NHK公式【べらぼう】脚本を務めた森下佳子さんが、最終回を前に各話のこぼれ話を振り返ります。#大河べらぼう
べらぼう第48回「蔦重栄華乃夢噺」放送は12/14(日)。15分拡大版です。
第47回 饅頭(まんじゅう)こわい
まんじゅう怖い回です。この原稿を書いている今、いまだ放映はされておらず、再び「怒られる覚悟」をしながらこの原稿を書いております。そう、これが前述した途中で思いついたカラクリ部分の核の核、エンタメにガッツリぶりのところです。それがどういうものかは本編を見ていただくとして、せっかくなので当初考えていたプランについて記しておきたいと思います。記者会見に臨んだ時、私の頭の中にあったこのドラマの出口は、「蔦重がしかけたのは『写楽』ではなく『写楽の謎』」というものでした。資料をあたっていくうちに「謎って古びないなぁ」って思ったんですよ。今はもう「写楽は斎藤十郎兵衛である」と、一応の決着はついているにせよ、そこに行き着くまで「写楽は誰だ!という謎」に皆が想像力を掻き立てられ、当時の資料を漁りまくったわけじゃないですか。「斎藤十郎兵衛」という解まで含め「全部蔦重が織り込み済みでしかけた『謎』だったら面白いなぁ。もはやゲームじゃん」と思ったのが発端です。そしてソレこそが「今生であれもこれも潰されまくった蔦重が最後に放った一手」という仕立てです。その際、黒幕に対する具体的な鉄槌というのは下すつもりはなかったんです。鉄槌を下すのは歴史そのものというか。裏でどれだけ上手くやったとしても、卑怯な人の生き方は注目も浴びなければ、感銘を受ける人もいない。それが鉄槌、罰。世の中、リアルってそういうもんだし、それでいいじゃないか、と、思ってたんですよね。でも、書いていくうちに、世の中そういうもんだとしても果たしてそれが「面白いのかどうか」と考えたら、面白くないんじゃないかって。リアルがそんなもんだからこそ、束の間スカッとすることの方が大事って考えもあるんじゃないか。そんな葛藤が私の中でグズグズと広がりまして……。ま、そもそも、黒幕の方がここまで悪いってのがそもそもフィクションなわけだし(ないとは言い切れないけど)、コレは一生をかけ世の中を楽しませようとした蔦重という男の話でもあるわけだし、そんな蔦重に捧げる意味でも今回はもうそちらに振り切ろう!と、こうなった次第にございます。とはいえ、最低限の辻褄は合わせているので、お怒りの方にも「仕方ないな」と思っていただけたら、とても嬉しいです。
そうそう、Pがこの回の試写を見て、ポツリ。
「そうか。治済は家斉っていうリアルな傀儡ができたから、人形遊びじゃなく今度はお能をやり出したんですねぇ」と。
はぁあ!なるほどなぁ!私はこの一連における一種の謎かけ、そして、事後の保険として考えてこうしたのだけど、確かにそういう風にも考えられる。物語って不思議ですよね。最終的には書き手の思惑を離れ、それぞれの受け手の中で育っていく。しかし、中の方はどう考えて演じていたんでしょうね。機会があれば聞いてみたいところです。