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Vol.024|我慢する労働者vs無職界隈の民

『MONOLOGUE』は、エッセイのようでいてコラムのようでもある、そんな型に囚われない備忘録を兼ねたフリースタイル文筆を、毎回3本まとめてお届けするマガジンです。毎週月曜午前8時に定期更新。何かと思想強めですので、用法容量を守ってお読みください。

我慢する労働者vs無職界隈の民

働かなくても問題なく暮らしていけるのであれば、そりゃあ誰だって働きたくない。そう考える人が大多数だからこそ、FIREなんて概念がこれだけ市民権を得ているわけで。

興味があれば各位調べてみてほしいが、現にあらゆる調査において、日本人の労働意欲は世界最低水準であることが示されている。一例をあげると、2024年に実施されたギャラップ社による調査では、日本の「仕事に対して意欲的かつ積極的に取り組む人」の割合はわずか6%という、世界最低水準にとどまっている。

一昔前であれば、だいぶ風当たりの強かった無職も、いまや一つの界隈として成立する時代である。

そんな無職界隈に住まう人々の声にじっくりと耳を傾けていると、ある興味深いことに気づく。彼らは働きたくないでござる、絶対に働きなくないでござると、往年の剣心ミームばりに声を大にして叫ぶが、その実、決して働きたくないわけではないのである。彼らは怠惰でどうしようもない人間だから働きたくないわけではなく、労働につきまとう他者からの強制や、社会的な貢献がなされていないことに対して、人一倍我慢ならないだけなのだ。

いや、そもそもその態度がどうなんだと。みんな我慢して労働してんだよと。なるほど、そういう考えもあるにはある。むしろ、以前よりもだいぶ無職へ向けられる冷たい目線が温まってきたとはいえ、まだまだそう考える人のほうが圧倒的に多数派だろう。

もちろんあなたがたがどんな考えをもとうが自由だ。ヴォルテールに倣って、自分はあなたがたの考えには反対だが、あなたがたの思想・良心の自由は尊重しよう。

しかしながら、少なくともそうした考えは時代的ではない。戦後復興の頃であればまだ話はわかる。国民が一丸となって焼け野原から復興を目指さなければならない激動の時代において、「命令されるのとかマジ無理っす」みたいな悠長なことを言ってるやつは、社会から排斥されてもしかたがない。明治時代から連綿と続く個を育もうとしない画一的な教育システムが、戦後復興に向けて非常にうまく機能していたのは、疑いようのない事実である。

ところが、こうした個を育もうとしない画一的な教育システムは、現代においてはもはや当人の可能性を閉ざす呪いと化してしまっている。「個性を育む教育」などとご立派なお題目を掲げてはいるものの、結局は理念倒れに終わってしまっており、あいもかわらず個がまるで育まれていない。

結果として、あらゆる分野でイノベーションが抑制され、日本は世界に対して大幅に遅れをとってしまった。一時はジャパン・アズ・ナンバーワンとまで言われていたというのに、絵に描いたような凋落ぶりである。

「みんな我慢して労働してる」なんてのは、個がまるで育まれていないことを示す何よりの傍証である。みんな我慢してるからなんなんだと。みんなとやらはどうだっていい。お前自身はいったいどう考えてんだと。みんながどうあれ、そうあると決めたのはお前だ。これはお前が始めた物語だろ。

我慢する労働者と無職界隈の民、はたしてどちらのほうが時代的で、どちらのほうが個が育まれていると言えるのか。明らかに後者である。いかにも世間様が好きそうな、たとえば年収で比較するならば、無職界隈の民は比べるまでもなくぼろ負けである。だが、この二つの軸で比較するならば、無職界隈の民にはるかに軍配が上がる。そして、人生においてクリティカルな影響を及ぼすのは、年収なんぞではなくこの二つの軸である。

無職界隈の民は、ユニークな人間が多い。無職だからユニークというではなく、無職という構造からの逸脱、すなわち非属こそが個を育み、個が育まれているからこそ、彼らはユニークなのである。

これはたとえば不登校なんかにもまったく同じ理屈が当てはまる。不登校を経験している人と接していても、ユニークだなと感じることがよくある。ちなみに我慢する労働者と接していてユニークだなと感じたことは、これまで一度たりともない。一度たりともだ。(このあたりのテーマについては、以前書いた『知性は〝非属〟に宿る』も参考されたい)

