デッドマンズ アーカイブ   作:地下ピ

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いつも読んでいただき、誠にありがとうございます。
今回は14000字です。


覆面水着団

「さぁーて……どうしよっかなぁ~?」

 

崩れた段ボールの影に腰を下ろし、ホシノが気怠そうに、それでいてどこか楽しげに吉良を見下ろしていた。

 

「……フン。」

 

吉良は立ったまま、スーツの裾を払い、深くため息を吐く。

 

「このわたしにどうしろと? 今からガキのごっこ遊びに付き合えとでも言うんじゃあないだろーなァ?」

 

「うへ~、ごっこ遊びかどうかは……そのうち分かるんじゃない?」

 

ホシノは笑みを浮かべたまま、端末を取り出して見せつける。

 

「はいこれ。ブラックマーケットで働く“カイザーローンの営業職員”さんが、闇銀行で現金をやりとりしてるとこ、バッチリ撮影済みっと。これ、連邦生徒会に送っちゃおうかな~?」

 

吉良はそれを一瞥するが、眉一つ動かさず、鼻で笑った。

 

「好きにすればいい。……どうぞ連邦生徒会にでもチクるといいさ。」

 

「……うん?」

 

ホシノの端末を見ても、吉良の態度は変わらなかった。むしろ鼻で笑いながら、さらに言葉を重ねる。

 

「だがキミたちアビドスは――今まで取り合ってもらえなかったんだろゥ? どんな証拠を持ち込もうと“今の”連邦生徒会に聞いてもらえると思ってるのかな、ン?」

 

挑発気味のその言葉に、ホシノの笑みがわずかにひきつる。

 

「言ってくれるじゃん……」

 

「事実さ。たとえわたしの名前を出したところで、“どこかの営業が勝手にやった”で処理されて終わりだ。カイザーグループにケンカ売るほど、今の連邦生徒会は暇じゃあない。お山の大将(連邦生徒会長)が不在の今、連邦生徒会は内輪の火消しで手一杯じゃあなァ。民間の弱小校が泣きついたところで、相手にもされんだろう。」

 

「アンタ、ほんっとムカつくな……」

 

「ならどうする? 殴るか? それとも、また泣きつくか?」

 

その言い草に、ホシノの目元がピクリと動く。

が、それよりも――

 

(ジャキ)

 

――乾いた音が、静寂を切り裂いた。

 

「ん……埒が明かない。」

 

いつの間にか、砂狼シロコの手には彼女の愛銃が構えられていた――迷いはない。

銃口は一直線に吉良の額をとらえている。

 

「脅してでも口を割らせる。」

 

"なっ!! 待ってシロコっ――!!"

 

「……よせ。そんな真似をしても、不利になるのはオマエたちの方だ。民間校の生徒が営業職員に銃を突きつけた、なんて報告が回れば──」

 

(パァン!)

 

先生がすかさず制止の声を上げるも虚しく――シロコが引き金を引く方が早かった。

 

弾丸は吉良の頬を掠め、背後のコンクリ壁に鋭く突き刺さる。石片が飛び散り、吉良の肩にパラパラと降りかかった。

 

「ッ……!!」

 

頬からにじむ血を感じて、吉良はほんの一瞬、時が止まったように動けなかった。

 

(コイツ撃ちやがった……!? 本当に撃ってきたぞ……ッ!?)

 

キヴォトスにやってきて早くも1週間とちょっとの吉良吉影

 

カイザーローンで働いていた経験もあり、この学園都市の情勢を多少なりと理解することができても、銃に対する価値観には――未だ理解をしきれていなかった。

 

──これは冗談の通じない連中だ。

 

吉良は心底思った。あの理事の陰険さすら可愛く思えてくる。

 

 

(かくなる上は──)

 

 

「わ、わたしはただの会社員です……!」

 

 

次の瞬間、吉良は頬を抑えてその場に崩れ落ちた。

 

「でも、もう……わたしは死ぬ……ッ!」

 

オーバーな動きでのたうちまわりながら、仰向けに倒れ込み、顔をしかめて大袈裟に叫び出す。

 

「こんなに……こんなに血が出てるッ! イ…イタいよォ〜〜〜ッ! バラバラになりそうに痛いよおおおお~~~~っ!!」

 

「んぐっ……」

 

シロコがたじろぎ慌てて手を伸ばすも、吉良はそれを振り払いながらのたうち回る。

 

「ちょっとシロコ先輩!先生が止めようとしてたのに、撃つとか……信じらんないって!!」

 

「あの人は先生と同じキヴォトスの外から来た人ですよ!! 銃の1発が致命傷になってしまいますっ!!」

 

"シロコ、いくらなんでも……撃っちゃダメだ。"

 

先生もシロコの方へ一歩近づき、少し厳しい口調で言う。

シロコは一瞬、息を呑むと視線を落とした。銃を静かに降ろし、ほんの少しだけ耳を垂らす。

 

「……ん、ごめん。」

 

短く、しゅんとした声が漏れる。

 

吉良はその様子を横目に見ながら、(しめた)と内心ほくそ笑んだ。

 

