ヨガのすすめ22 | 法友(とも)へ

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しばらくのんびりとおしゃべりの時間が過ぎた後、指導員がやって来て行法が始まった。

 

沖ヨガでは行法のスケジュールが決まっておらず、次に何を行うのかが分からない。

 

また、休憩時間がいつまでなのかも決まっていない。

 

休憩が10分も経たないうちに次の行法が始まったり、逆に2時間経っても次の行法が始まらない場合もある。

 

まさしく、何にもとらわれない、これが沖ヨガである。

 

 

沖ヨガにはこのとらわれないという事と、もうひとつの特徴がある。

 

それが、「依頼心(依存)を無くせ。」

 

である。

 

よって立つのは自己のみであり、何者にももたれかかる事はない。

 

決断を迫られたときには、他人ではなく、自分の内側に答えを求める。

 

そして、その時に行うのが瞑想である。

 

沖正弘の弟子たちは、会話の途中で合掌したりしなかったりの違いはあったが、しばし瞑目しそれから答えるという事がよくあった。

 

いわゆる瞬間瞑想である。

 

 

そして、依存しないという考え方はヨガの根本であり、それはグルという言葉によく現れている。

 

先生は依存する対象であるが、グル・導師は、これらは同じ意味であるが、依存する対象ではない。

 

グルとは導師、すなわち導く師であり、その理論と実践方法を説くのみである。

 

まあ、これが所謂ヒナヤーナと呼ばれるものであるが、それ以外についてはこのブログで散々説明してきたので省略。