しばらくのんびりとおしゃべりの時間が過ぎた後、指導員がやって来て行法が始まった。
沖ヨガでは行法のスケジュールが決まっておらず、次に何を行うのかが分からない。
また、休憩時間がいつまでなのかも決まっていない。
休憩が10分も経たないうちに次の行法が始まったり、逆に2時間経っても次の行法が始まらない場合もある。
まさしく、何にもとらわれない、これが沖ヨガである。
沖ヨガにはこのとらわれないという事と、もうひとつの特徴がある。
それが、「依頼心(依存)を無くせ。」
である。
よって立つのは自己のみであり、何者にももたれかかる事はない。
決断を迫られたときには、他人ではなく、自分の内側に答えを求める。
そして、その時に行うのが瞑想である。
沖正弘の弟子たちは、会話の途中で合掌したりしなかったりの違いはあったが、しばし瞑目しそれから答えるという事がよくあった。
いわゆる瞬間瞑想である。
そして、依存しないという考え方はヨガの根本であり、それはグルという言葉によく現れている。
先生は依存する対象であるが、グル・導師は、これらは同じ意味であるが、依存する対象ではない。
グルとは導師、すなわち導く師であり、その理論と実践方法を説くのみである。
まあ、これが所謂ヒナヤーナと呼ばれるものであるが、それ以外についてはこのブログで散々説明してきたので省略。