(ああ、これは使えるな。この流れ……悪くないぞ。)

 

「す、すみません……お怪我のほどは、大丈夫でしょうか……?」

 

十六夜ノノミが申し訳なさそうに近づいてくる。

 

(しめた。)

 

吉良の内心に、暗い笑みが浮かんだ。

 

(――まったく……ガキは扱いやすくて助かる。)

 

吉良は大袈裟に咳き込みながら、頬を押さえた。

 

「ダ、ダイジョウブなわけが……ないだろうッ!血が、血が……ハンカチ、だれかハンカチをっ……!」

 

『ほ、包帯がありますっ! すぐ消毒を!』

 

アヤネはドローンに搭載していた救急キットを展開し、セリカも「と、とりあえず止血だよねっ!?」と混乱する。

 

一方、シロコはといえば、まだ目を伏せたまま口を閉ざしていた。

 

(フン……ガキ相手にここまで取り乱すのは、大衆の面前で【赤っ恥のコキっ恥】を掛かされたよーでなんとも癪だが……まぁ、背に腹は代えられん。このわたしの唯一の目的は“静かに生きる”ことだからなァ。)

 

吉良は、頬に血をにじませたままわざと苦しそうにし、小さく口元を歪めた。

 

(このガキどもが欲しがってるのは、“情報”だ。なら、こちらは“命の恩”を受け取ってやるまで。うまく貸しにできれば……それも悪くない。)

 

「……協力、しよう。」

 

「えっ?」

 

ホシノが一歩前に出る。先生も目を見開いた。

 

「ただし条件が一つだけある……たった一つだけだ。この一件……絶対に外には漏らさないでくれ。私は仕事をクビになりたくない。私は……ただ慎ましく、“静かに暮らしたい”だけなんだよ。」

 

演技のようにでありつつも、そこだけは、彼の本心だった。

シロコが再び顔を上げ、その真剣な表情を見つめる。

 

――取引は成立した。

 

◾︎

 

『では、まず聞きたいことが…』

 

アヤネのホログラムがふわりと浮かび、赤いウェリントン眼鏡の奥で黄色い瞳が真っ直ぐに吉良を捉える。その目には、責任感と不安、そして決意が入り混じっていた。

 

『カイザーローンは私たちから受け取った利子で……一体何をしているんでしょうか?』

 

静まり返る空気に吉良はふっと、肩をすくめて答えた。

 

「……わたしがこの会社に入ったのは一週間前。そして、キミたちの担当になったのは今日この日だ。」

 

あくまで冷淡に、投げ捨てるように言う。

 

「つまりだ……会社の機密情報は何一つとして、わたしは知らない。」

 

首を横に振る動作すらも、どこか面倒くさそうだった。

 

『そう…ですか……』

 

その言葉に、対策委員会の面々は言葉を失う。唯一見つかった糸口が、いとも簡単に切れてしまったような脱力感に、皆が沈黙する。

 

だが──

 

「……あ!」

 

ぽん、と手を叩いて声を上げたのは阿慈谷ヒフミだった。

 

「さっき、吉良さんがサインしていた集金確認の書類……あれを見れば、何か手がかりになるんじゃないでしょうか?」

 

「ん、さすがだね。」

 

「おおー、ナイスアイデア~。さすがヒフミちゃん。」

 

「……それは確かに可能性としてはあるな。」

 

吉良は腕を組んでうなるように応じた──が、次の瞬間には軽く肩をすくめ、苦笑交じりに続けた。

 

「ただし……“その書類”は、闇銀行の奥、セキュリティのかかったカウンターに保管されているだろーな。下っ端のわたしにはコピーどころか、持ち出しの権限すらない。」

 

「……じゃあ、ダメなんですか?」と、アヤネ。

 

「少なくとも“正規の手段”ではな。」

 

(フン……最も、わたしにそんなリスクを背負う義理はどこにもない。あのクソ理事に睨まれれもすれば、即日クビだろーな……)

 

吉良の内心では、理不尽な上司の顔が脳裏をよぎっていた。命令は絶対、失敗すれば責任は全部現場。つい最近も、「顔が気に入らない」という理由で別部署に飛ばされた職員がいたのを思い出す。

 

(……あのクソデブめ。頭蓋骨に穴でも開けて中身を掃除した方が少しはマシになるだろーか……イヤ、オートマタにはそもそも脳ミソがないんだったな。)

 

口には出さないが、軽く奥歯を噛み締めた。

 

「それ以外に輸送車の集金ルートを確認する方法は…ええっと…うーん……」

 

シロコがホシノの方を向く。その目は鋭く、光を帯びていた。

 

「うん、他に方法はないよ。」

 

「えっ?」

 

「ホシノ先輩、あの方法しかない。」

 

「あ~~なるほど、あれかーっ。あれなのか~~~っ!!」

 

「あ…!! そうですね、あの方法なら!」

 

「何?どういうこと?…まさか、あれ?…私が思っているあの方法じゃないよね?」

 

セリカが眉をひそめる。

 

「……」

 

「う、嘘っ!? 本気で言ってるの?」

 

「先生、いいよね?」

 

