Vol.019|最大のライフハック
『MONOLOGUE』は、エッセイのようでいてコラムのようでもある、そんな型に囚われない備忘録を兼ねたフリースタイル文筆を、毎回3本まとめてお届けするマガジンです。毎週月曜午前8時に定期更新。何かと思想強めですので、用法容量を守ってお読みください。
ブロガー界隈におけるカスの文化史
東洋経済の『「年収5500万から生活保護へ」元人気ブロガーがどん底で見た景色』を読んで、いろいろと思うところがあったので書いてみたい。
立花氏の名前も、立花氏が運営するブログ『No Second Life』も、その名を目にしたのはいつぶりだろうか。上掲の記事内容から推察するに、十数年ぶりとかそういうレベルで目にした気がする。そういやこんなブログをこんな名前の人が運営していたなと、なんだか懐かしい気持ちになった。
当時、自分はブロガー界隈を遠巻きに眺めていた。自意識をこじらせた若人たちが、必死な形相で自己正当化しながら仲間内で褒め称えあい傷を舐め合う、それはさながら恋愛リアリティショーならぬ自意識リアリティショーとでも呼ぶべきもので、実に興味深いショーであった。ぬるま湯という地獄の釜の蓋を開けた彼らはどこから来たのか、何者なのか、どこへ行くのかと、ゴーギャンばりに興味が尽きなかった。
ブロガー界隈は、いかんせんカスばかりであった。群れだって自分を正当化するぐらいしか能がないくせに、自意識だけは肥大化した典型的な何も為さない口だけのカス。当然ながらそんなカスムーヴがいつまでも通用するほどこの社会は甘くないわけで、数年も経つとその大半がネット上から姿を消してしまった。その間に発生したわずかな広告収入を後生大事に抱えて。
そうしたカスどもの中心にいたのが、「まだ東京で消耗してるの?」のパンチラインで一世を風靡したイケダハヤトことイケハヤ氏である。年収150万で生きていくと豪語し、当時はまだ珍しかった地方への移住を大々的に打ち出したりと、周囲に群がっているのは救いようのないカスどもとはいえ、やはり中心で教祖ポジを築いているだけあるなと、そう感じさせる何かをまとった人物であった。
あの頃は界隈の誰もが良くも悪くも彼に注目していた。時代の寵児、というには狭すぎる界隈ではあるが、界隈ではまず知らぬ者のいない人物だったと言い切って差し支えないだろう。
個人的にはイケハヤ氏の全盛期はこの頃で、仮想通貨ブームに乗っかりだしてからすべての歯車が狂い始めたように思う。結局、彼もまた資本主義には抗えなかったのだ。天性のアジテスキルも予後を悪くしてしまった一因である。あれほど前途有望なクリエイターだったのに、いつのまにやら妖怪銭ゲバ河童と化してしまった。電子空間を漂いながら、延々と情弱アジテで小銭をかき集めるだけの妖怪。妖怪区分的には小豆洗いなんかと同じである。
どうやら最近はAI技術の隆盛もあいまって、かつてのクリエイター気質を取り戻しつつあるようだ。だが、一度オワコン扱いされてから返り咲くのは、容易なことではない。少なくともあの頃の勢い、世界の中心でAIを叫ぶかのような勢いは、もう二度と取り戻せないものと思われる。そういう奇跡的な復活劇を為せるのは、あらゆる業界を見渡しても芸人の有吉ぐらいのものである。
それから今これを言ってしまうと、後出しジャンケンに映ってしまうであろうことは重々承知しているのだけど、ゆる言語学ラジオで一躍名を馳せた堀元見氏は、そうしたカスばかりのブロガー界隈の中でも、当時からやはり異彩を放っていたように思う。ぼくが考えた最強の○○という、愚にもつかないこたつ系オピニオン記事を量産して悦に浸るカスばかりの中で、堀元氏だけは愚直に頭と手を動かし続けていた。
加えてあの膨大なインプット量である。考えれば考えるほどに、今の成功が必然の結果に思えてくる。氏はおそらく天才型ではなく秀才型なのだろう。生まれもった天性のセンスで勝負するというよりも、愚直に頭と手を動かし続け、興味に裏打ちされた大量のインプットをこなす過程で、着実にクリエイターとしてのセンスを育んできた秀才型。左ききのエレンでいえばエレンではなく光一。
