結婚宣言は徳光のファインプレーだったらしい。
ヴァジラヤーナは結果が全て。
テレビ局は視聴率が全て。
メンバーだの、元メンバーだのと言うテレビ業界のサマナ達は、視聴率という絶対の真理の前にはひれ伏すしかない。(笑)
しかし、さすがは麻原が認めた男だけのことはある、とは言っても名前がメインテーマではあるが。
修行においては、功徳が大変重要である。
その徳が光っている。
光を放つほどの膨大な功徳、その名は徳光である。(笑)
結婚宣言は徳光のファインプレーだったらしい。
ヴァジラヤーナは結果が全て。
テレビ局は視聴率が全て。
メンバーだの、元メンバーだのと言うテレビ業界のサマナ達は、視聴率という絶対の真理の前にはひれ伏すしかない。(笑)
しかし、さすがは麻原が認めた男だけのことはある、とは言っても名前がメインテーマではあるが。
修行においては、功徳が大変重要である。
その徳が光っている。
光を放つほどの膨大な功徳、その名は徳光である。(笑)
麻原の指示に逆らうという事と、麻原の指示を実行しないという事は、全く別の話である。
これには、「口の行い」と「身の行い」という、明確な区別がある。
一般人にとってはどちらも同じに思えてしまうのかもしれないが、オウムの教義においては、身・口・意における行いはそれぞれ別のものであると考える。
まあ、一般人にも分かりやすい例えという事になると、「論理的思考は常に正しい。」というのがいいかもしれない。
「論理的思考は常に正しい。」
これは完全な事実なのだが、そのことを知らない人もいるだろう。
ここで勘違いしやすいのが、論理的思考によって導かれる結論を、論理的思考そのものと思ってしまうことだ。
正しいのは「思考」だと言っているのに、正しいのは「結論」だと思ってしまうのだ。
論理的思考が過程であり、そこから導かれるのが結果である。
もちろん、過程と結果は別のものである。
麻原に逆らうというのが過程、サリンを撒かないというのが結果である。
これまた当然に、そのふたつは別のものである。