"う~ん…アレをするのは私は避けたいんだけどね…"

 

「え、ちょ、ちょっと!皆さん!『あの方法』って何なんですか!?私、全然ついていけてないんですが……」

 

焦るヒフミの問いに、誰もが沈黙で返す。そして──

 

「残された方法は、ひとつ。」

 

シロコが再び覆面を手に取り、まるで決意を込めるように握りしめた。

 

「銀行を、襲う。」

 

「はいっ……は?はいいぃぃぃっ!?」

 

「はい、じゃあ悪い銀行を成敗しましょうね~☆」

 

阿鼻叫喚の中、アビドスの生徒たちは覆面を準備しはじめた。ヒフミは目を白黒させ、言葉が出ない。

 

「ごめん、ヒフミ。あなたの分の覆面は準備がない。」

 

「ええっ!? そ、そんな…! えっ、じゃあ、私はどうすれば…!?」

 

ヒフミは顔を青くしながらうろたえる。周囲ではすでに対策委員会の面々が着々と覆面を装着し始めており、今さら後には引けない空気が漂っていた。

 

「うへ~、ってことは、バレたら全部トリニティのせいだって言うしかないね~。」

 

「ええっ!?そ、そんな…覆面…何で…えっと、だから…あ、あう…… 」

 

「はいは~い、ヒフミさん♪ちょっとこっちに来てください☆」

 

ノノミが軽やかな足取りで近寄ってくる。手には、先ほど間食したたい焼きの入っていた紙袋。

 

「え……え? その袋、まさか……?」

 

「じゃーんっ。即席で“悪の幹部”っぽい覆面、作ってみました☆」

 

器用に袋の底を破り、目の位置に小さな穴を2つ。耳の通るスリットを入れれば、それなりに覆面の体裁を成していた。ノノミはそれをヒフミの頭にすぽんと被せた。

 

「わ、わわっ!? く、暗い……」

 

「うん、これでバッチリです♣︎ 紙袋仕様の即席覆面、完成です!」

 

「え、えぇぇぇぇ……」

 

「番号もちゃんと振っておいたよ。ヒフミちゃんは“5番”!」

 

「紙袋に手書きで“5”って……」

 

「ん、完璧。」

 

「見た目はラスボス級じゃない? 悪の根源だねー親分だねー。」

 

「ちょっ、ちょっとぉ!? 私、そんなつもりじゃ……!」

 

「うんうん、大丈夫大丈夫。親分なら堂々としてて~」

 

ヒフミはそのまま紙袋覆面を被ったまま、じりじりと後ずさるも、もう逃げ場はない。自分の立ち位置を受け入れたように、ぺたりとその場にしゃがみこんだ。

 

「あ、ああああ……私、明日からどうやって学校に行けばいいのぉぉ……」

 

ヒフミは罪悪感やら恥ずかしさからか、手で顔を覆ってしまった。

 

「問題ないよ!私らは悪くないし! 悪いのはあっち!だから襲うの!」

 

「ん、それじゃあ先生。例のセリフを――」

 

"みんな、銀――"

 

 

 

「……ちょっと待って。」

 

 

 

冷ややかな声が、場の空気を引き裂いた。

 

「銀行強盗……だと?」

 

振り返ると、吉良が腕を組み、鋭い視線をこちらへ向けていた。口元からは笑みが消えている。

 

「そう。書類は──」

 

「だめだね。」

 

シロコの言葉を遮り、低く、重く言い放つ。

 

「だめだめだめだめだめだめだめだめだめだめ!……成功すればいいとか甘っちょろいコトを考えてるんだろーが、もしマーケットガードにでも見つかったら、全員その場で拘束だ。最悪、カイザーローンからも信用がゼロだと判断されて違約金を払わされることになるだろーね。」

 

「でも、書類がないと証拠が…!」

 

『私たちの学校のお金が、違法な取引に使われているかもしれないんです!そんなの…っ』

 

セリカが食い下がり、アヤネも声を震わせた。

 

「……立場上、わたしが言うのもおかしな話だが、よく考えてみろ。」

 

吉良は深いため息をつき、わずかに眉をひそめた。

 

「……分かっているのか?オマエたちが突っ込んで無事に済む保証はどこにもない。ましてや“生徒”が関わったとなれば──」

 

吉良の視線が、先生のほうへ向けられる。

 

「アビドス高校そのものが“消される”理由になり得るんだぞ?」

 

そこにあるのは静かな怒りだった。だが、その矛先は生徒たちではない──カイザーのやり方に、そして自分にのしかかる理不尽な役割に向いていた。

 

「……わたしもこんな“仕組み”を作っている連中の言いなりになるなんて、真っ平ゴメンさ。まるで便器に張り付いている啖カスのよーな上司連中に毎日ペコペコするよーな行為自体もだ……だがな

 

苦笑が混じる。

 

「このわたしには、その勇気も正義感もない。“慎ましく生きる”、それだけだ。ただ、おとなしく給料をもらって、ただ静かに暮らしたいだけなんだよ。」

 

 

その言葉に、アビドスの面々が押し黙る。

 

「でも……!」

 

