シングルマザーの洗礼
この頃、世の中は2001年。就職氷河期の真っただ中だ。28歳の井後さんが何とか面接までこぎ着けると、必ずと言っていいほど聞かれることがあった。
「子どもさんが病気やケガになった場合は、預けるところありますか?」
「子どもさんが原因でいきなり休むってことはないですよね?」
その度に井後さんは、「預けるところはありません」と答えた。
すると案の定、
「会社としては急に今日休みますと言われても困ります。子どもさんを預けるところがないと採用は難しいですね」
と断られた。
そこへ追い打ちをかけるように、生活保護担当のケースワーカーからは、「早く(吉野家のパートからもっと稼げる他の)就職先を見つけてください」と毎月のように電話や自宅訪問があり、その度に「すみません」と頭を下げていた。
「母親失格」間違った選択
そして息子が小学校に通い出した初めての年、事件は起きた。
吉野家のセール期間中、店長と店長代行は絶対に仕事を休めない。店長は深夜勤務を担当し、店長代行の井後さんは日中の勤務を任せられていた。だが、息子が朝から高熱を出した。井後さんは迷った。
息子は「しんどい」と言いながら涙を流し、ぐったりしている。熱を測ると40度近く、息も荒い。
「もう、頭の中で、『何で今日に限って』とか、『重要勤務日なのにどうしよう』とか、『私が行かないと店が開けられない。損害を出してしまう』とか、『そんなことより子どものほうが大事じゃないの?』とか、1人でぐるぐるぐるぐる考えているうちに、どんどん冷静な判断ができなくなっていって、結果、私は仕事を選んだんです」
店に電話をし、ギリギリまで息子のそばにいて、どうしても出勤しなくてはならない時間前に寝かしつけると、後ろ髪を引かれる思いで家を出た。
昼のピーク時間の接客と、店長と店長代理しかできないレジ締め作業だけやって帰るつもりだった。
ところが、悪いことは重なるものだ。その日に限ってレジのお金が合わない。それも5万円という大きな金額だった。
「牛丼1杯約300円の時代に5万円も合わないっておかしいですよね? でも合わないと原因を究明しなくちゃならない。2時間くらいで帰るつもりが、結局、8時間経っていて、本部に連絡したら、おそらく他店から応援に来てた子が盗ったんだろうと……。それから頼み込んで店長に来てもらって、やっと帰ることができました」
慌てて玄関を開けると、息子が上がりかまち(靴を脱ぎ履きするための段差)のところで倒れて、鼻から血を出していた。
「ごめんね、ごめんね。長いこと苦しかったよね。あなたにもしものことがあったら、私には生きる価値はない。ママも一緒に死ぬから」
すぐに井後さんは息子を背負い、自転車に乗って救急病院に向かいながら、息子に謝り続けた。息子を診てくれた救急病院の医師は、開口一番こう言った。
「なんでこんな状態になるまで子どもを放ったらかしにしていたのか! もう少しで危ないところだったんだぞ」
井後さんは何も言えず、ひたすら涙を流しながら「ごめんなさい。本当にごめんなさい」と繰り返した。
高熱のため、自分で水分を摂ることもできなくなっていた息子は、ひどい脱水症状を起こしていた。しかし点滴を受けると、少し元気になった。
「私は何をやっているんだろう。母親として失格だ。生活保護をいただきながらなんとか生活できている状態だし、私は一人では何もできないんだなあ……」
帰り道、涙で前が見えなくなりそうになりながら、ひたすら自分を責めた。
「生活保護を早く卒業しようと思って焦りすぎていました。そもそも、息子とお金の心配をしなくていい生活を送るために生活保護をいただくようになったのに、息子を失ったら本末転倒です。自分が情けなくて仕方がありませんでした」
井後さんは、吉野家を辞めることを決意。そしてぼんやりと、
「子どもが突然病気になっても、迷うことなく病院に連れて行ってあげることができて、看病しながらでもできる仕事はないのかな?」
と思いを巡らせていた。