一度も非属を経験していない人間の唱える言説のなんとつまらないことだろうか。そんなものはもはや言説ではない。吐瀉物である。歪んだ構造から摂取した価値観を、ろくに自己内で消化できずに自己外に排出された吐瀉物。そのくっせえ口を今すぐ閉じろ。

実質、吐瀉物であるにもかかわらず、それが吐瀉物であることに当人は気づけないのが、なんとも厄介きわまりないところだ。

武器としての「主張」と「離脱」

社会や組織を変革しようと思った時、われわれ小さな個人がとりうる手段は大きく分けて二つある。一つは「主張」、もう一つは「離脱」である。つまり、何かがおかしいと感じるならば、おかしいものはおかしいとそう主張し、その主張が通らないようなら離脱せよ、ということだ。

その意味で、無職界隈の民がやっていることは、至極まっとうだといえる。彼らはこのブルシット・ジョブにまみれた社会に対して、そんな社会は間違っていると声高らかに「主張」し、そんな社会に与するわけにはいかんのだと、その身をもって労働市場から「離脱」しているのだから。構造とその歪みがあまりにも巨大なので、象と蟻の戦いの様相を呈してはいるものの、手段としてはまっとうだといえる。

われわれが強く心に刻んでおかなければならないのは、歪んだ構造に対して「主張」も「離脱」もしないのは、もはやその歪みへの加担であるということだ。歪みを歪みとして認識しているにもかかわらず、何もしないというのは傍観ではなく加担なのである。

認識できていないのであれば、まだ情状酌量の余地はある。だが、認識できているのならば話は別だ。その自覚が罪悪性を一気に引き上げる。人によってとれるリスクは異なるので、できる範囲でかまわない。「主張」と「離脱」を用いて歪みを是正していかなければらない。決して傍観者になってはならないのである。それは歪みを認識しうる者の責務でもある。

われわれ小さな個人がどんなに「主張」と「離脱」をしたところで、結局何も変わらないんじゃないか、そう思うかもしれない。残念ながらそれはそう。その構造と歪みが巨大であればあるほど、われわれ小さな個人の影響力は、相対的に小さくなっていく。それに応じて変革できる可能性も低くなる。

歴史を紐解けば、小さな個人の「主張」と「離脱」が大きく社会を変革させた事例はたしかにある。黒人女性ローザ・パークスがバス座席の譲渡を拒否したことをきっかけに始まったバス・ボイコット運動しかり、ハリウッドの大物プロデューサーだったハーヴェイ・ワインスタインへの告発を受け、女優アリッサ・ミラノの呼びかけによって爆発的に拡がったMeToo運動しかり、可能性が閉ざされているわけではない。

けれども、そうした歴史に刻まれた英雄譚の裏には、埋もれてしまった無数の小さな個人の声があったことに思いを馳せるならば、とてもじゃないがそうした事例は枚挙に暇がないとは言えないし、われわれ小さな個人でも世界を変えられるんだと、無邪気にアジるわけにもいかない。

ただし、自己内の変革は別である。たとえ社会が一ミリも変わらなかったとしても、あなたがあなた自身の奥底から湧き上がる違和感に忠実に従い、「主張」と「離脱」をもって歪んだ構造と向き合ったというその事実、そしてその過程でたしかに育まれた自己。真に重要なのはこちらのほうで、極論かつ語弊を恐れずいえば、社会が変わるかどうかなんてのは二の次三の次なのであって、あくまでそれは結果論でしかない。

世の多くの人が歪みを歪みとして認識できず、それゆえ「主張」も「離脱」もできずにいるのはなぜか。個がまるで育まれていないからである。個を育もうとしない教育システムの中で育ち、そうやって育った没個性な人間で構成された社会に適応するからだ。

個が育まれていないがゆえに、自己の中に確固たる〝べき〟がないのである。歪みを歪みとして認識するためには、まず自己の中に確固たる〝べき〟が打ち立てられていなければならない。歪みとは自己の中に打ち立てられた〝べき〟と、現実がどうあるかとの差分だからである。

