大河ドラマ「べらぼう」放送中に、ドラマに関連した用語や登場人物などを解説している【べらぼうナビ】。第47回の内容をまとめました。
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≪あらすじ≫
第47回「饅頭(まんじゅう)こわい」
定信(井上祐貴)や平蔵(中村隼人)たちの仇討ち計画は、治済(生田斗真)に気づかれる。治済は毒まんじゅうで大崎(映美くらら)を死に追いやり、定信や蔦重(横浜流星)たちも追いつめられる。一時的に店を閉めた蔦重だったが、定信のもとを訪ね、将軍・家斉(城 桧吏)を巻き込んだ驚きの策を提言する。仇討ち計画は再び動き出し、定信は、体調を崩していた、清水重好(落合モトキ)の元を訪ねる…。
【べらぼうナビ🔍斎藤十郎兵衛】
阿波蜂須賀家お抱えの能役者で、八丁堀地蔵橋に住んでいたとされる実在の人物です。
【べらぼうナビ🔍一橋治済】
治済はその後、寛政11年家督を譲って隠居、同日、従二位権大納言に叙任。
その後も文政3年に従一位、同8年に准大臣と栄進し、蔦重の死から30年後の文政10年に77歳で亡くなります。
【べらぼうナビ🔍挟み言葉】
定信が使ったのは、明和・安永の頃に深川で流行した「唐言(からこと)」と言われる言葉遊び。言葉の中に同段のカ行音を挟み込み、当人同士にだけ伝わるように会話をしたもので、恋川春町の『金々先生栄花夢』にも出てきます。
【べらぼうナビ🔍定信のその後】
定信が平蔵に命じて建設した更生施設「人足寄場」は現代の刑務所の先駆けとなりました。
また、「七分積金」政策は明治初期まで継続され、莫大な積立金は渋沢栄一によってのちに様々な事業(東京のインフラ整備・社会福祉など)に活用されました。
江戸のさまざまな職人風俗を描いた『近世職人尽絵詞』(文化3年頃)は定信の発案といわれ、絵は鍬形蕙斎(北尾政美)、詞書は大田南畝・誠堂喜三二・山東京伝ら戯作者たちが担当しています。
文学や絵画を愛好した定信の文化人としての一面が窺えます。