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初めてヨガというものを知ったのは、小学生のときだった。

 

当時、万国びっくりショーというテレビ番組があり、そこへ3人のインド人が登場した。

 

頭にはターバンを巻いてはいるが、それ以外は腰布だけの半裸の姿。

 

身長は日本人と変わらないが、その体格は明らかに痩せっぽちに見えた。

 

生まれて初めて見るインド人の姿に多少驚いていたのだが、その後のパフォーマンスは更に驚くべきものだった。

 

 

針山に座ったり、仰向けになりお腹の上に乗せた石をハンマーで叩き割ったりした後に、インド人は直径2センチほどの鉄棒を取り出した。

 

長さは1.5メートルほどだろうか。

 

それを両手に握り、さほど力を込めた様子もないのに、その鉄棒はぐにゃりと折れ曲がった。

 

繰り返すが、そのインド人はボディビルダーのような筋骨隆々ではない。

 

無駄な贅肉はついてはいないが、日本人以上の痩せっぽちである。

 

この怪力はいったいどこから湧いてくるのか?

 

 

次にそのインド人は、鉄棒を壁に押し当て、反対側を顔面で押して曲げてみせると言い出した。

 

しかも、鉄棒を押す顔の部分は驚くことに眼球だった。

 

間にタオルを1枚挟んで、無造作にぐいっと前に出ると、鉄棒はいとも簡単に折れ曲がってしまった。

 

なんなんだ、これは!?

 

 

当時のテレビは録画ではなく生放送だったので、司会者は眼球が潰れるとでも思ったのか、「ああっ」と声を出し2、3歩前に出てしまった。

 

まあ、無理もないとは思う。

 

普通に考えれば、眼球が無事に済むはずはない。

 

そのインド人は、直前に急に声をかけられたため集中が出来なかったのか、終わった後で目が痛そうな素振りを見せていたが、司会者の質問には大丈夫だと答えていた。

 

 

これがヨガとの最初の出会いなのだが、世の中には随分と不思議なものがあるものだと思ったものだった。

当時、若者がオウムに引き寄せられた理由として、閉塞感がどうのこうのとか、麻原に父性を感じたからだなどとおっしゃる方が多い。

 

こういった考え方は自分には当てはまらないなと思う。

 

何故なら、自分にとってヨーガを実践する理由、修行をする目的は解脱・悟り以外に有り得ないからである。

 

 

子供の頃から、少なくとも小学校低学年の頃には、自分は何のために生まれてきたのだろうという疑問を持っていた。

 

その答えは見つかるはずもなく、一時的な仮の答えとして、科学者になって世の中のためになる発明をしようとか考えていた。

 

その考え方が少しずつ変わっていくのは、ヨガというものを知ってからである。

 

なぜ少しずつしか変わらなかったのかと言えば、その情報があまりにも少なく、少しずつしか変わりようがなかったからである。

 

 

ヨガというものを知るにつれ、その究極の目的は健康になる事などではなく、解脱にあるのだという事を知ったとき、ああ、これだと思ったものだ。

 

しかし、解脱するための方法は明確にはならず、ただ、時間だけが過ぎていった。

 

その方法を知るのは、もっとずっと後、オウム真理教に出家して成就認定を受けてからになる。

 

私はようやくその答えを掴んだのだ。