは割高になってしまう。

 

どうしたものかと考えてみても、経済的に豊かになるわけでもない。(笑)

 

 

そこで出した答えが、スイカを自分で栽培するというものであった。

 

まあ、この辺が元オウムの悪い癖、人件費を0円で計算してしまう。

 

手間を考えるなら、絶対に買ったほうが安いのだ。(笑)

 

 

で、無謀にもプランターでスイカを栽培することにして、種を撒いてみたのだが、最初は一向に発芽する気配がない。

 

まあ、当たり前っちゃあ当たり前で、スイカは高温を好む植物である。

 

気温が低くては発芽などするはずもない。

 

 

スイカの種一袋のうち、どうにか発芽したのはひとつだけ。

 

それも6月になってからだった。

 

その後もまともに成長することもなく、大玉スイカなのにゴルフボール大の実が一つなっただけに終わった。

 

なんて悲しいんだ。なんて悲しいんだ。

 

 

2年目は大玉スイカは諦めて小玉スイカを栽培することに。

 

今度は加温して発芽率ははるかに向上。

 

テニスボール大やソフトボール大の実をいくつか収穫することに成功した。

 

かなり進歩したぜ。

 

なんて素晴らしいんだ!なんて素晴らしいんだ!

 

(続く)

自分は悪業を積み死刑になる。

 

そして、教団は崩壊する。

 

地下鉄にサリンを撒くことでそうなるということが理解出来た段階で、選択肢はいくつか存在する。

 

 

教団を崩壊させることがグルの意思なのだから、グルの意思通りに地下鉄にサリンを撒く。

 

これがまず、一番最初の選択。

 

 

まあ、その選択をしたところで、グルがなぜ教団を崩壊させようとしているのかが分からないだろうなとは思うが。

 

そこから先は自分の頭で考えるしかない。

 

この、自分の頭で考えるという事が、オウムのワークでひたすらやらされたことである。

 

脳みそに汗をかくほどに考えに考えて、正解を導き出したとき、麻原から智慧ある者として認められる。

 

 

素直にグルの意思に従うという事を選択しなかった場合でも、その先はまたいくつもの選択肢が存在する。

 

ところで、殺されるのが怖いから指示に従うというのは、全く情けない話だという事は理解出来ていると思う。

 

実際に、教団に逆らって殺された人は何人もいる。

 

殺されるのが怖いからというのが理由であったとしたら、そんな者は凡夫・外道と見下していた人達以下であり、到底修行者と呼べるものではない。

 

かく言う元R師も、教団を離れるにあたって麻原と話をしたとき、死ぬ覚悟はしていたのだから。

 

てか、そもそも、出家するときに遺書を書いてるだろ。(笑)

 

修行者のくせに死ぬのが怖いだなどと、ふざけるのもいい加減にしろという話だ。