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件の説法がいつであったのかと言えば、それはおそらく87年の事であったと思う。

 

ただそれが、東京本部での説法であったのか、それとも青山荘の集中セミナーでの説法であったのかはっきりしない。

 

ここでまたオウム関係者の皆さんの常識。

 

青山荘は後に東京総本部が置かれる「あおやま」ではなく、「せいざんそう」である。

 

まあ、漢字だけでも一致しているのは不思議な縁ではある。

 

 

早川は著書の中で「公言」という言葉を使っているので、当然「公言」の前には「私言」がある。

 

件の説法はそのうちの一つ。

 

 

この後、これまたいつであったかはっきりしない、麻原が自分がマイトレーヤだという前提で行っている説法がある。

やっぱ三方ヶ原だよね~。

 

徳川軍1万、武田軍2万5千。

 

多勢に無勢のため籠城策を取り、信長の援軍が来るのを待つ。

 

しかし、信玄は浜松城を素通りしていく。

 

そのまま行かせてしまっては、浅井・朝倉連合軍と交戦中の信長は挟み撃ちにされて壊滅する。

 

仕方なく打って出る家康。

 

三方ヶ原の先は両側が谷に挟まれており背後から攻めれば敵は身動きが取れない。

 

そう考えて三方ヶ原に乗り込んだ家康を、信玄は全軍で待ち構えていた。

 

罠にはめられた、そう気付いた時はもう遅い。

 

もはや、絶望的な合戦が始まる。

 

突進する武田軍、徳川軍は鶴翼の陣で迎え撃つ。

 

戦国最強と謳われた武田軍は、それぞれの武将が自分の判断で動く。

 

信玄から下された命令はただ一つ、家康の首を取れ。

 

信長のようなトップダウンではなく、現代の軍隊でも最強とされるボトムアップ戦略。

 

信玄はただ家臣を信じ、戦況を見守るのみ。

 

動かざること山のごとし。

 

 

それにしても、徳川家康はどうしてこんなにも強運に恵まれているのだろうか。

 

武田軍が家康を打ち取ったと勘違いし、さらに信玄が突然急死する。

 

さらに言えば、信玄は上杉謙信と12年間も戦い続けて決着が付かなかった。

 

つまり、信長や家康に12年間の準備期間を与えてしまっているのだ。

 

まるで初めからそうなる事が決まっているかのように。

ひょろひょろだ。

 

ネギというのは面白いもので、二つ折りになって真っすぐに伸びてくる。

 

ある程度まで伸びたところで降り曲がっている箇所が真っ直ぐになり、一気に長さが2倍になる。

 

特にそうする必要性は無いと思うのだが、ネギはどうしてこんな戦略を選んだのだろうか。

説法の後、いくつかの質疑応答がなされ、とうとう質問者は辛抱たまらんという感じで、麻原を釈迦牟尼だと思っていますと言ってしまった。

 

そりゃあ、そうだろう。

 

シッダールタにパドマサンバヴァとくれば、証拠固めは完ぺきに終わっているのだから。

 

僕はもちろん麻原が釈迦牟尼だと言うと思っていたし、その場にいた者たちは皆そう言うと思っていたはずだ。

 

 

さあ、今か今かと皆が待ち構える中、麻原はちょっと困ったような顔をした後、にやっと笑って、

 

「私を釈迦牟尼だと思っているのか。」

 

「私はマイトレーヤだよ。」

 

と答えたのだ。

 

 

ええ~~~~~!

 

嘘やろ!

 

シッダールタやのに。

 

パドマサンバヴァゆうたやん。

 

みんながビックリしたはずなのだが、なぜか騒ぎにはならなかった。

 

かくして、この時から麻原彰晃はマイトレーヤ菩薩となったのである。

大抵の人はそうだと思うが、何があったかは覚えていても、それがいつであったのかは覚えていない。

 

自分の名前を書けるようになったのはいつなのか、初めて逆上がりができたのは何年何月何日なのか。

 

さっぱり分からない。

 

 

麻原がマイトレーヤだと言った事も同様に、それがいつであったのかはかなり曖昧である。

 

ただ、麻原が唐突にそう言った言葉は衝撃的で、鮮明に記憶に残っている。

 

「私はマイトレーヤだよ。」

 

あの言葉は一生忘れる事はないだろう。

 

たしか説法の後の質疑応答であったはずなのだが、肝心の説法の内容はすっかり忘れてしまっている。(笑)

 

 

さて、オウム関係者にとっては常識だが、麻原のホーリーネームはシッダールタである。

 

当時麻原はパイロットババに弟子入りしたのだが、神仙の会の会員誌にはこのように書かれていたと思う。

 

聖者は私の耳元で囁いた、「名前をあげよう。シッダールタ。」

 

なのだが、麻原は自分が釈迦牟尼の生まれ変わりだとは一言も言ってはいない。

 

で、これまた常識なのだが、麻原は自分の前世はパドマサンバヴァであると言っていた。

 

しかし、ここでも麻原は自分が釈迦牟尼の生まれ変わりであるとは言っていない。

 

 

シッダールタは釈迦牟尼の本名であり、パドマサンバヴァは釈迦牟尼の生まれ変わりとされる。

 

そして、件の説法となる。