寂しいからつながる人間関係の話
寂しいから友達やパートナーが欲しくて繋がりを求める人は実は多い。仲良くなりたくてではなく、「寂しさを埋めてくれる人が欲しい」そんな人達。私はそんな人達の心を満たすためにXをやっているわけではないという話をする。
私がXをやるのは「絵をあげる場所」「私の好きな物を共有する場所」その二つを通じて「仲良くなれたら仲良くしたい場所」なのだ。それ以上の関係はない。貴方達(寂しがり屋さん)が計り知れない交友関係も相方(パートナー)もいる。だから「寂しさを埋めるだけ」の存在にはなれないのだ。例えば、私の交友関係が仮に全て無くなったとしても、「友達はほしい」から頑張りはするだろうけど自分の寂しいという気持ちは自分で満たして満足できるようになると思うし、今そう慣れるように自分を磨いている真っ最中だ。
人はいつかは去り、また別の誰かがやってくる。去る理由は論理感の欠如、価値観の違い、分かり合えないことから生じる別れ、死別と様々なれど、いつかは誰しもが経験をすることは避けられない。悲しみ涙を流すことは大事だ。しかしその度に気を病みすぎても仕方がない。私は時には強がりながらでも次に切りかえて進まないといけない人間なのだ。
ここ数週間で私の価値観は大きく変わった。Xの使い方も変わった。人は変わろうと思えば何歳になっても変われるのだ。多少は見ないふりをしてきた世界(X)ではあったけど、嫌なことされたら嫌だからやめてを言える人間になりたい。それでも話が通じないというか聞く気がない人間にはブロックで良いなとすら考えている。
あー今すごく後ろからトゲを刺してくる人居るなあ…でも、もう気にしてられないからさ。貴方達の心を埋めてくれる優しい人を見つけて幸せになってくれ。
余談。ヘッダー画像のこれ。私は昔からこういう構ってタグが苦手だ。ハッシュタグは都度変わるので、ミュートワードで避けられないのが辛い。構ってタグに構わなくてもこういう人達のランクはDEFだ。それが今の距離感。それ以上はない。仲良くなりたいなら仲良くなりにきてくれ。


コメント