たられば
あの時にこんなことを言われたなあとか、こんな会話をしたなあとか、もう一生会えないし、仲直りとかできっこないし、そんな思い出たちに深く入っては、もっとこうすべきだったとか、そうあるべきだったとかを考える。そんなたられば。
たられば。
たらればをしても過ぎた過去や発言は変えることはできないし、変えたい過去、消したかった過去。こうすれば、ああすればと、そんな仮定の話をしても仕方がないと嘲笑うのは俺の心だ。いや?実際どこかで言われたような、薄い記憶と音はトゲとして残っているわけだけども。それを仮想敵にするのもいい加減やめないといけないよな。
「考えても」「たらればも」
「仮想の話をしてもしょうがない」
「きりがないことだよ」
それでも、私は
誰かを守りたいし、誰かを想いたい。
期待するなって?大きなお世話さ。
私は私。
行動と言葉を振り返るということは、少しずつだとしても、同じ過ちを繰り返さない意味に繋がると考えているので、悩むことも考えることも、他者が他人のたらればを否定するのは違うのさ。
想像してみて。
否定する側が安全圏からはみ出して教育中のライオンに甘い餌をやっている。いつ何時そいつが牙を剥いて、貴方に襲い掛かるかは分からないということ。噛みつかれて、怪我をした時のことを考える。「噛み付くつもりはなかったと嘆くライオン」と、「そんなつもりはなかった」と貴方は悩むか、「ライオンが悪い」と怒る貴方がいる。たらればたられば…。
ま、これもあくまで空想ですけどね
誰かのたらればを止めるということは、責任を持つということ。深入りしないで見守る事も最善手だと理解した、そんな夜。
またひとつ自分を強くしちゃったかもね。


コメント