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当たり前の事かもしれないけれど、この著者はやはりオウムについて何も知らないのだなと思う。

 

オウムの連中、とはいっても色々いることはいるのだが、少なくともある程度真面目に修行していたサマナ達は、おそらく一般人よりもかなり苦痛に対して鈍感である。

 

これは、特に自分に対しての、という意味である。

 

自分が罪に問われる、たとえそれが死刑であっても特に感慨はないと思う。

 

なぜなら、自分が罪を犯したことは紛れもない事実だからだ。

 

しかし、自分が嘘つき呼ばわりされるのは許すことが出来ない。

 

なぜなら、彼らはバカが付くほどの正直者だからだ。

 

それがオウムの連中に共通する特徴であると思う。

 

 

しかし、まあ、って感じなのだが、早川の「ワシの手紙は、なんぼでも好きに使ってや」は僕の知る早川そのものである。

 

やはり、僕の考えは間違っていなかった、その事が確認出来たことを嬉しく思う。

 

だけど、記事はすでに削除してしまったし、手紙も処分してしまったので、今更復活は不可能である。

一つの疑問が湧く。

 

この本の著者は林泰男とかなり親しい間柄になっているように思える。

 

しかし、死刑確定後の5人の交流者の中に入っていない。

 

ということは、この本の著者よりも重要な交流相手がいたことになる。

 

それは誰なのか?何の為なのか?

 

そして、その5人は外部へ向けての何の活動もしていない。

 

まあ、やはりな。

 

と思うのは僕だけだろうか。

 

 

命の大切さ。

 

その答えはすでに出てしまっている。

 

全ての命を大切にする。

 

それが修行者の考え方だ。

 

それは人間だけに限らない。

 

自分を殺しに来る相手さえ敬う。

 

と、ここまでが所作の行。

 

入門者に与えられる実践だ。

 

 

しかし、解脱を目指すものには、全く違った考え方が与えられる。

 

それは、誰も生まれておらず、誰も死ぬ事はない。

 

というものだ。

 

不生不滅。

 

生まれ、死んでいくのは幻影に過ぎない。

 

これは、人間には、絶対に認められない考え方である。

病んでるなあ。(笑)

 

 

それにしても、林泰男は人がいいものだから、よく騙されるな。

 

で、騙されたまま嘘の情報を周りの人達に伝えてしまう。

 

周りの人間は林泰男が言うのだからと、その嘘を信じ込んで、本当の事だとして行動する。

 

オウム時代もよくあったよなあ。

 

 

世の中には、本物の悪党という奴が存在する。

 

その事を知っておいて、損はない。

 

 

それとウパちゃん。

 

やっぱモテるんだねえ。

 

優しい中村君かあ。

 

オウム時代は、なんでこいつがモテるのかさっぱり分からない、と思っていたが、ウパちゃんは生まれつきそういう要素を持っているんだろうなあ。

 

自分には全く無い要素だが、見習おうという気持ちも全く無い。(笑)

富士山麓オウム鳴く

 

この「鳴く」は事件後に「泣く」に変わり、そして今は「無く」ということなのだろう。

 

まあ、もう一桁加えるなら、「富士山麓オウム鳴くな」ではあるが。

 

それにしても、この著者の半生が悲惨すぎる。

 

一般人にとっては、こんなのドラマでしか見たことない、みたいな。

 

しかし、不思議なことになぜだかオウムとの縁があるように見える。

 

 

オウムはエリート集団のように思われている面もあるが、実際にはその数はそれほど多くはない。

 

それよりもむしろ、この本の著者のように理不尽な人生を歩んできたタイプが結構な割合で存在している。

 

この本の著者がオウムに入信するかどうかの違いは、ほんの僅かなものであったように思う。

 

それは、この人が精神世界に興味がなかった。

 

更に言うなら、精神世界に対する才能が無かったからということだ。

 

当時は、バグワンやクリシュナムルティといったニューエイジブームが起こっていたときである。

 

もし、早い時期にほんの僅かでも興味を持っていたなら、入信していた可能性は高かったと思う。

 

なぜなら、当時麻原が神仙の会で説いていたのは、ダライ・ラマの本のタイトルと同じ「愛と非暴力」だったのだから。