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解脱とは何か?

 

それは、心の作用を止滅することである。

 

 

心の作用を止滅するとどうなるのか?

 

見るものと見られるものが見ることの中で一つとなり、そのとき真我は本然たる輝きを放ち独存位にとどまる。

 

 

見るものと見られるもの、すなわち自と他の区別がなくなりその間の行為という関係性も消え失せる。

 

1+1+1=1=0となり、相対の世界が消えて絶対だけが残る。

 

これを麻原は、

 

そこには、

絶対自由があるねえ。

絶対幸福があるねえ。

絶対歓喜があるねえ。

 

と表現した。

 

 

相対が変化して絶対になるわけではない。

 

相対はいつまでも相対のままであり、絶対は最初から絶対なのだ。

 

諸行無常は相対の中にしか存在せず、絶対の中にはニルヴァーナしか存在しない。

 

そして、存在しているものは絶対だけであり、相対はすべてが空なのだ。

解脱するためには、解脱への欲求が必要である。

 

それは誰かに言われたからとか、頑張って目指すとかという類のものではない。

 

それは、自分の奥底から湧き上がる、魂の咆哮である。

 

この欲求がなければ、解脱など出来るはずがない。

 

 

どんな分野でも、一流になる為には努力するのは当たり前である。

 

その努力が、まるで呼吸をするように自然に無意識に行える。

 

それが解脱するために最低限必要な条件である。

 

 

人間社会で生きている限り、どうしたってどうでもいい事に時間を取られてしまう。

 

しかし、そんなときでも解脱に意識が向かい、解脱のための努力をしようとする。

 

そして、それがずっと続く。

 

そうでないのなら、このブログを読んでも何の役にも立たない。

 

 

 

ここで残念なお知らせがある。

 

自分がどうしたいのか?

 

この答えは、本来自分で見つけなければならないものである。

 

しかし、僕はもうその答えを書いてしまった。

 

何度も書いているように、書いてあるものを読んだだけでは絶対に理解できない。

 

そして、このブログを読むことで、容易くその答えを目にすることが出来てしまう。

 

つまり、もう誰も本当の正解に辿り着けなくなってしまったのだ。

さて、自分がどうしたいのか?

 

それが、解脱したいにまで辿り着ける者はほとんどいないと思う。

 

 

で、まあ、その解脱したいが現世果報ではなく、とりあえず解脱したいというものであったとしても、また次の問題がある。

 

それは、解脱とは何か?

 

である。

 

 

まさか、解脱とは何かを知らずに、解脱できるなんて思ってないよな。