シロコが、目出し帽を外し、真っ直ぐに吉良を見据えた。

 

 

「それでも……そうだったとしても──私たちだって、守りたいものがあるの。

 

 

その静かな一言が、場の空気を揺らす。

 

吉良は黙ってその視線を受け止めた。後ろに控える生徒たちも、皆同じ目をしている。傷ついた校舎を、それでも守ろうとする目だ。

 

(……チッ。なんなんだ、コイツらは。まるでバカのよーに真っ直ぐで……)

 

守るべきもの──

 

(…分からない。記憶を失う前には、このわたしにも、大切な"何か"があったのだろうか……もし、その時だったなら、この生徒たちの気持ちが"心"で理解出来たのだろうか…)

 

その言葉が、彼の心の琴線に触れたのかは定かではない。いや、恐らく触れてなどいないだろう。重苦しい沈黙が流れる中、吉良は何かを考え込むように目を細めた。

 

一拍の沈黙。

 

そこに割って入ったのは先生の声だった。

 

"……えっと、私なりに提案があるんだけど――"

 

慎重な語り口で、先生は言葉を紡いでいく。

 

「今この瞬間、闇銀行には吉良さんがサインした書類がある。現金輸送車の集金記録……間違いないよね?」

 

"ああ、ただ……手に入れるなら今しかないだろーな。"

 

吉良はポケットから端末を取り出し、時刻を確認する。

 

「銀行の締めは午後6時。それ以降、書類は地下保管庫に移され、完全にアクセス不能になる。」

 

「今から……」ヒフミがちらりと空を見上げて呟く。

 

「正確に言えば、あと1時間45分だ。この時間なら、書類はまだカウンター内にある可能性が高いな。」

 

『でも、どうやって書類を……』アヤネの声に、不安が混じる。

 

吉良は職員証を取り出して見せた。

 

「わたしは一応、カイザーローンの“正規職員”だ。許可証もある。確認するだけなら──できない話ではないな。」

 

「でも、それじゃあコピーできないよね……」セリカが首をかしげる。

 

"ううん、それでいいんだ。"

 

静かに、しかし確信を持った声で、先生が前に出た。吉良の目の前に立ち、見上げるようにして彼の目を見つめる。

 

"折り入ってお願いがあります。S.C.H.A.L.Eの先生として、貴方に正式に協力を要請したい。……どうか私たちに力を貸してください。……お願いします。"

 

その言葉を聞き、吉良は空を見上げる。乾いた風が、首筋を通り抜けていった。

 

(……面倒なことになったな。)

 

それでも彼は、観念したように目を閉じ、そして小さく呟いた。

 

「……分かった。付き合ってやろう。今回だけだ。」

 

アビドス対策委員会の面々が驚き、そして安堵の息をつく中、吉良は一歩前に出た。

 

「ただし──勘違いするなよ。」

 

彼は真っ直ぐに先生を見た。

 

「わたしは、オマエたちの味方になったわけじゃあない。あくまで借りた恩とやらを返すだけだ。あの日、先生がわたしを助けた……その返礼、それだけだ。」

 

ゆっくりと職員証を胸ポケットにしまいながら、彼は皮肉混じりに笑う。

 

「こんなだが――一応、感謝してるよ、先生。……借りは、これで帳消しでいいな。」

 

先生が微笑みながら、静かに頷いた。

 

"困っているときは、お互い様……だよね?"

 

静かに──だが確かに、作戦の歯車が動き出した。

 

「フン……それじゃあ――」

 

 

 

"「作戦開始だ。」"

 

 

 

夕陽に染まりゆく砂漠の街で、アビドス覆面水着団の“静かな反撃”が幕を開けた──

 

 

■ブラックマーケット 闇銀行:エントランス前

 

 

「……よし。」

 

ガチャリ、と襟元を直しながら、吉良吉影はゆっくりと銀行の自動ドアをくぐった。

 

(ウィーン――)

 

自動ドアが開き、乾いた冷気と金属音が彼を迎える。闇銀行の重たい空気の中、その足取りは迷いなく、受付へと向かっていった。

 

「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件で――」

 

営業スマイルを映し出すディスプレイの裏、受付職員の反応が一瞬だけ遅れた。

 

吉良の顔を視界に収めたとたん、ディスプレイにノイズが走る。ほんの僅かなズレだが、その不自然さは明らかだった。

 

「……本日はどういったご用件で?」

 

表面上は丁寧に取り繕いながらも、声色には警戒が混じっていた。

 

(……やはり、“知っている”な。カイザーローンと闇銀行の繋がりは公にはされていないが、内部では共有されてる。だからこそ、こうして応対されるのも嫌がってるわけか。)

 

吉良は深く一礼し、慎重な口調で言葉を紡ぐ。

 

「申し訳ありません、先ほど提出した集金記録に――些細な不備があるかもしれません。念のため、確認をさせて頂きたいのですが……」

 

一瞬の沈黙。受付職員は無言で吉良の身分証を確認し、それを端末で認証した後、無言のまま集金記録の紙束を差し出した。

 

「……確認してください。問題があれば、すぐにお知らせください。」

 

