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p241

第十一章 日本的現象か

 

この章では、オウム真理教が、麻原が世間に与えた影響について述べられている。

今の若者たちは知らないのだろうけれど、当時のメディアの取り上げ方はそれはそれは、もう凄まじいものがあった。

社会に対する不満だとか、日本人独特の死生観だとか、様々な意見はあると思うが、一連の事件は麻原がいなければ絶対に起こらなかったと確信している。

オウム事件は、あまりにも他のものと違いすぎているのだ。

 

p281

第十二章 アメリカ流の終末の強要

 

海外に向けての著書らしい書き方がされている。

オウム事件は終わったが、それで全てが終わった訳ではないという考えが述べられている。

確かに、オウムと同じ様な集団が二度と現れる事はない。

しかし、小さな集団でもサリンを造れる事をオウムが証明してしまった。

世界中のどこででも、数人のテロリストがいれば、地下鉄にサリンを撒く事は可能なのだ。

爆弾とサリンを合わせた混合テロは、いつ起こっても不思議ではない。

 

p315

第十三章 内なるオウムか

 

ヘヴンズ・ゲイトの集団自殺から書き出しているが、オウムには自殺の概念が全く無い。

何度も書くが、オウムは他のカルト団体とは全く違っている。

個人的には不思議でならない事がよくあるのだが、頭がいいと言われている人間は、どうして過去のものに類似性を見出そうとするのだろうか?

これはあれに似ているだとか、誰々がこんな事を言っているとか、なぜ、物事をそのまま、ありのままに見て、そのままを説明できないのか。

それは、オウム以上に大きな謎である。

 

p352

「最後に、麻原も・・ヒトラーの熱烈な崇拝者である。」

 

なんでやねん!(笑)

どこから来たんだその情報は。

世の中にはオウムや麻原に関する誤った情報が溢れているが、これもそのうちの一つ。

このブログにコメントをしてくる人の半数以上が、誤った情報を元にしているなと思う。

p216

「初期の段階では、オウムはヨーガと大乗仏教に比較的健全な焦点を当てていたが、麻原彰晃のヴィジョンははじめから黙示的だった。」

 

ズレてはいるが、正しいと言える部分もある。

麻原は最初からヴァジラヤーナである。

そう見せないように装っていただけだ。

初期の段階がいつ頃を指しているのか分からないが、クンダリニーやシヴァというのは明らかにヨーガである。

仏教に関しては、最初は阿含経典、次に大乗経典、最後に南伝大蔵経という変遷を辿っている。

最初から最後まで一貫しているのは、ヨーガそしてヴァジラヤーナである。

仏教には、グルという考え方がそもそも無いのだから。

 

p223

第十章 オウムからの生還

 

この章はオウムを知らない人にとって、かなり読み応えのあるものなのではないだろうか。

元信者たちの、悲しみ・苦しみ・葛藤が伝わってくる。

それと比較して、アレフの連中のなんとのうのうと生きている事か。

 

「彼らは、自ら去ったオウムの世界に対する関係だけでなく、戻ってきた社会に対する関係でも、自分自身に関してきわめていたたまれない感情を持っていた。」

「オウム体験の意味をめぐる葛藤は、個人的な罪や責任というつらい問題を含んでおり、その問題は常に心理的・道徳的なものであるだけでなく、ときには法的なものであった。」

 

p224

「彼らは矛盾した感情・・あがめていたグルに裏切られ捨てられたという感情・・裁判にかけられている信者に対して罪悪感を経験した・・グルを「見捨てた」ことに対して恥辱を感じていた。」

「オウムに入る以前に野心的で知的な計画を抱いていた元学生は「私の目標はオウムとともに死にました」と悲しげに私に言った。」

「個々の信者がどのように生き残ったかについて、さらに深く検討することによって、オウムの意味について多くを学ぶことができよう。」

「私がインタビューした者の中で、直接、東京のサリン攻撃のせいで辞めた者はだれもいなかった。攻撃当時、実際のところ、彼らは概して、それをしたのはだれか、まったくわからなかったのだ。」

「彼らは、・・オウムが殺人を犯したということと向き合えなかった。彼らにとってそのような結論にいたるのは、心理的にあまりに多くの危険にさらされることであった。」

 

この頃、自殺した奴が何人もいたなあ。

僕の知り合いだけでも二人死んでいるので、教団全体では何人なんだろうなあ。

世間では自業自得と言われたけど、全くその通りだ。

 

p180

「麻原は、・・とても動揺してきたので、座って静かにしているようにという裁判長の指示を無視した。」

 

明らかにおかしい。

どう見ても演技にしか見えない。

その目的は、井上の発言に信憑性を持たせる事にあるように思える。

なぜなら、麻原がおかしくなればなるほど、世間には逆に井上の発言がまともに思えてくるからだ。

麻原にとって井上がどうなろうとどうでもいい事のはずだし、自分の言動によって自分がどう評価されるか分からないほど頭が悪いわけではない。

もちろん、逮捕される前から自分が死刑になるのが確実な事も理解できている。

教義の上では、ヴァジラヤーナのグルは弟子を見捨てるものであるので、弟子から見捨てさせるように仕向けて、実は弟子を見捨てていると考えるのが自然である。

この辺りからどんどん壊れていくわけだが、何故そうなったのか全く分からない。

どう考えても麻原が壊れてしまう理由が見つからない。

論理的整合性がある答えがあるとしたら一つだけだ。

それは、麻原が自分で自分を壊したという事である。

 

p209

「私は本書を通じて、オウム真理教の信者たちが世界を終わらせる暴力へと奇怪にも突入していった、その行動と動機を明らかにしようとしてきた。」

 

はぁ~、全く嫌になってくるが、世間のオウムに対するイメージはそういうものなのだろう。

まるで信者全員がそうであったかのように思われているが、実際には全く違う。

この点が他のテロ組織とオウムとの決定的な違いである。

テロ組織とは、構成員全員が破壊活動に手を染めている。

ところがオウムの場合、テロを起こしたのはほんの一部の者達だけである。

日本にもテロを起こさないカルト集団はいくつもあるが、オウムはその様な集団とテロを起こす一部の者達が一つになった極めて珍しい組織だったのだ。

 

同じくp209

「すべての弟子が出家者となるときに受け取った宗教名に・・・」

 

いやいや、出家しただけじゃもらえないんだが。

 

同じくp209

「弟子たちにとって、グルを超える神は存在しなかったし、・・・」

 

いや、麻原の上がシヴァ神だし、オウムには一般的な宗教のような神は存在しない。

ほんと、シヴァ神とかアートマンというと誤解する人が続出するんだよなあ。

グルとは導くものであり、全身全霊で修行に打ち込むのは弟子として当然である。

いやならワシのように辞めればいい。

辞めないのは個人の意思でそれを選択したという事だ。

自分で選択しておいて麻原が悪いと文句を言うのはお門違いである。

シヴァ神とはグルの中のグル、原初のグルであり、最初から完璧・絶対・不変の存在だ。

シヴァ神の別名が真我である。

事件に関与した実行犯たちは、自分の意志で事件を起こしたのであり、教団を離れる事が出来なかったのは、自分が教団内で確立した地位や権力を手放したくなかったからに他ならない。

もう一度言おう。

自分で選んだ事なのに、他人のせいにするな。