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Vol.020|治ったのではない、鈍ったのだ

『MONOLOGUE』は、エッセイのようでいてコラムのようでもある、そんな型に囚われない備忘録を兼ねたフリースタイル文筆を、毎回3本まとめてお届けするマガジンです。毎週月曜午前8時に定期更新。何かと思想強めですので、用法容量を守ってお読みください。

治ったのではない、鈍ったのだ

何の因果か、自分は精神疾患を抱えた人と関わることが多い。さすがにうつのどん底に沈んで、ベッドから一歩も動けませんみたいな人はそうそういないが、抗うつ薬や睡眠薬を日常的に服用し、絶妙なバランスを保ちながら日常生活を成り立たせているような人は、わりと知り合いに多くいる。

彼らを観察していると、いくつか共通した特徴が見られることに気付く。たとえば彼らは総じて感受性が高く、その感受性の高さをもって社会規範を内面化し、自縄自縛に陥ってるように見受けられる。

現代精神医学においては、この半ば暴走している感受性を薬物によって強制的に抑えこもうとする。現に彼らは一人の例外もなく何らかの薬を服用している。たしかに日常生活に支障をきたすほど事態が深刻なのであれば、それもまた必要なアプローチであろう。まずは生活を成り立たせないことには、治療もへったくれもないのだから。決して薬物療法なんてすべてまやかしだと言いたいわけじゃない。それが必要とされる文脈はたしかにある。

だがしかし、一方でこれだけは忘れてはならない。薬によって感受性を抑え込み、日常生活を送れるようになったとしても、それはあくまで「治ったのではない、鈍ったのだ」ということを。

以前、ある男性を中途採用した時のことを思い出す。彼もまた精神疾患を抱えた一人で、主治医からは休むように言われていたが、おもに経済面での困窮から休んでもいられず、知り合い経由でうちに応募してきた。

彼は面談時に正直に精神疾患のことを告げたが、とても精神疾患を抱えているようには見えなかった。はきはきと話し、表情は豊かで、やる気も感じられた。外部から押しつけられた「こうあるべき」から生じる自責思考が強すぎるきらいはあるなとは感じたが、それもまた他責思考の病理に冒された救いようのないカスよりも、よほど人間的に好感をもてる要因だったので、支援もかねて採用を決めた。

「真の弱者は救いたい姿をしていない」とは、医療・福祉界隈における格言だが、その意味で彼は弱者ではなかったように思う。救いたい姿をしていた彼は、弱者であって弱者でなかった。

結論から言うと、出社日から二日後に彼は飛んだ。諸々の手続きがあるので、彼の自宅へと出向いたところ、そこに彼はいなかった。不在だったわけじゃない。生物としての彼はたしかにそこにいたが、個体としての彼はそこにはいなかったのである。

床中にばらまかれた何十種類もの大量の薬、部屋中に充満する鼻を突き刺すような異臭、そんな異様な空間でまったくろれつの回っていない「ごめんなさい」をまるで壊れたテープレコーダーのように繰り返し、寸分違わぬ動きで何度も何度も頭を下げ続ける無表情の彼は、もはや彼であって彼でなかった。もう一度言う。そこに、彼はいなかった。

もちろん彼を責めるつもりは毛頭ない。事情は理解できるし、人間、生きていればそういうこともある。会社としておもに採用コストにまつわる一定の損失がでたのは事実だが、こちらもそういうリスクは込みで採用に踏み切っているわけだから、彼を責めるのはお門違いというものだ。ましてや、そんな異様な姿で謝罪を繰り返す彼を、どうして責め立てることができようか。

「こちらはまったく気にしていないので、自分自身のことだけを考えてください。社会的なセーフティネットをフル活用して、まずは生活を立て直すことを最優先に考えてください」と、できるかぎり真摯にアドバイスしたが、ただでさえ朦朧とした意識を自責の念に埋め尽くされてしまった彼の耳には、まるでその声は届かなかった。

