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法友(とも)へ

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やるんだねえ。

 

逃亡者は好きな映画のひとつなんだけど、なんといってもトミー・リー・ジョーンズの演技が素晴らしい。

 

犯罪者は絶対に許さない。

 

鬼のように犯罪者を追い詰めていく。

 

「私は妻を殺していない。」のセリフには、「犯罪者は皆そう言う。」と切り返し、「愛していたんだ。」には「知ったことか。」と突き放す。

 

一切の妥協がない。

 

しかし、捜査を続けるうちに、この事件が冤罪であることに一番最初に気付く。

 

 

死刑が確定した逃亡者であり、すでに射殺命令が出ている。

 

無実のこの男を死なせてはならない。

 

誰よりも先に見つけ出し、身柄を確保しなければならない。

 

 

いや~、こういうスピード感のある作品好きなんだよなあ。

 

ラストがまたいいんだよな~。

 

 

だけど、まあ、絶対比較されるよね。

 

渡辺謙はまあいいとして、問題はトヨエツだよな。

 

さあ、どんな演技を見せてくれるのか。

 

楽しみだ。

コメントがあったので書いておこう。

 

大体の修行の順番としては、教学が最初に来る。

 

その後、補足的な行法を交えつつ、マントラ、瞑想へと進む。

 

瞑想を終えた次の段階について書いているのがこのブログである。

 

 

で、教学には普通の勉強とは違う難しさがある。

 

それは、知識を身に付けても殆ど役に立たないという事である。

 

教学で必要なのは理解である。

 

理解がなければ、それはただの雑学であり修行にはならない。

 

 

例えば、プラクリティについて知ろうとした場合、その説明には大抵の場合プラクリティという単語が使われていない。

 

これはマハルシにしろマハラジにしろ、そして麻原にしろ同じ事である。

 

受験勉強でもなければ、ましてや予備校の講師などではあり得ないのだから、これからプラクリティについて話をするなどという親切な説明はするはずもない。

 

「プラクリティとは」という部分が省略されて、いきなり話が始まる。

 

あるいは、別の言葉に置き換えられている。

 

例えば、「生命力」や「根源」、「ただ一つの力」、オウムの場合だと、「三グナの働きによって」とか「シヴァ神がお命じになって」という表現になっている。

 

 

なので、どのように教学を進めるかというと、とりあえず100冊なら100冊読む。

 

そうすると、その中で重要な本は10冊ぐらいしかないということがわかるだろう。

 

次にその10冊を繰り返し10回読む。

 

この時の読み方は、最初に一冊に付き5回繰り返し読む。

 

5回✕10冊で50回。

 

続いて、今度は10冊を通して読む。

 

その時、他の本にも同様のことが書かれていた事に気付くだろう。

 

そうしたら、何冊かの他の本と照らし合わせながら読み進めていく。

 

10冊✕5回。

 

 

最初の100冊と合わせて、のべ200回読むことになる。

 

ここまで来れば、朧気ながら解脱とは何か、真我とは何かが分かってくる人もいるだろう。

 

そうなったらしめたもの、全てが理解出来るのも時間の問題だ。

いたるところで恩恵を受けているようだけど、ヨーガでもよもやよもやでブームに乗っかった呼ばれ方をするかも知れない。

 

例えば、

 

完全呼吸法

水の呼吸 弐の型

スクハプールバカ

 

とか、

 

クンダリニー呼吸法

火の呼吸 壱の型

カパラヴァティ

 

とか、

 

サマディ調気法

空の呼吸 参の型 極

ヴァヤヴィヤ

 

 

なんてことになると、名前が長くて憶えきれん。