昨日の記事は苫米地理論。
苫米地博士が人気がないのか、それともワシが軽く見られているのか分らんけど、多分ワースト記録だと思う。
宇宙という概念は、トップを「空(くう)」ボトムを「矛盾」とする包摂半順序束である。
絶賛している人たちがいるが、修行者から見れば、「ん?」である。
トップからボトムまで全てを包含しているのが空なのだから、それをトップだけに限定するのはどういう事だ?
矛盾というのは人間だけに限定された事で、宇宙には矛盾はないよねえ。
人間以外の動物や植物は矛盾を感じているのだろうか。
あるいは海や山は矛盾しているのだろうか。
ヨーガにおいては3グナによって宇宙が構成されている。
その3グナを動かすエネルギーがプラクリティであり、それ以前に宇宙を誕生させた欲求が存在する。
宇宙を造り、肉体を持ち、この世界を経験したいという欲求である。
それは個人ではなく人類全体の欲求であり、そのために実に様々なパターンの人生を作り出す。
この多種多様な経験を求めるために矛盾を作り出す必要があるのだ。
で、修行者としての結論は、
人類の認識として、
宇宙という概念は、トップを「欲求」ボトムを「矛盾」とする包摂半順序束である。
となる。
だけど、まあ、これは入門者にとっての基礎知識なんだけどね。(笑)
ゆきりんは12:45あたりから。
それにしても、三八三四六って珍しい名前だよね。(笑)
確か中学一年で習ったような気がする。
人を殺していい自由はない。
しかし、実際には戦争が起こっている。
矛盾する。
これはその他の事についても同様である。
ただそれは、宇宙の法則なのではなく、人間の活動においてのみなのだが。(笑)
例えば、努力真理教。
努力すればなんとかなる。
頑張ればいい事がある。
しかし、実際には何もいい事がない。
矛盾する。
あらゆる事が矛盾しているように見える世の中で、では正しい答えは何かと考える事で修行が始まる。
矛盾があるとして人間界の観念を否定するのが小乗であり、矛盾がないとして宇宙の絶対的真理を肯定するのが大乗である。
すなわち、現世否定と全てを経験しつくす。である。
小乗における問題は、ただ生きているだけで人間界の観念に染まってしまう事にある。
勉強ができて優秀なのが善。
金持ちなのが善。
そんなものは修行には何の関係もない。
大乗における問題は、裕福な生活をするのは楽しいが貧しい生活はしたくないと思ってしまう事である。
しかし、貧しい生活もまた、必要な修行である。
人生に優劣はない。
必要な経験とか、意味のある経験などというものはないが、全ての経験に価値がある。
なんて素晴らしいんだ!
野田正悟師のブログについて書いておこう。
まあ、元オウムで修行者なんて誰もいないんだなあ、という悲しみを込めて(笑)
苫米地博士の空がトップで矛盾がボトムという考え方は宇宙についての考察だろうと思うが、一般人が考えるとこうなるのかなと思う。
修行者にとっては、この宇宙には矛盾は何もない。
なぜなら、矛盾していると言っているのは人間だけ、それは個人の観念に過ぎないからだ。
だからこそ、タントラヤーナの修行者に観念の崩壊が必要なのだが、もちろん一般人にはそんなものは必要ない。
一つ例を挙げるとすると、人を殺していいという自由はないのに戦争が起きている。
矛盾している。
というものがある。
これについて、修行者はこう考える。
人を殺していいという自由があるはずだ。
そうでなければ戦争が起こる事の説明がつかない。
全く矛盾が無い。
論理的に考えるなら中学生にでも簡単に答えが出せそうなものだが、大の大人が微塵もこの考え方に触れる事が出来ない。
それにそもそも、定義するも何も空とは実態が無いという意味である。
まあ、これはよくある事なのだが、ひとつの単語に複数の意味を持たせているので、文脈によってどの意味なのかを判断する必要はある。
普通は単に空と言った場合、その意味は「実態が無い」である。
まあ、これは麻原から智慧があるとして自由に行動する事を許され、今生最終解脱する魂であると認められた直弟子の戯言だと、一般人は思うのだろう。(笑)