「ありがとうございます」

 

吉良は自然な所作で記録を手に取り、中身に目を落とす。そして同時に――意識を周囲に張り巡らせていた。

 

(書類は本物だ。間違いない。ならば、ここからは“芝居”の時間だな)

 

彼はちらりとホールの隅――一見、客の出入り口とは無関係な空間に目を向けた。そこに“偶然居合わせた”様子の少女たち――いや、アビドス対策委員会の面々が潜んでいるのがわかる。

 

目だけで合図を送る。

 

「……これで間違いないか。」

 

抑えた声で独り言のように呟いたその瞬間だった。

 

『バチッ』

 

音もなく、先生が持つタブレットの操作が完了し、銀行のシステムにアクセスする。

 

突如、銀行全体の照明が落ち、視界が漆黒に染まった。

 

「な、何事ですか!? 停電っ――!?」

 

職員の動揺する声が館内に響く。次の瞬間、

 

「ん、突入開始。」

 

冷たい声が、闇の中から響いた。

 

(ダダダダダダダダッ! ダダダダダダダダッ!)

 

「銃声っ!?」

「なっ何が……きゃあっ!?」

 

パニック。騒然。悲鳴と怒号が交差する

 

――そして、照明が一斉に戻る。

 

「全員その場に伏せなさい!持っている武器はすてて!」

 

「言うこと聞かないと、痛い目見ちゃうかもですよ~☆」

 

「え、えぇと……あ、あはは……落ち着いてくださいね……っ」

 

青、赤、緑、桃、白、そして紙袋……6色のナンバー入り覆面を被った5人の少女たちと1人の大人が、堂々と銀行中央に立っていた。

 

「銀、銀、銀行強盗……!?」

 

震える声が上がる中、ひときわ目立つ姿の少女が目を見開いた。

 

コートの下から覗く特徴的な角、そして困惑した瞳――陸八魔アル。

ゲヘナ学園の便利屋68“社長”が、その場に居合わせていた。

 

「非常事態発生!非常事態――」

 

警備員が通報ボタンを叩くが、どれだけ連打しても無反応。

 

"UHYYY(ウへィ~~)無駄無駄無駄~♪ 外部に通報される警備システムの電源は落としちゃったからねーっ。"

 

小鳥遊ホシノのような口調でタブレットをひらひらと振る先生。周囲の困惑の中で、彼だけがやけに軽い。

 

(ったく……なんなんだ、この茶番は。)

 

吉良は額にうっすら汗を浮かべながらも、瞬時に表情を変える。

 

「うわぁっ!? た、助けてくれ!わ、わたしはただの会社員ですっ!!」

 

両手を頭に添え、地面に崩れ落ちる。体裁は完璧、声も演技も芝居がかっているが――まさに「被害者の演技」に徹するその様子は、“道化”の鏡。

 

(フン……ここまでやれば十分だろ。)

 

「ターゲット、確保☆」

 

ノノミが吉良の腕を取って拘束する。続いて、シロコが素早く吉良の手元から書類を奪い取った。

 

「あの、シロ…い、いや、ブルー先輩!ブツは手に入った?」

 

「うん。確保した。」

 

「それじゃ逃げるよー!全員撤退!」

 

「アディオ~ス☆」

 

"どうもお邪魔しましたー。"

 

「け、けが人はいないようですし....すみませんでした、さよならっ!」

 

少女たちはあまりにもスムーズに銀行を駆け抜け、誰よりも素早く撤退体勢へと入っていく。

 

(ヒューンっ!)

 

闇銀行を出ると、ナンバープレートを隠した現金輸送車が、銀行の向かい側に停められていた。シロコが運転席、ノノミが助手席。セリカとホシノ、ヒフミは荷台に飛び乗り、最後に先生が後部から滑り込んだ。

 

「みんな、準備はいい?」

 

「おっけーです☆」「大丈夫よっ!」「バッチリだよ~」「あ、はい…」 "みんな乗ったね?"

 

 

「ま、待て!」

 

 

オートマタが駆け寄ってくるも――時すでに遅し。

 

爆音を上げて発進する現金輸送車が、逃げるようにブラックマーケットの通りを疾走していった。

 

(……まあ、これで一安心か。)

 

吉良はその様子を確認し、さも「巻き込まれた通行人」のように小さく肩をすくめる。

 

「や、やつらを捕まえろ!道路を封鎖しろ!マーケットガードを呼べ!」

 

「あっ、まっ、待ってちょうだい!!」

 

「あ! アルちゃんどこいくの!?」

 

「私たちも追いかけるよ!」

 

「はっはい!」

 

(私も追わないとな…)

 

 

騒然とする館内。

職員たちが右往左往する中、吉良は誰にも気づかれないよう、静かにその場を後にした。

 

――――

 

 

 

 

 

(ブロロロロ…)

 

ブラックマーケットの闇銀行を出発してからおよそ10分――

現金輸送車は砂埃を巻き上げながら、封鎖地点の境界を越えていく。

 

『封鎖地点を突破。この先は安全です』

 

