仙石線 津波回避の205系「M16編成」、近く引退 当時の乗客、労ねぎらう

JR石巻駅を発車する仙石線の205系「M16編成」。来年3月ごろまでに引退することが決まっている=3日、石巻市穀町
震災後、車内で夜を明かす乗客ら。左から2人目が和泉さん=2011年3月12日未明(乗客提供)

 仙石線の新型車両E131系のデビューに伴い、現行車両「205系」が来年春ごろまでに引退する。2011年3月11日の東日本大震災で間一髪津波を逃れた車両も、現役を退く。震災当日、乗客約60人が余震におびえながら、車内で寒さをしのいだ。当時の乗客の一人は「皆の命を助けてくれた列車は、自分にとってヒーローのような存在。お疲れさまと伝えたい」とねぎらう。(都築理)

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 震災当日、下り快速石巻行きの205系「M16編成」(4両)は午後2時46分、定刻通りに野蒜駅(東松島市)を出発。その直後、強い揺れで緊急停止した。たまたま十数メートルの高台だった。

 押し寄せる津波が周辺の田畑をのみ込む中、乗客らは最も高い位置にあった3両目に集まり、身を寄せ合い一夜を過ごした。幸い津波は列車まで到達しなかった。同時に野蒜駅を発車した上り列車は、停車したまま津波に押し流された。

 「とにかく寒い夜だった。余震も絶え間なく、生きた心地がしなかった」と振り返るのは、当時の乗客で元看護師の和泉徳子さん(65)=石巻市不動町=。息子の専門学校の卒業式に出席後、帰宅途中だった。

 和泉さんは、夕食用に購入していた総菜などを周囲に分け与えた。津波にのまれ、ずぶぬれで車両に避難してきた地元住民には、乗り合わせた旅行客が手持ちの着替えを提供。看護学生らは介抱に当たった。男性客らは夜通し交代で津波の見張りに立った。

 「屋外にいたら低体温症になっていた。紙一重だったが、皆で力を合わせたから全員が助かった」と和泉さん。震災後は、205系とは別車両の快速「仙石東北ライン」に乗る機会が多く、普通列車に使われるM16編成が現在も現役とは知らなかったという。

 今年春、長年勤めた石巻市内の医院を退職した。「せっかく震災で助かった命だからこそ、一生懸命仕事に励んできた」(和泉さん)。そんな自身を、震災後も15年近く仙石線を走り続けてきたM16編成に重ね合わせる。「列車も私と同じようにずっと頑張ってきたんだと思う。本当にお疲れさまと伝えたい」

「奇跡の電車」解体へ

 引退が決まった仙石線の205系車両は国鉄末期の1985年、山手線に登場。同線など首都圏の路線で使われた後、2002年から仙石線を走っている。このうちM16編成は、東日本大震災で津波を紙一重で免れた経緯から、鉄道ファンから「奇跡の電車」と称されている。

 同編成は11年3月の震災で被災後、線路が分断されたため現地に取り残された。同12月にクレーンで撤去され、車両基地での整備を経て翌年運行に復帰。現在、あおば通-石巻間の普通列車に使われている。

 JR東日本は、今月から仙石線に新型車両のE131系14編成(1編成4両)を順次投入し、来年春ごろまでに205系を全て置き換える計画。M16編成の引退時期について、同社の広報担当者は「編成個別の運用スケジュールは基本的に公表していない」とコメントした。引退後は廃車・解体予定という。

クレーン車でつり上げられ、線路上から撤去されるM16編成。この後、陸送されて整備後、運行に復帰した=2011年12月8日、東松島市野蒜
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