千葉県内に出羽(でわ)三山を信仰する風習が残っている。三山は山形県のほぼ中央に位置する羽黒山、月山、湯殿山で、山岳信仰の霊場として知られる。この三山への信仰心が、千葉の人たちは東北の近隣県よりもあついとすら言われてきた。いったい、なぜだろうか。
1世紀半超の歴史
4月8日、千葉県四街道市下志津(しもしづ)新田の集会所に9人の地域住民が集まった。出羽三山を信仰する人たちの集まり「八日講」だ。わらを束ね、紙を切り、竹の先につけて神具の梵天(ぼんてん)を作る。完成したら近くにある記念碑まで持って歩き、碑の前で日本酒や祈りをささげた。
「講」は信仰集団で、この地域では3カ月に1度集まり、だいたい10年に1度、7月に三山に集団でお参りに行く。そのたびに記念の石碑が建てられ、登った日付や参加した10~20人の氏名が刻まれる。
集会所に残る記録によると、集落は江戸時代の新田開発で生まれ、1862(文久2)年に三山に登った形跡がある。その後も1世紀半を経て参拝は受け継がれ、最近も2005年、15年に行っている。25年も夏に予定しているという。
登った人は「神」
講の主催者は当番制で、取材した日の当番の宍倉俊行さん(76)は「明治や大正のころは、仕事をリタイアした世代が一生涯の記念旅行として出かけた。場合によっては帰れないんじゃないかと言われた」と説明する。歩いて40日を超える旅路で、当時の「高齢者」にとっては命の危険もあったようだ。
戦後、交通手段が発達すると、マイクロバスをチャーターして数泊し、周辺観光も兼ねた集団旅行になった。複数回経験する人も出てきて、3回行ったという足立幸夫さん(86)は「最初に行ったのは45歳のときで、仕事をしばらく休まないといけないので調整に苦労した」と振り返る。しかし月山を苦労しながら登ったことに触れ、「得がたい経験だった」と語った。
受け継がれてきた風習として、地域の人たちは40~50代になると講に参加し、自然と三山を目指した。経験者は「行人(ぎょうにん)」として地域で尊敬され、葬式も特別扱いになったという。
千葉県立中央博物館の学芸員、島立理子さんが調べたところ、梵天をまつる形の出羽三山信仰だけでも、県内15市町村33地域で確認できた。11年に企画展を博物館で開き、そうした風習を紹介した。島立さんは「三山に行った人は『神になる』と言われ、木更津市などの一部地域では神具を作れる特別な存在となる」と解説する。
なぜ千葉なの…
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