アヤネの通信が車内に響いた瞬間、緊張で張り詰めていた空気がふっと緩んだ。

 

「やった!大成功ね!」

 

セリカが誰よりも早く歓声をあげ、車は少し先の小高い場所で停車する。

 

ドアが開き、対策委員会の生徒たちが次々と車から降りていく。

すでに皆、覆面は外していた。唯一、まだ帽子を脱いでいないのは――シロコだけ

 

「車で逃げられたのは、ほんとに大きかったですね~☆」

 

ノノミがストレッチをしながら笑うと、先生も苦笑しつつ頷いた。

 

"うん、吉良さんのおかげだね。"

 

――――

 

 

 

□30分前――

 

 

「でもいいんですか?輸送車なんて使っちゃったら、最悪吉良さんが関わってるってバレちゃうんじゃ…」

 

ノノミが不安そうに問いかけた。

 

吉良はフッと鼻で笑い、車のボディに背を預けながら言う。

 

「いーや、この現金輸送車でいい……現金輸送車だからこそ"いい"んじゃあないか。」

 

目を細めながら車体をコンコンと叩いた。

 

「カイザーローンが闇銀行に現金を輸送していて、今日(こんにち)までバレることが無かったのは何故だと思うか、ン?」

 

『えっと…すべての情報をオフライン管理していたからで…あっ!』

 

アヤネの言葉に、吉良は頷いた。

 

「そのとおり。この車にはGPSも通信モジュールも搭載されていない。ログもない。走行記録も残らない。完全な盲点だ。ナンバープレートさえ隠してしまえば、追跡は事実上不可能だろうとみていいな。」

 

その口調はまるで、皮肉を込めた教官のようだった。

 

「情報を隠すには、デジタルよりアナログのほうが都合がいい……全く、皮肉なもんだな。」

 

“コン、コンッ”と車のボンネットを叩いた吉良の姿は、どこか悪党然としていた。

 

"吉良さんって…結構、悪い人だね。"

 

先生の言葉に、吉良は肩を竦めて笑った。

 

「フン、銀行強盗を主導するような先生には劣るだろーさ。」

 

皮肉と冗談を交わしながら、彼らの間に奇妙な信頼感が生まれ始めていた。

 

――――

 

 

 

 

「うへ~、吉良さんには感謝しなきゃだね~」

 

ホシノが車の天井に手をかけながら、楽しげに笑う。

 

「あうぅ…本当にブラックマーケットの銀行を襲っちゃうなんて……うう」

 

ヒフミが肩を落として項垂れている。さっきまでの緊張の反動だろう。

 

「シロコちゃん、集金記録の書類はちゃんとある?」

 

「うん…ここにある。」

 

(カサッ)

 

シロコが制服の内ポケットから書類を取り出して見せる。

 

「よしっ!任務完了。あとは吉良さんを待つだけだね~」

 

 ホシノが安堵したのもつかの間――その時だった。

 

 

『…!! 待ってください! 何者かがそちらに接近しています!』

 

 

アヤネの緊張した声が通信に飛び込んできた。

 

「追手!? マーケットガード!?」

 

『…い、いえ。敵意はない様子です。調べますね…あれは…』

 

 

『便利屋のアルさん!?』

 

「はあっ!?」

 

一同が慌てて覆面を被り直す中、走ってきたのは――

 

「ハア…ふう……ま、待って……っ!わたし、敵じゃない……から……」

 

ゼェゼェと肩で息をしながら、角を揺らして現れたのは――

便利屋68の社長、陸八魔アルだった。

 

(な、なんでアイツがここに……)

 

「お知り合いですか?」

 

「まあねー、そこそこ~」

 

「えっと……銀行の襲撃、見させてもらったわ……」

 

アルは立ったまま、目をキラキラと輝かせていた。

 

「ブラックマーケットの銀行をものの五分で制圧して撤退。完璧な連携、情報戦、行動力……あなたたち、稀に見る“アウトロー”だったわ!」

 

「……え?」

 

「正直、すごく衝撃的だったの。このご時世にあんな大胆なことができるなんて…わ、私も頑張るわ!!法律や規律に縛られない、本当の意味での自由な魂!!そんなアウトローになりたいから!!」

 

(なに言ってるんですか、この人……)

 

「だから、お願い!名前を教えて!」

 

「名前……?」

 

「あなたたちのチーム名でも、組織名でもいいから……私が今日の雄姿を心に深く刻んでおけるように!!」

 

「……はいっ!おっしゃることは、よーくわかりましたっ!」

 

アルの熱弁になにか感じるものがあったのか…ノノミはアルの質問に乗り気で答えていた。

 

(のっノノミ先輩!?)

