2階に上がってみると、正面に窓があり、これはオウムの富士山総本部道場の2階とよく似ている。
まあ、プレハブで同じような道場を作れば、同じような構造になるということかもしれない。
しかし、後にたくさん建てられるサティアン群とは全く違った構造である。
窓の下には勉強机のようなものがズラッと並び、その上と言わず下と言わず本が積み重ねられている。
ところどころに蛍光灯スタンドが置かれ、消灯後に本が読めるようになっている。
しかし、人数分あるわけではなく、早いもん勝ち取ったもん勝ちである。
これらの大量の本は道場滞在者達のものであり、ロッカーがないためにこの様な状況になっている。
当然、どの本が誰のものなのかも分からず、受付けで本に名前を書いておいてくれと黒マジックを渡されたのだが、ハッキリと名前を書いておいたにもかかわらず、次々に本が無くなっていった。
初日に三冊無くなり、翌日にはさらにもう一冊無くなったのだが、スタッフに言っても全く関知せずだった。
自分で探せと言われて仕方なく本をおいておいた周り3メートルほどを、本を全部開いて名前を確認してみたが見つからない。
常識的にはどう考えても盗まれたという事になるが、沖ヨガでは一切責任を取らない。
何千円も出して買ったばかりの本が次々に無くなっていくのはとても悲しい。
ま、昭和というのはそういう時代だったという事だろう。(笑)
オウムがいい加減な集団だというのは確かにそうであるが、沖ヨガもオウムに負けず劣らずいい勝負だ。
オウムに出家してほとんど違和感を感じなかったのは、この沖ヨガでの経験があったからだと思う。