別人と化した彼の姿を見て、「治ったのではない、鈍ったのだ」をますます強く確信するに至ったのは言うまでもない。

魂の慟哭こそが唯一にして絶対の真実

あなたにはあなたの本来もっていた感受性があった。その感受性は非常に鋭いもので、愚鈍な感受性の人間たちが、我が物顔で大通りを闊歩しているこの社会をサバイヴするには、あまりにもベリーハードモードであった。

ましてやいたるところにトラップが仕掛けられ、理不尽な死にゲーであるこの人生ゲーム。こんなのクリア不可能だろと心が折れたあなたは、難易度を下げることにした。薬を服用して感受性を無理矢理抑え込むことによって。

難易度を下げることで、止まっていた人生ゲームは、無事に進み始めたかのように思えた。人並みに仕事をこなすことができるし、当たり障りがなければ人付き合いもできる。休日は疲れ果てて体を休めることしかできないものの、一応は生活もちゃんと成り立っている。はたから見ればどう見ても人生ゲームをやっている。着実に人生ゲームを進めているように見える。

ところが、あなたの中には絶えず拭いがたい違和感がつきまとう。頭にはもやがかかり、まるで自分が自分じゃないような、やるべきことをやらずに自分をまっとうできていないような、そんな感覚が常につきまとう。これならあのうつのどん底で必死でもがいていた時期のほうが、まだ自分であれたような気さえしてくる。

実はその違和感こそがすべての答えなのだ。自己の深いところから湧き上がる叫び声、すなわち魂の慟哭こそが唯一にして絶対の真実。その真実性に比べれば、現代精神医学なんぞ気休めでしかない。世の多くの人は無邪気に医学の無謬を信じ込んでいるが、本当に無謬であるのは魂の慟哭のほうである。

あなたにはあなたのプレイすべき人生ゲームがあった。それはたしかにベリハモードであったかもしれない。けれども、ハードモードのクリア後にしかベリハモードの選択肢が表れない仕様がごとく、あなたにはその挑戦に足る資格が与えられたからこそ、あなたの人生ゲームはベリハモードなのである。

にもかかわらず、あなたは難易度を下げてしまった。本来もっていた鋭い感受性を薬によって抑え込み、自己へと社会を服従させるべきところを、社会へと自己を服従させることを選んだ。となれば、拭いがたい違和感がつきまとうのも当然である。われわれがプレイするこの人生ゲームの目標とは「自己の確立」にあり、本来プレイすべきモードでプレイせずに、自己から目を背け続けているのだから。

本来ベリハモードをクリアできる実力があるのに、ノーマルモードをプレイしていても、決してプレイヤースキルは成長しない。そんなのは時間の無駄であって、なんなら腕が落ちるまである。

「神は乗り越えられない試練は与えない」というが、あれはまぎれもなく真実である。反発したくなる気持ちはわからなくもないが、それは神をどこかで人格神として捉えているからそうなるのだ。立派なひげをたくわえた巨大なじじいが、あなたに向かって杖を振り下ろし、理不尽な試練を発生させている、大なり小なりこういうイメージをもっている。

そうではなく、神とは法則である。その法則の背後に垣間見える意志という意味では、人格神として捉えられなくもないが、はじめから人格神として捉えると神の姿を捉えそこなってしまう。神とは機械的に働き続ける法則であり構造である、まずはそう捉えることが神への謁見への第一歩となる。

スミレの種を蒔いて水をやれば、スミレの花が咲く。当たり前だ。スミレの種を蒔いているのに、ひまわりが咲いてはカオスである。そうしたカオスな状況に陥らないのはなぜかというと、自然法則という秩序があるからだ。この無数に存在する法則の集合体が神である。

そして、法則すなわち神であるがゆえに、神はすべてを内包し、すべてを公平に貫く。誰一人として見落とされることがないのは、神が法則として顕現しているからに他ならない。

あなたに鋭い感受性が与えられたのも、結果として人生がベリハモードなのも、そうした法則に貫かれた結果である。つまり、原理的にあなた以上のものがあなたに降りかかるはずがないのだ。その意味では理不尽なんて概念は存在しえない。これはスミレの種を蒔いて、ひまわりが咲くことがないのと、まったく同じ理屈である。それゆえ「神は乗り越えられない試練は与えない」は真なのだ。