この点を鑑みても、無職界隈の民の個が一定育まれているのは明白である。でなければ、そもそも歪みを歪みとして認識できず、「主張」も「離脱」もできないのだから。

労働を超えて

労働または仕事を考える上で、多くの人が見落としがちなキーワードがある。ずばりそれは「らしさの発揮」。これがごっそりと抜け落ちてしまっているからこそ、誰も彼もが働くのが嫌で嫌でしかたないのである。

人はらしさが発揮されている時にこそ、自由を感じ取る。逆にらしさが発揮できていなければ、人は不自由を感じ取る。らしさの発揮と自由は切っても切り離せない関係にある。自由は自らに由ると書くが、字面によっても自己の重要性が示されているのである。

なぜ少なくない人が労働によって精神を病んでしまうのかというと、らしさが発揮されずに不自由の中を生きるからに他ならない。らしさが発揮されているならば、人はどれだけ長時間働こうが精神を病んだりなどしない。時間が経つのが遅いと感じることもない。むしろ、あっというまに時間が経ったように感じるはずだ。時間の経過を忘れてしまうほどの没頭、すなわちフローやゾーンと呼ばれる体験は、らしさの発揮とも密接に関わっている。

らしさがどの程度発揮されているかで、自分は労働または仕事を大きく三段階に分けている。

第一の段階はライスワーク(Rice Work)で、らしさがまったくといっていいほど発揮されていない、ただただ生活を維持するためだけの労働である。多くの人はこのライスワークに従事しており、自己が疎外されてしまっているがゆえに、精神を病んでしまう人が後を絶たない。ちなみにたとえ高収入であったとしても、労働が原因で精神を病んでしまうようならば、それはライスワークへの従事を意味している。

第二の段階はライフワーク(Life Work)で、らしさがある程度発揮できているため、この段階にいる人は大なり小なりやりがいをもって働くことができている。この段階から労働ではなく仕事となり、ライフワーク初期においては「まあ仕事は嫌いじゃないかな」ぐらいのものだが、らしさがますます発揮されてライフワーク後期になってくると、仕事とプライベートの区別はなくなり、すべてが自己実現のためのプロセスとして統合されていく。

第三の段階はライトワーク(Light Work)で、この段階にいる人はかぎりなくらしさが発揮された結果、もはやらしさの発揮を超越し、使命感に目覚めてただただ大いなる何かに従って仕事をしている。らしさが洗練されていくと、ある段階かららしさを超越するのである。結果として誰よりもらしさは発揮されているものの、当人の中にこれまであった「らしさを発揮したい」の思いは、きれいさっぱり消え去っている。それが自分に与えられた役割だからまっとうするのみ、そんな感覚の中で自然体で仕事をしている。

実際にはそれぞれの段階はグラデーションになっているので、こんなにきっちりと分けられるものではないが、おおよそ自分が今どの段階にいるのかを判別する指針にはなるかと思う。

注意してほしいのは、これはあくまでらしさの発揮に焦点を当てたものであって、仕事内容は別に問うていないということだ。

たとえば自分が好きな哲学者の一人に沖仲仕の哲学者ことエリック・ホッファーがいる。

自伝によれば、ホッファーは幼少期に原因不明の失明を経験、十五歳の頃に奇跡的に視力を取り戻して読書に没頭するも、正規の学校教育は一切受けていない。七歳の頃に母親を、十八歳の頃には父親を亡くし、十代にして天涯孤独の身になっている。その後はロサンゼルスの貧民窟でその日暮らしの生活を始め、二十八歳の頃には多量のシュウ酸を飲んで自殺未遂を図っている。

そして、流浪の末にたどりついたのが沖仲仕、つまり船舶内で貨物の積み降ろし作業に従事する湾岸労働者としての仕事だった。彼にとって沖仲仕は、生活の糧を得る場所であったのと同時に、思索に耽る場所でもあった。それゆえ「沖仲仕の哲学者」と呼ばれている。

生活の糧を得るための湾岸労働と聞くと、いかにもライスワークの印象をもつかもしれない。実際に多くの沖仲仕にとっては、そうだったのだろう。けれども、「沖仲仕ほど自由と運動と閑暇と収入が適度に調和した仕事はなかった」と述懐しているところを見るに、ホッファーにとってはそうではなかった。ホッファーにとって沖仲仕の仕事は、少なくともライフワーク以上のものだったのだ。

このように同じ仕事に従事していたとしても、人によってどの段階にいるかは変わってくる。

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