大阪府吹田市にあるJR吹田駅前の広場は、全国を駆け回る党首を待つ聴衆であふれていた。目算で100人以上。思い思いにオレンジのアイテムを身に着ける人の熱気が立ちこめていた。
拍手で迎えられたその党首は、少し早口で語り始めた。「私は2007年から、この街で市議会議員をしていました。駅で一人、ぽつんと立ってビラを配っていた。そしてこの街を拠点に国政政党をつくった。今は東京・赤坂に党本部がありますが、どこに行ってもずっと忘れずに言いますから。『私の政治の原点は吹田だ』って」。演説に力がこもるにつれて、聴衆の反応も大きくなっていく。「でも、1人では足りないんです。首相に直接質問もできない。予算委員会も出られない。皆さんの期待に全然応えられない。もし、あと10人いてくれたら…」
昨年10月の衆院選でのひと幕だ。党首は当時「ひとり政党」だった、参政党代表の神谷宗幣。吹田駅で吐露した願いは、今年7月の参院選でかなえた。参政党は比例代表で約742万票を獲得し、所属議員は18人まで急増した。神谷が初当選した市議選での得票は2663票。2800倍近くに伸ばした。11月13日には参院予算委員会で、高市早苗首相との念願の初対決が実現した。
「自民党が駄目だから参政党をつくった」と言ってはばからない神谷の歩みは数奇だ。自民党や日本維新の会と接近しては離れて、を繰り返した。関係者による証言や過去の著作、本人の発言をひもとくと、世界観の原点として見えてきたのはある政治塾の存在。自民と維新が連立政権を組み、憲政史上初の女性首相が誕生した政界で、神谷と参政党はどこに向かうのか。(敬称略。共同通信=大阪社会部・参政党取材班)
▽「スイッチが入った」22歳の目覚め
福井県高浜町で生まれた神谷。大学は大阪府吹田市にある関西大文学部に進んだ。著書「日本のスイッチを入れる」ではこう振り返る。「都会の刺激に触れることで、コンプレックスが解消されるような気になり、なんとなく日々遊んでばかりになっていた」。どこにでもいそうな若者だった神谷。人生を変えた転機は、語学留学で渡ったカナダでの出来事だ。別の著書にこうある。
「きっかけは、人一倍熱心に勉強しているアジアの学生たちと仲良くなろうと思って一緒に食事に行った時の、彼らからのこんな質問だった。『君は日本人として、これからの日本をどうしていきたいと思っているの?』。あまりにも突然の質問に、僕は最初、頭の中が真っ白になってしまった。なぜかと言うと、これまで僕は自分の国をこうしたい!なんて、一度も考えたことがなかったから。(中略)日本人でこんな想いをもった若者を僕は知らない」(「子供たちに伝えたい『本当の日本』」)
生き方に疑問を持った神谷は語学学校を辞め、世界各地を巡った。米国で感じた治安の悪さ、人種差別の経験、アフリカの路上で物を買ってとせがむ大勢の子ども。世界の「リアル」と日本を比較するうち、愛国心が目覚めたという。再び「日本のスイッチを入れる」を引く。愛国心に重きを置かない教育と、日本の若者への危機感につながった様子が浮かぶ。
「やれ権利だ、自由だと叫んでいるだけで、実際には何も汗をかかず、教科書やテレビで学んだ概念を振りかざして偉くなったつもりでいた」
「日本人に生まれてよかったと思えるようになり、(中略)日本という国への感謝の思いを持てるようになった」
一連の出来事を「スイッチが入った」と表現する神谷はこのとき22歳。教育改革を訴えるべく、政治家を目指すと決意した。
▽市議初当選も「議論に加われない」
神谷は2007年の統一地方選で、学生時代を過ごした大阪府吹田市の市議選に立候補した。実家が営むスーパーの倒産や高校教師を経て、初当選時は29歳。議会では一人会派をつくり、一貫して教育改革を提唱した。議会の質問では「小中学校での国旗掲揚や国歌斉唱を徹底すべきだ」「『男らしさ』『女らしさ』のような生物学的な特性を生かした社会に再構築すべきだ」といった主張を展開した。
当時を知る現職の吹田市議は振り返る。「議会で保守系の専門家を紹介したり、教育勅語を参考に市独自の教育憲章を作ってはどうかと提起したりしていた。参政党の教育政策の多くは、その頃から片鱗があったように感じる」。市議になったばかりの神谷にとって「右翼と呼ばれ、仲間も作れない。議論にも加われない」(「日本のスイッチを入れる」)時期。当選翌年の2008年からは、活動の比重が徐々に市外へと移っていった。
