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結婚宣言は徳光のファインプレーだったらしい。

 

 

ヴァジラヤーナは結果が全て。

 

テレビ局は視聴率が全て。

 

メンバーだの、元メンバーだのと言うテレビ業界のサマナ達は、視聴率という絶対の真理の前にはひれ伏すしかない。(笑)

 

 

しかし、さすがは麻原が認めた男だけのことはある、とは言っても名前がメインテーマではあるが。

 

修行においては、功徳が大変重要である。

 

その徳が光っている。

 

光を放つほどの膨大な功徳、その名は徳光である。(笑)

全景

てか、カメラに収まり切らない。(笑)

大きい方が11センチほど、収穫まで2週間といったところ。

小さい方が8センチほど。

ウリハムシの食害。

たまに姿を見かけるが、水耕栽培なので卵を産み付ける土が存在していない。

なので、すぐにどこかへ行ってしまうようだ。

ハモグリの侵入。

こちらは水耕栽培でも関係ない。

まあ、特に対策は無し、スイカに「頑張れよ。」と声をかけるだけ。(笑)

液肥の中の根っこ。

ビックリするぐらいに伸びている。

水耕栽培、恐るべし!

麻原の指示に逆らうという事と、麻原の指示を実行しないという事は、全く別の話である。

 

これには、「口の行い」と「身の行い」という、明確な区別がある。

 

一般人にとってはどちらも同じに思えてしまうのかもしれないが、オウムの教義においては、身・口・意における行いはそれぞれ別のものであると考える。

 

 

まあ、一般人にも分かりやすい例えという事になると、「論理的思考は常に正しい。」というのがいいかもしれない。

 

 

「論理的思考は常に正しい。」

 

これは完全な事実なのだが、そのことを知らない人もいるだろう。

 

ここで勘違いしやすいのが、論理的思考によって導かれる結論を、論理的思考そのものと思ってしまうことだ。

 

正しいのは「思考」だと言っているのに、正しいのは「結論」だと思ってしまうのだ。

 

 

論理的思考が過程であり、そこから導かれるのが結果である。

 

もちろん、過程と結果は別のものである。

 

 

麻原に逆らうというのが過程、サリンを撒かないというのが結果である。

 

これまた当然に、そのふたつは別のものである。