そして、今や天才型のクリエイターすらも模倣できない茶化し茄子という独自のポジションを築くことに成功し、唯一無二のクリエイターとなった。
一方的かつ遠巻きに見てきただけの身ではあるけれど、そうした〝気骨ある〟生き様には深く共感しているし、クリエイターとしてはもちろんのこと、一人の人間として敬意を抱いている。あってないような支援を兼ねて、note上で有料マガジンを購読している数少ないクリエイターの一人だ。
最大のライフハック
立花氏に話を戻そう。そんなブロガー界隈の住人の一人であった立花氏に対して、当時の自分がどんな印象を抱いていたかというと、率直かつ簡潔に言わせてもらうならば「おもんな」である。立花氏が書くライフハック系の記事は、よくはてブを中心にバズっていたが、自分は一つも面白いとは思わなかった。
ライフハック系記事のウケがいいのは理解しているものの、そこにつきまとう耐えがたい欺瞞臭に、自分の感性という鼻はひん曲がりそうだった。この鼻を突き刺すような異臭がおまえらにはわからんのかと、当時から不思議でしょうがなかった。
当時は漠然と感じていただけだったが、今ならばその欺瞞臭の正体がはっきりとわかる。ライフハックの欺瞞とは、まさにそのライフハックにあることが。
数々のライフハックを駆使して、あれほどまでに成功したかに見えた立花氏が、なぜここまで転落してしまったのか。逆説的だがライフハックしたからに他ならない。最大のライフハックとは「ライフハックしないこと」であることにいつまでたっても気付けずに、小手先のライフハックに終始してしまった結果、人生における本当に大切なものを見失い、絵に描いたような転落劇に見舞われたのである。
冒頭の記事に対する反応をざっと眺めていると、固定費の上げ方を戒めているコメントが多かった。せっかく成功したのに調子こいて固定費を上げるからだバーローと。が、しかしそんなものは些末な話でしかない。そういう問題じゃないのである。何度でも言うが、立花氏の最大のしくじりは「ライフハックしたこと」にある。
ライフハックの問題点はいくつもあるが、最大の問題は近視眼的になってしまい、本当に大切なものを見失ってしまうことだ。ライフハックを駆使して、どれだけ効率のよい働き方を実現しようとも、そもそも働く意味ひいては人生の意味が自己の中に打ち立ててなければ、遅かれ早かれ詰んでしまう。
ミクロの視点では合理的な行動であったとしても、それが合成されたマクロの世界では、必ずしも合理的とはならない現象を経済学上の用語で合成の誤謬というが、人生のような複雑系のシステムにおいては、常にこの合成の誤謬がつきまとう。部分をハックしたとて、全体がハックされるとは限らないのである。むしろ、先述した近視眼問題もあいまって、ほぼ確実に合成の誤謬が起きると考えてよい。
これは昨今何かと流行りのタイパやコスパ重視の生き方にも、まったく同じことがいえる。本当にタイパやコスパを最大化したいのならば、それらに囚われずに自己の深いところから湧き上がる声に忠実に従うことだ。この逆説的な真理を悟ることができていないから、やたらとタコパ言ってるやつほどぺらっぺらで、人間的魅力に欠けるのである。
なお、ここでいうところのタコパとは、タイパ+コスパとたこ焼きパーティーとのダブルミーニングであることに留意されたい。
自分は人生のテーゼとして「Servus Dei(ラテン語で神の僕の意)」を掲げているが、フォーカスするポイントは実感をともなう範囲で、可能なかぎり遠くあるべきだ。他人には伝わらないだろうけれど、これぐらい遠くにフォーカスできていれば、それ以下の構造は別に意識せずとも自然と整っていくものである。
存在論的不安に目覚めたあの日のこと
