p47
内乱罪について
「国家転覆も十分あり得た」なら、内乱罪であるのだが、法律上その場合は麻原を死刑にすることは出来ても、実行犯たちを死刑にすることが出来ない。
破防法の適用の場合と同じく、法律を順守するなら死刑に出来ないのだ。
そのため、内乱罪ではないとして個別に起訴、実行犯たちを死刑へと持っていったのであるが、それならオウムが省庁制を採用し国家転覆を画策していた云々を語るのはおかしいということになる。
p48
殺人の容認について
これはおそらく大勢の人達が誤解しているのだと思う。
それは一般の人だけでなく、オウムの連中も同様にである。
全ての説法をチェックしたわけではないが、麻原は殺人が罪にならないと言ったことは一度もないと思う。
むしろ、p149にあるように、「タントラの菩薩は、自分は悪業を積むことになるが、」と、説法で殺人が悪業である事を認めているのだ。
これは当然の事である。
なぜなら、全ての魂は、カルマにおいて平等だからである。
では、いったい何を目的とした殺人なのか?
これは人間界の出来事を考えてみれば簡単に答えが出る。
例えば、シリアの人々を何とかしてあげたい。
手を差し伸べよう。
で、空に向かって手を伸ばせば、シリアの人々は救済されるのだろうか?
もちろん、そんな事はあるはずがない。
シリアの人々を救済するには、自分が現地に赴くか、何らかの形で何かが現地に届く必要がある。
では、地獄の住人を救済するにはどうすればいいのか。
それは当然、現地である地獄に赴くしかない。(笑)
一般人には到底信じられないと思うが、これが麻原の狂気の原点なのだ。
そして、これを見抜いた弟子に対して、麻原は「お前には智慧がある。」と認めるのだ。
善行を積み続ける徳の高い魂は、地獄へは行けない。
物理的に不可能である。
それを達成する方法はただひとつ。
それは、人を殺すことである。