世間では、オウムには高学歴で優秀な人材が多く集まっていた、などと言っているようである。
しかし、これは本当なのだろうか?
僕の個人的な感覚では、完全な間違いであり、一般企業の方が遥かに優秀な人材が数多く集まっていると言っていいと思う。
なによりも決定的な違いは、その集団を構成する人間たちの平均的なレベル、そしてそれ以上に最低限のレベルにあまりにも差がありすぎる。
一般的な企業では、オウムの半数のサマナ達のような無能な人間はいない。
どういう訳だかは知らないが、あまりにもオウムを持ち上げすぎ、優秀で純粋ないい人達というイメージを植え付けようとやっきになっているように思える。
まったく、どうかしている。
土谷を天才科学者などと持ち上げるのもそうである。
サリンにせよVXにせよ、作り方が分かってしまえば誰にでも作れるとしか思えない。
合成の作業は何段階もあるが、それぞれの段階ひとつだけを見てみれば、美味しい肉じゃがやふわふわのスポンジケーキの作り方のほうがよほど難しいように思える。
五塩化リンにメチルホスホン酸ジメチルを滴下してオイルバスで50度に加温。
反応がうまくいくかどうかは温度を3度刻みで上げて様子を見る。
こんなものは一度聞いただけでなるほどそうかと思う程度のものでしかない。
例えば、スポンジケーキなら泡立ての工程は、最初は氷で冷やす、なぜなら常温では泡が細かくならないからである。
ある程度泡立ったら、今度は加温。
これは熱でタンパク質を固まらせて、泡が消えるのを防ぐため。
温度が50度になったら、そこでストップ。
タンパク質が固まりすぎてボソボソになるのを防ぐ。
そして、最後は常温で仕上げる。
チョコレートにいたっては、その加工における温度管理は0.5度刻みである。
どう考えたって、サリンのほうが作業自体は簡単である。
日本のような高学歴社会であれば、サリンを作れる人間は、100万人200万人といった単位で存在しているはずなのだ。
オウム真理教は頭の悪い犯罪者集団であった。
そう表現してしまうほうが、よほど事実に近い。
世間でよく言われている、そう思えることに「あんな優秀な若者たちがオウムなんかに、」というものがある。
まあ、この言葉は的外れであろうと思う。
精神世界云々に、学歴は関係ない。
そもそもが、学校では全く習ったことがない世界の話なのだから。
例えば、「仏教とは何か?」
と、聞かれて、まともに答えられる人など誰もいないだろう。
仏教の歴史とか、どんな宗派があるだとか、葬式などの儀式はどうするのだとか、そんなことしか知りはしない。
仏教の本質、仏教そのものが何であるのかは、それを職業とする坊さん達ですら何も答えられない。
まあ、これは当然のことだろう。
空の本質、実態がないという概念は、エゴが最も認めたがらないものであるからだ。
自分の存在でもいいし、この世界の存在でもいいのだが、それが存在していることの証明は誰にも絶対に不可能である。
証明しようとすれば、それは最後に必ず個人の認識に行き着く。
個人の認識とはつまり、脳内現象・神秘体験に過ぎないということになる。
もしかしたら、自分というものは存在していないのかもしれない。
この考え方は非常に面白い。
理科系の人間を引きつける。
では、自分とは何なのだろうか?
その問いかけには、肉体でもなければ心でもないと答える。
ますます、面白い。
こうやって、学校の授業では教えてくれない、新しいおもちゃにハマっていくのである。(笑)





