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150歳の老人が行っていたのは、毎日の数分間の運動だけ。

 

ボディビルのポーズのような体勢で力を込めているだけ。

 

道具も何もいらない、身体を痛めることもない。

 

いわゆるダイナミックポーズと呼ばれるものだが、現代的な言い方をすればアイソメトリクスという事になるだろう。

 

この運動の凄さは、全身の筋肉を満遍なく鍛えられるところにある。

 

1日数分間の運動だけで、100歳を超えても健康でいられるのだから素晴らしいとしか言いようがない。

 

 

まさに現代の日本にこれ以上はないほど必要と言っても過言ではない。

 

この運動が広まれば、莫大な医療費は大幅に削減出来るし、介護も必要なくなる。

 

何より高齢者本人にとっても、毎日元気に過ごせる事が一番である。

 

しかし、残念ながら、これがどんな運動であっったのかは、もはや知る方法はない。

 

 

まあ、知る方法がないのなら新しく生み出せばいいだけなのだが、現代の運動の専門家達はどう思っているのだろう?

 

日本には、肥田春充や西勝造といった天才がいたわけだから、新たな天才の出現を望みたい。

 

 

あと、ゴンド族のくだりは小学生にはハード過ぎた。(笑)

当時はまだ、ヨガの事なんて日本人の誰も知らないと言ってもいいほどだった。

 

そんな日本人の、とはいってもほんの一部だけだったのかもしれないが、興味を引くには十分過ぎる内容の本だった。

 

木の若枝を使って葉を磨いたり、舌の舌苔を取るなどというのを見たときは、歯ブラシのない時代の日本人はどうしていたのだろう?とか、舌苔なんて考えたことも無かったと思ったものだ。

 

ダウティは飲み込んだ布を口からではなく肛門から出してしまう強者もいて、オウムのダウティを見たときは、ああ、普通だなと思ったものだ。(笑)

 

 

100歳以上の老人も何人か登場していて、高齢化が進む今の日本にとっても非常に興味深いのではないだろうか。

 

まあ、戸籍がないのであくまでも推定の年齢ということになるが、150歳とか120歳で元気そのもの、50歳ぐらいにしか見えないらしい。

 

推定150歳という証言をしているのは80歳の老人。

 

自分が子供の頃、彼は80歳を過ぎていたというところから計算してのものだ。

 

 

150歳の老人は筋肉質、120歳の老人はぽっちゃり型。

 

100歳以上の老人は他にもいたが、それぞれにタイプが違い共通点は見つけられなかった。

 

そこから沖 正弘はある一つの結論に達する。

 

長生きするための秘訣は、人によって違っており、自分にあった方法を見つけ出す事である。

 

この自分と他人は違う、自分は自分であるという考え方は、沖ヨガの基本的な考え方の一つとなる。

 

自分にとって良い事が他人にとって良いとは限らないし、他人にとって良い事が自分にとって良いとは限らない。

 

言われてみれば当たり前の事だが、その事に気づく人は少ない。