▽短かった橋下知事との蜜月
神谷の目を外に向けさせた人物がいる。当時、大阪府知事になったばかりの橋下徹だ。教育改革を訴える姿に「私たちと同じ思いがあるかもしれない」と考えた神谷は手紙で直談判。考えの近い府内の地方議員数十人を集めて、2009年に超党派の議員連盟「大阪の教育維新を市町村から始める会」(通称・教育維新の会)を結成した。会長が橋下で、神谷は事務局長に就いた。
神谷と当選同期で行動を共にしてきた吹田市議の石川勝によると、この出来事にはあるきっかけがあったという。テレビで見た、橋下が涙ながらに改革の必要性を訴える「男泣き」のシーンだ。「当時の橋下さんはまだ『大阪維新の会』を旗揚げする前。政治経験があって知事になったわけじゃないので、一人で頑張ろうとしていた。教育を共通項に、府内の若手地方議員で橋下改革を支えようという気持ちだった」。神谷はこの年を「橋下氏との活動の年」と振り返る。定期的に会合を開いたほか、橋下のシンポジウムや後援会活動のサポートに入った。
ところが、蜜月は長くは続かなかった。2010年初頭には、橋下と神谷に方向性の違いが生じていたと石川は明かす。国家観を重視し、それに基づく改革を全国に広げようと模索していた神谷と、看板政策「大阪都構想」に代表される大阪の改革に専念しようとしていた橋下。橋下は当時自民党府議だった、松井一郎らとの協力に傾いていった。
決裂が決定的となったのはその年の4月。大阪維新結成に際し、神谷が松井からの誘いを断ったタイミングだ。石川が証言する。「われわれが先に始めようとした改革を、府議団の主導でやろうやという話で、僕らは受け入れられなかった。それでも橋下さんは府議団を優先する意向だったので『そうですか』とたもとを分かった」。「維新」を掲げた神谷と橋下の連携はわずか1年で終わった。
▽人気漫画になぞらえて
神谷は橋下との協力関係構築と並行して、2009年に保守系地方政治家の全国ネットワークを設立した。地方から立ち上がった明治維新の志士に姿を重ねた「龍馬プロジェクト」だ。集ったのは当初、沖縄県石垣市議の中山義隆(現・同市長)や大阪府泉大津市議の南出賢一(現・同市長)ら数人だった。数カ月をかけて各地を回る中で賛同者が増え、約50人の超党派政治団体「龍馬プロジェクト全国会」として発足させた。最初の数年で、石垣市長選に出馬した中山や、三重県知事選に出馬した鈴木英敬(現・自民党衆院議員)らメンバーを支援し、当選に導いた。初代会長となった神谷は広報用の資料で、少しずつ仲間が増えていくさまを人気漫画になぞらえて「『ワンピース』のような政治」と表現した。
▽国政初挑戦は自民党から
足元の大阪では、存在感を強める日本維新の会に押されていた。神谷の同志・石川勝が立候補した2011年4月の吹田市長選で、今ある政党の母体に当たる維新は対抗馬を擁立。神谷自身は市議に再選されたものの、石川は落選した。裏切られたと感じた神谷は、維新への批判を強めるようになる。「橋下人気を借りた選挙互助会だ」
2012年の衆院選では、神谷自身も維新との「直接対決」に臨むこととなる。公示直前に出馬を取りやめた自民党現職のピンチヒッターとして誘いを受けると、5年半務めた吹田市議を辞職し、ゆかりのない大阪13区(東大阪市)から立候補した。無所属議員として超党派で活動してきた神谷が自民公認候補となったきっかけは二つ。保守的な考えに共鳴していた安倍晋三の総裁返り咲きと、当時衆院議員1期目だった小泉進次郎との出会いだ。
当時のブログではこう説明している。「私より年下ながら、強い信念と、若い世代を束ねて国を変えていこうという強い思いを持っている。この出会いに感銘を受け、同世代のこんな人たちと一緒にやっていければ、将来は私の目指す政治ができるかもしれないと思うようになった」。ただ、選挙戦は厳しかった。準備期間は約2週間。党内のつながりも地縁も薄く、維新候補にダブルスコア近い大差で敗れた。
