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この弁護士に限った事ではないが、元オウムにしても、とかく経典を盲信するタイプの者達がいる。

 

僕にはどうもよく分からない人達である。

 

 

何かに書かれていれば、それだけを正しいとする考え方は僕には理解出来ないし、修行者にとっては、信じるか信じないかなどどうでもいいことである。

 

修行者にとって必要な事は、信じることではなく、実践することである。

 

そもそも、解脱とは何かなど、解脱するまで理解など出来るはずもないし、解脱に至る方法もまた、解脱するまで理解出来るはずもない。

 

 

そこにあるのは、信じるか信じないかなどではなく、やるかやらないかだけである。

 

それは完全に個人的な判断であり、その結果は誰のせいでもなく、全て自分に責任がある。

 

 

で、経典に話を戻すと、元オウムには、やたらと原始仏典を有り難がる者達がいる。

 

これはとても悲しい事である。

 

まあ、無智のカルマだからしょうがないと言えばしょうがないのだが。

 

 

原始仏典の成立は、釈迦入滅100年後とされる。

 

まあ、この時点で、常識的には、何をふざけとんねん!

 

という話にはなると思うのだが。(笑)

 

 

ではなぜ、原始仏典は釈迦入滅後、100年も経つまで成立する事がなかったのか?

 

その答えは簡単である。

 

釈迦牟尼本人が、経典を作ることを禁止したからに他ならない。

 

つまり、原始仏典とは、釈迦の許可なく編纂された、本来は仏教を名乗る資格のない経典ということになる。

教団の崩壊を防ぐためには、事件を阻止しなければならない。

 

そのためには、事前に入念に下見をしておく必要がある。

 

 

事件を起こしたところで誰も真剣に修行をしないというのであれば、地下鉄サリン事件には修行上の何の意味もなく、ただ悪業を積んだだけであると言わざるを得ない。

 

所詮、どのような状況にあろうとも、修行をするものは修行をするし、しないものはしないのだ。

 

ただ、グルさえも幻影であるという前提がある以上、結局のところ自力で修行するしか道はなく、教団が崩壊し、そして消滅するというのが麻原の意思であるということは間違いがない。

 

 

さて、自分はサリンを撒かないという決断を下したとしても、実行犯は自分以外に4人いる。

 

その4人全員を阻止しなければ意味はない。

 

どうやれば、4人全員を阻止出来るのか、その確実な方法を考えなければならない。

 

 

もし、自分がその立場にいたとするならば、真っ先に警察に連絡することを考えるだろう。

 

それが自然な考え方のように思える。

 

しかし、現在において、この警察をあてにするという考え方は、絶望的に期待薄であると言える。

 

それは、ポーシャの出頭のときの事を考えてみれば、火を見るよりも明らかな事だ。

 

 

警察に連絡しても、相手にされることもなく、同じように事件は起きてしまう。

 

そういうカルマだった。

 

そう言うしかない。

これでホームランを量産したということらしかったので、大リーグボール養成ギブス的なひとつしかない秘密兵器を想像していたのだが、違った。

 

「カウンタースイング」で量産されているバットだった。(笑)

 

 

ユーチューブの動画を見ても、皆さん普通に使えているようなので、このバットを使って練習したから、ホームランを量産出来たというのは違うように思える。

 

まあ、ヴァヤヴィヤのやり方を教わっても、解脱出来るかどうかは本人次第、というのと同じなのかもしれない。

 

 

それにしても、鶴太郎にヴァヤヴィヤとツァンダリーを教えたいなあ、と思うのは僕だけだろうか?(笑)