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ヴァヤヴィヤには様々なやり方があるが、サマディを目指すのであれば、複雑なやり方は不向きである。

 

アパンクリアもそうなのだが、複雑であればあるほど脳の働きを必要とする。

 

心の作用を止滅するのがサマディであるのに、脳の働きを必要とする行法では、普通に考えて永遠にサマディには入れない。

 

なぜなら、この二つは相反するものだからである。

 

 

したがって、ヴァヤヴィヤもできる限り単純で、しかも最大限に効果を発揮するやり方が望ましい。

 

というより、その方法は一つしかないと言っていい。

 

それは、数を数えるという事である。

 

 

ヨーガスートラにおけるサマディに至る方法は、数を数えるスクハプールバカである。

 

本来は、ただ座るだけの究境の瞑想がサマディに至る最高の方法なのだが、自発的な要素がないとひたすら想念が暴走するだけになってしまう。

 

したがって、最高の行法の組み立て方としては、何もしないに最低限の自発的な行為を組み合わせる、ということになる。

 

 

数を数えるスピードは、正確に実際の時間に合わせる必要はない。

 

むしろ実際の時間よりもゆっくりと、同じリズムで数を数えることに意識を向ける。

 

意識を集中してはいけない。

 

集中すれば緊張が生まれ、サマディには入れない。

 

力を抜いて意識を向けるが、しかし、途切れさせてはならない。

 

ゆったりとした途切れない意識、これが成否を分けるカギとなる。

あ、壊してこいか。(笑)

 

 

ま、全部グルの責任だよね。

 

グルと弟子との関係とはそういうものだ。

極限修行中は言葉を発する者はいない。

 

道場には修行者達の呼吸音が響くのみである。

 

 

祭壇の上には麻原が椅子に座っており、幹部たちに何やら指示を与えているようだ。

 

そして、何かの用事で石井も席を離れ、麻原一人だけが残されていた。

 

 

静かな時間が流れて、しばらく経った頃。

 

何か聞こえる。

 

祭壇の方から、かすかに聞こえる。

 

聞くとはなしに聞いていると、麻原が何かひとりでぶつぶつ呟いている。

 

 

すすめ、すすめ、・・・

 

その後が聞き取りづらい。

 

まるで、歌でも歌っているようだった。

 

何度か聞いているうちに、だんだんとその言葉が分かるようになってきた。

 

 

「進め、進め、修行よすすめ。」

 

「進め、進め、修行よすすめ。」

 

と2回繰り返した後に、聞き取れないマントラが続く。

 

 

 

何とも言えない不思議な感覚。

 

一方で死ぬ気で修行をさせ、もう片方では優しく歌を歌う。

 

矛盾する二つの行動。

 

しかし、これが、麻原彰晃というものなのだろうと思う。