1945年8月の終戦後、熊本から旧満州(現中国東北部)に入植していた「来民開拓団」は現地住民の襲撃を受け、集団自決の末、276人が死亡した。被差別部落の出身者を中心に編成され、貧困や差別の解消を願って海を渡ったとされる。地元には今も、悲劇を伝える紙芝居が残る。8月には慰霊行事が行われ「戦争と差別がない平和な社会」の実現を祈った。
「満州に行けば差別はなくなる」。開拓団遺族会の森山英治会長(70)は、地域の有力者らが当時、こう勧誘したと語る。「渡った多くの人は、(結婚などで)差別される苦労を子にさせたくなかったのだろう」
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