大河ドラマ「べらぼう」放送中に、ドラマに関連した用語や登場人物などを解説している【べらぼうナビ】。第42回の内容をまとめました。
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≪あらすじ≫
第42回「招かれざる客」
歌麿(染谷将太)の美人大首絵で持ち直し、書物問屋も始めた蔦重(横浜流星)は、年が明けて身上半減から店を立て直した。歌麿の新作、江戸の「看板娘」を描いた錦絵も大評判となり、看板娘に会いたい客で各店は繁盛、江戸の町も活気づいていた。そんな中、てい(橋本愛)は蔦重に“子ができた”と告げる。一方、定信(井上祐貴)は、オロシャ問題や朝廷の尊号一件に対する強硬姿勢で、幕閣内で孤立し始めていた…。
【べらぼうナビ🔍母・つよの死】
蔦重は母・つよの死後、大田南畝に碑文を依頼しました。
そこには「母と7歳で別れたが、再会して今の自分がある」という蔦重の感謝の思いが刻まれており、南畝は「蔦重を成功に導いた彼の確固たる意志は、母の教えによるもの」だと述べています。
【べらぼうナビ🔍会いに行ける「寛政の三美人」】
「難波屋おきた」は浅草寺境内の水茶屋の看板娘で、寛政5年当時は16歳(桐紋)
「高島おひさ」は両国の煎餅屋の娘で、寛政5年当時は17歳(三つ柏紋)
「富本豊ひな」は富本節の吉原芸者(桜草の紋)
【べらぼうナビ🔍西村屋の二代目】
鈴木春信、礒田湖龍斎、鳥居清長らを起用して錦絵を多く手がけ、江戸を代表する地本問屋となった西村屋。その二代目は、養子で鱗形屋の次男であると馬琴が記しています。また、西村屋は後に北斎の「富嶽三十六景」を出す板元でもあります。
【べらぼうナビ🔍婦人相学十躰・婦女人相十品】
蔦重は当初「婦人相学十躰」と題し10枚の揃物(そろいもの)を企画したものの、相学の専門筋から苦情が入り、途中で副題を削除して「婦女人相十品」に改題したとの説があります。しかし、史実は明らかになっていません。作品は合わせて8図が確認されています。
【べらぼうナビ🔍ポッピンを吹く娘】
【ポッピンを吹く娘】は「婦人相学十躰」「婦女人相十品」の両シリーズで出版されていますが、その経緯は不明です。
ちなみに、特別展「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」(会期終了)をきっかけに、国内で新たに“十躰”版が見つかりニュースになりました。
【べらぼうナビ🔍小児必用養育草(しょうにひつようそだてぐさ)】
ていが読んでいるのは、江戸時代の代表的な育児書『小児必用養育草』。乳母の選び方や産湯・沐浴の手順、子どもがかかりやすい病気とその治療法、天然痘などの感染症、しつけや教育などについて書かれています。