存在論的不安とは何か。これは哲学の文脈で用いられる用語で、人間が自己の存在そのものに対して感じる根源的で本質的な不安のことを指す。「自分はなぜ存在しているのか」、「世界における自分の意味は何か」「死とは何か」といった、答えの出ないような深い問いから生じる不安のことである。
一般的な不安と存在論的不安は、言葉上は同じ不安という括りではあるものの、質を異にしている。
たとえば一般的な不安は常に「未来」を指向する。試験に落ちるかも、仕事がうまくいかないかも、病気になるかも、など。一方で存在論的不安は「いまここ」を揺るがす。まるでこれまで立っていた土台が突如として崩壊し、底の見えない穴へと真っ逆さまに落ちていくかのような、そんな不安に襲われる。
対象の有無にも違いがある。一般的な不安には対象(試験、仕事、対人関係など)があるのに対し、存在論的不安には対象らしい対象がない。しいていうなら対象は「存在」であるが、あまりにも曖昧模糊としている。
存在論的不安は、根源的で本質的な不安であるからして、本来はすべての人が抱えている。ところが、この不安は文字どおり「存在」を揺るがすので、多くの人はそれに耐えることができない。直視することができないのである。それゆえ厳重に鍵をかけて心の奥底へとしまいこみ、見て見ぬふりを続けている。
その鍵が外れる瞬間というのがあって、わかりやすいのは近しい人の死や、自らが死の危機に直面した時がそう。信じていた宗教団体に裏切られる、パワハラで退職へと追い込まれるなど、自らの価値観や信念、アイデンティティが否定された時にも起こりうる。あるいは宇宙の構造に触れた時のように、そのスケールに圧倒された時に起こる人も中にはいるだろう。
このように、普通は何かしらのきっかけがあって存在論的不安に目覚めるものだが、自分の場合は突然それに襲われた経験がある。
幼少期のころなので、さすがに詳しい時期は覚えていない。たしか小学校低学年のころだったと思う。両親といっしょに寝ている部屋で、夜中にふと目が覚め、しばらく寝ぼけていた後にふと母親の寝顔に目をやった瞬間に、何の前触れもなく「それ」は襲ってきた。
「怖い。この世界が怖い。自分がいなくなっても、何の変哲もなく回り続けるこの世界が怖い。今こうして自分が怖がっていることすらも、世界にとっては無意味。母親と自分、その親子という関係も世界にとっては無意味。今過ごしているこの部屋という空間も無意味。なんだ……なんなんだこの世界は……あ”ぁあ”あ”ぁあ”あ”あぁぁ!!!!」
当時はまったく言葉にならなかったが、あえて言葉にするならそういう感覚。声にならないのに、全力で叫んだ。今振り返ってみると、あれは存在論的不安の目覚めだったのだと思う。
先ほど何の前触れもなく、と書いた。たしかに襲われたタイミングそのものには、前兆らしき前兆はなかったものの、背景には心当たりがないわけではない。というのも、当時は重度の喘息に悩まされていたので、死は身近とまでは言わないまでも、無縁のものではなかったのだ。呼吸はもっとも基本的な生命活動であるがゆえに、その呼吸が満足にできなければ、嫌でも死を連想してしまう。呼吸が乱れることによって、半ば必然的に自己の内面へと意識が向いたのもある。
こんなわけのわからない体験をしているのは、自分ぐらいのものじゃないかと思っていたけれど、どうやらそういうわけでもなさそうだ。決して多くはないものの、大なり小なり似たような経験をしている人を何人か知っている。
興味深いのは、彼ら存在論的不安に目覚めた人というのは、みな哲学者の風情をその身にまとっている、ということだ。世間に迎合することなく、世界と対話し続け、どこまでも自己であろうとしている。存在論的不安に目覚めているか否かは、哲学者として欠かせない素養なのだ。
そう考えると、今こうしてまるで一般ウケしないであろう誰得な文章を書いているのも、幼少期に経験したあの存在論的不安の目覚めと地続きなのだろう。なんせこちとら幼少期から哲学者をやらせてもうてるわけで、年季が違うのだよ年季が。