誰一人としてこの言葉の真実を理解していないが、この言葉が指し示すのはちゃちな精神論なんかじゃない。厳然たる法則に裏打ちされた構造論である。構造論なのだから、本来は反発もなにもない。そういう構造であることに、文句を垂れてどうすんだと。自分の眼にはそれこそスミレの種を蒔いているのに、ひまわりが咲かないことにキレ散らかしているようにしか見えない。

反発するもしないも最終的には当人の自由だけど、自分は知性だけ携えて、この小さな頭蓋の中で神の偉業を理解してみせる。

薬による自己の連続性の喪失

いい機会だからこれも述べておこう。冒頭で触れた彼の例からもわかるように、人の意識というものは薬によって大きく変容しうる。時として別人と化してしまうほどに。

もうだいぶ前のことなので、どこで読んだか忘れてしまったが、たしかどこぞのメンクリに寄せられた体験談だったと記憶している。発達障害を抱える男性から寄せられたもので、いわく特定の薬を服用することによって、頭の中が静かになって世界がクリアになる体験をしたのだという。

こうした体験そのものは、さほど珍しいものではないが、興味深いのはここからだ。彼が一連の体験を通じて感じ取ったのは、健常者が見ているであろう世界への羨望でも、もっと早く服用しておけばよかったの後悔でもなかった。彼はこの体験を通じて「自分の意識というものが、いかに肉体の反応にすぎないのかがわかって虚しくなった」のである。

こういう解釈をする人はそう多くはないだろうが、これほどまでに鮮烈に自己の連続性が失われてしまっては、無理もないなとは思う。帰納的に考えればそりゃそうなる。むしろ、至極まっとうな結論だといえる。

けれども、覚えておいてほしい。帰納的推論では絶対に真理にはたどりつけない。現に科学がそうだろう。科学は帰納的推論に立脚しているが、後の発見によって結論が覆るなんてことはざらにある。帰納的推論ではどこまでいっても仮説の域をでないのだ。その仮説がわれわれの生活をたしかに便利にしているので、あたかも絶対的な真実であるかのように思えるが、厳密には確からしさが無限に高まっていくだけで、真理には届かないのである。

一方で真理にたどりつける可能性があるのが、演繹的推論である。自分は「人の意識は肉体を超えたもの」の前提を採用しているので、同じ現象を観察しても演繹的推論によって、まったく異なる結論を導く。ちょうどこんな風に。

肉体を楽器、意識を演奏者にたとえるとわかりやすい。あなたとは演奏者であって楽器ではない。楽器を通して自己を表現している演奏者があなたである。が、しかし楽器の状態に演奏のクオリティは左右される。弦が切れていれば、ろくに演奏もままならないだろう。だからといって、楽器イコールあなたではない。あなたはあくまで演奏者である。

薬によって意識が変容したということは、すなわち演奏者の交代を意味しない。また演奏者の不在を意味するわけでもない。ただ楽器の状態が変わっただけだ。楽器の状態が変われば当然演奏も変わる。たとえそれがこれまでとまったく違う演奏であったとしても、演奏者の交代や不在を意味するわけではないのである。

もちろんこうした解釈は、証明しようがないものだ。哲学者のカール・ポパーは、この証明しようのなさを反証可能性と呼んだことで知られるが、逆説的にいえば反証可能性がない演繹的推論だからこそ、真理に届きうることを忘れてはならない。

前提が誤っているならば、つまり今回でいえば「人の意識は肉体を超えたもの」の前提が成り立たないのであれば、結論もあさっての方向にいってしまうのが演繹的推論の怖さでもあるが、それだけリスキーだからこそ真理に届きうるともいえる。帰納的推論はあさっての結論を導くリスクは低いものの、先ほども言ったように決して真理には届かない。どちらが優れている劣っているではなく、それぞれ一長一短である。

かの有名なデカルトの「我思う、ゆえに我あり」は、自分に言わせれば「我奏する、ゆえに我あり」となる。我とは楽器ではなく、あくまで演奏者なのだから。

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