 

「私たちは、人呼んで……覆面水着団!!」

 

「ふ、覆面水着団…や、ヤバい……!!超クール!!カッコ良すぎるわ!!」

 

「うへ~、ほんとはスク水に覆面が正装だったんだけどね~。今回は時間がなくてさ~」

 

 

 

「な、なんですってー!!」

 

 

 

アルの叫びが、封鎖地点の静寂を破った。

 

――――

 

 

 

 

一方その頃。数十メートル離れたビルの屋上。

 

吉良吉影は現金輸送車の周囲に集まるアビドスの生徒たちと、突然現れた第三者――便利屋68の陸八魔アルの姿を見下ろしていた。

 

「……今、合流するのは流石にマズいな。」

 

顔を覆っていない、見知らぬ少女の登場。明らかに味方ではないと、吉良は直感的に判断した。

ジャケットの内ポケットからスマートフォンを取り出し、短く文章を打ち込む。

 

《車は後日回収する。今はそっちで適当に逃げてくれ。》

 

(ピロン)

 

そのままスマホを仕舞うと、吉良は小さく肩を竦めて呟いた。

 

「……やれやれだな。」

 

――――

 

 

*──そして数分後。

 

 

現金輸送車の側では、先生がスマホの画面を見つめていた。

 

"ん? 吉良さんから……"

 

画面には無造作なメッセージが表示されている。

 

《車は後日回収する。今はそっちで適当に逃げてくれ。》

 

(もういいでしょ?適当に逃げようよ!)

(え、でも吉良さんが…)

 

("……いや、吉良さんは合流しないみたい。車は後日回収するって。")

 

(たしかに…今、この状況で私たちと合流すると面倒なことになりそうですし………)

 

先生が小さく笑って皆に声をかける。

 

"じゃあ、帰ろっか。"

 

「ん、了解。」

 

「それじゃあこのへんで~。アディオス~☆」

 

「行こう、夕日に向かって~!」

 

「あはは……」

 

現金輸送車に乗り込むアビドス対策委員会と先生。その姿を、アルは恍惚とした目で見送っていた。

 

「我が道の如く魔境を行く……その言葉、心に刻むわ! 私もがんばる!」

 

(事実を伝えるべきなんだろうけど……いつ言おうか?)

 

(くふふ、面白いから、しばらく放置でいいんじゃない?)

 

 

―――――

 

 

 

 

「……ふぅ」

 

現金輸送車が完全に視界から消えたのを確認して、吉良は静かに息を吐いた。

 

(実際の所、アイツらを助ける必要はあったのだろうか? 『そんなのは知らない』と言い続ければいいだけだったんじゃあないか?)

 

 

そんな考えが頭の中をぐるぐると回り続ける。

 

 

誰かに貸しを作るのも、無駄に情をかけるのも、彼の主義にはそぐわない。

ただ――今回は

 

(今回は、あの“先生”という男に助けてもらった借りを返しただけだ。)

 

「……これっきりだ。もう、これっきりで―――」

 

そう言い聞かせるように、ひとりごちた、その時。

 

 

(ピロン)

 

 

ポケットのスマホが振動する。画面を見ると――差出人は「シャーレの先生」。

 

 

【“今日は本当に助かったよ…吉良さんのおかげだね。”】

【“車の受け渡しは明日、アビドス高校でいいかな?君とは話したいことがいっぱいあるからさ。”】

【“また明日。アビドスの夜は冷えるから、風邪を引かないようにね。  『シャーレの先生』”】

 

 

(……なんだこれは)

 

文章の温かさに、吉良の胸にぽつりと灯るものがあった。

 

(このわたしが記憶を失っているから……この感情が何なのか理解できていないのか……)

 

――いや、違う。

記憶があった頃ですら、きっとこんな温かな気持ちを味わったことはなかった。

 

「くそ……なんなんだ、これは…ッ!? このぽかぽかするような気持ちは……ッ!」

 

眉をしかめ、ジャケットの襟を立てる。

静かに背を向けて、カイザーローンの宿舎へと歩き出す。

 

風は冷たく、夜の闇が砂漠の街を覆いはじめていた。

吉良の足取りはどこかぎこちなく、その胸の中のざわめきは……明日になるまで晴れることはないだろう。

 

 

 

――便利屋68オフィス。

 

 

黄ばんだ蛍光灯の下、室内には笑い声が絶えず響いていた。

 

「なあああにいいいーーッ!!?? 覆面水着団がアビドスだったですってええ!!??」

 

ソファを蹴飛ばす勢いで立ち上がったアルの絶叫が、室内の空気を震わせる。

 

「あはははー、アルちゃんショック受けてるー!超ウケる~!」

 

「はあ……」

 

ムツキはお腹を抱えながらケタケタと笑い続けていた。

その様子を見たカヨコが、苦笑しながら釘を刺す。

 

「ムツキ…あんまり社長をからかっちゃダメだよ」

 

「で、でも…アル様、覆面水着団の人たちを見てとっても喜んで…私もそんなアル様を見れてすごく嬉しかったですっ!」

 

オドオドしながらも敬愛するアルのフォローをしようとたどたどしく話すハルカ。

 

……それは、どこにでもある日常の光景。

小さな非日常を越えたあとの、ささやかな日常。

 

「はーっはーっ、笑いすぎて…のど渇いてきちゃった…」

 

ひとしきり笑ったムツキは、伸びをしながら立ち上がった。

 

「ちょっと飲み物買ってくるねー。何か欲しいのある?」

 

「私はパス」「わ、私も大丈夫です……」

 

「ふぅ~ん……アルちゃんは?」

 

「……麦茶でお願い」

 

机に突っ伏したまま呟くアルに、ムツキはにんまりと笑いながら返した。

 

「ん、りょーかいっ」

 

 

 

――夜の帳が完全に街を覆っていた。

 

ムツキはオフィスのドアを開け、外の静寂へと踏み出す。

カタンと閉まるドアの音が、やけに遠くに聞こえた。

 

 

 

足元を照らす街灯は頼りなく、風が砂埃を巻き上げる。

夜の空気は冷たく、ひんやりとした湿気を帯びている。

 

ムツキは鼻歌混じりに自販機の前に立ち、財布を取り出す。

 

(ピッ)

 

「えーっと…コレとー…コレだね」

 

(ガシャン)

 

オレンジジュースと麦茶が落ちてきた。取り出し口に手を伸ばし――

 

ヒンヤリ…

 

冷たい缶の感触が、ムツキの指先を包む。

 

(クフフ……この感触……アルちゃんの首筋に当てたら絶対びっくりするぞ~♪)

 

得意げに笑いながら振り返った、次の瞬間。

 

 

 

(ドンッ!!)

 

 

 

「きゃっ!?」

 

誰かと正面衝突した。

 

力強い衝撃に、手からペットボトルがこぼれ落ち、アスファルトに鈍い音を立てて転がった。

――だが、ぶつかってきたその人物は微動だにせず、ただじっとムツキを見下ろす。

 

 

「「いった~い…ちょっとー、ちゃんと前向いて…歩いてよ…………」

 

声が自然と、かすれていく。

 

その“誰か”は、長い黒髪を帽子で隠し、白いコートを羽織っていた。

顔は半分マスクで覆われ、残された目元すら、帽子の影が隠している。

 

「……すまない。」

 

芯の通った声で小さく呟き、その人物はふいに身を翻し、夜の闇へと消えていった。

 

「……なんだったの、あの人……?」

 

ムツキは訝しげに眉をひそめたが、それ以上追及する気も起きず、麦茶を拾い上げようとしゃがみ込む。

 

 

 

(──ズキ…)

 

 

 

「っ……!?」

 

突然、左腕に走る鈍い痛み。いや、違う。痛みではない。

 

……熱い。いや、()()()()()

 

 

 

ムツキは反射的に、二の腕を掴んだ。

 

 

 

(ヌチャリ…)

 

 

 

生ぬるく、ねっとりとした何かが、指先にまとわりついた。

 

「……え?」

 

袖をまくった、その瞬間。

 

 

 

黄金の矢が、ムツキの左腕を深々と貫いていた。

 

 

 

「はっ、えっ!?」

 

 

ブシュウウウウウウウウウウッ!!!

 

 

血が噴き出す。まるでホースから水が溢れるかのように、真紅の液体がアスファルトを濡らしていく。矢はまるで脈動するかのように鼓動を刻み、妖しく鈍く、光っていた。

 

「う、そ……なんで、こんな……っ……」

 

足元がふらつく。目の前の景色がぐにゃりと歪む。

何かが、頭の奥から這い上がってくる。

 

……いや違う。這い上がってくるのは恐怖だ。

 

(わたし、これ……刺された……? 誰に? どうして……)

 

もはや意識は霞みかけていた。

 

その視界の果て――

 

こちらに歩いてくる、影ひとつ。

 

暗闇の中、顔は見えない。だが、その足取りは、確実に、ゆっくりとムツキのもとへと向かっていた。

 

 

 

──そして、意識は、闇へと沈んだ。

 

―――――

 

 

 

 

「ムツキ…」

「ムツキ…だい……なの?」

 

「ムツキ……ムツキ、聞こえる?」

「ムツキ!大丈夫なのっ!?」

 

 

「っは……!」

 

がばっ、と跳ね起きたムツキの目に映ったのは、心配そうに見下ろすアルの顔だった。

 

「よかったぁ……ずっと眠ってたから……!」

 

「……え……夢……?」

 

 

ムツキは反射的に左腕を見る。傷は、()()()()()()()()

 

 

「なんだぁ……夢じゃん……」

 

喉奥から漏れる、安堵の息。

でも――なぜだろう。汗が止まらない。心臓が、まだバクバクと鳴っている。

 

「だ、大丈夫ですか?」「何があったの?」

 

ふと見ればアルの後ろでハルカとカヨコも心配そうな目で見ている。

 

「……ううん、ちょっと、寝ちゃってただけみたい」

 

ムツキは言い訳のように笑って、麦茶をアルに手渡す。

 

「ほら、早く戻ろっ!」

 

何か言いたげな表情を浮かべる3人を宥め、彼女たちは再びオフィスへと戻っていった。

 

 

 

 

 

――――その場所から少し離れた電柱の影で、1人の少女がその光景をただ静かに見つめている。

 

 

 

その手に握られた、“矢”

 

夜の闇の中、それは静かに、そして不気味に、鈍く煌めいていた――

 

 

「……すまない。」




次回、第5話:「 カリフォルニア・ガールズ(   California Gurls  )  ちゃん」
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