神谷はその後も、自民からの国政再挑戦を目指して大阪13区で活動した。ところが2014年12月の衆院選では、地元の大阪府議に候補者が差し替えられた。当時を知る府連関係者は語る。「もちろん神谷も準備はしていたが、いろいろな党内力学があって駄目だった。それがかなりストレスだったんだろう」。しばらくして神谷は自民を離れた。維新とも、自民とも折り合いは付かなかった。
▽マネタイズのノウハウを身に付けた教育事業
衆院選落選後の2013年、神谷は新たに会社を起こしていた。目を付けたのは動画配信。自身が感銘を受けた著名人をゲストに迎え、歴史や時事問題を解説するチャンネル「CGS」を開設した。ホームページにはこうある。「メディアはスポンサーの関係で、学校教育は戦争に敗れたせいで、本当に大切なことを国民に伝えていない」。保守系の言論人が出演者に名を連ねる番組は、登録者数50万人超のコンテンツに育った。
龍馬プロジェクトも順調に拡大し、会員数は一時250人ほどまで膨らんだが、神谷自身は2015年の大阪府議選で落選し、議員としての政治活動に区切りを付けた。2018年にはリアルとオンラインで講義や研修を提供する教育事業「イシキカイカク大学」を始める。公式サイトによると、政治、歴史、経済、教育、食、スピリチュアルといった幅広いテーマを取り扱い、累計2千人以上が受講した。この時期の神谷を知る地方議員は明かす。「この間に全国規模の組織運営、インターネットでの情報発信やマネタイズのノウハウを身に付け、その後の活動につなげた」。2019年の新たなユーチューブチャンネル開設、20年の参政党発足を経て、神谷は22年の参院選で初当選した。44歳のことだった。
▽原点と目的地
神谷の経歴は異色だ。政党にほとんど所属しないまま、保守的な世界観や政治信条という共通点で、200人を超える超党派の議員ネットワークを組織。国会議員3年目でありながら、20人弱の議員を要する国政政党を率いるまでになった。政治家像の原点、そして目的地はどこにあるのか。神谷をよく知る関係者は明かす。「所属していた『林英臣政経塾』が鍵だ」
主宰は日本思想、東洋思想の研究家、林英臣。複数の卒塾生や公式ホームページによると、パナソニック創業者の松下幸之助がつくった「松下政経塾」の1期生で、主に現職政治家を対象に、松下の教えをベースに独自の哲学や歴史観を織り交ぜたカリキュラムを約20年にわたり提供しているという。松下政経塾は現首相の高市早苗や、元首相の野田佳彦を輩出している。
具体的に何を学ぶのか。政治家を対象とした林塾の「政治家天命講座」のサイトにはこう記されている。「若手政治家が我が国の根本となる価値観を養い、修了後は共に活動する同志となる志士政治家(塾士)を育てるための研修プログラム」。「文明法則史学」「古事記」「武士道」といった要素を合わせた独自の学問「綜學」(そうがく)がカリキュラムの軸で、過去の偉人を学ぶ科目の中には戦後保守政界で強い影響力を持ったという安岡正篤の名前もあった。
文明法則史学とは何か。林の著書によると「ヨーロッパを中心とした西側文明とアジアを中心とした東側文明が約800年周期で交互に盛衰している」という考え方だ。卒塾生の一人は説明する。「保守思想を軸としながら『自らはどう生きるのか』という天命を自覚させ、文明法則史学に基づいた大局的な見地から政治家が何をすべきか考えるのが基本だ」
3期生だった神谷の様子が、著書「日本のスイッチを入れる」で見て取れる。
「『お前らの中から総理大臣を出せ!』とげきを飛ばされた」
「そんな志を掲げる人と出会ったことはありませんでした。(中略)林先生との出会いがなければ今の私はいないでしょう」
卒塾生には、他に杉田水脈(自民党)、井坂信彦、源馬謙太郎(以上、立憲民主党)といった与野党の国会議員や経験者がずらり。日本維新の会共同代表の藤田文武もその一人で、卒塾生はこう強調した。「藤田は林塾の理念を特に体現している一人。国政政党代表に神谷、藤田とOBが2人おり、影響力は上がっている」
林は超党派で同志を増やす重要性を説いてきた。名付けて「龍馬千人構想」。神谷による龍馬プロジェクト設立に、その影響を見ることができる。「綜學」の勉強会参加者には国民民主党やれいわ新選組の現職議員も名を連ねる。前出と別の卒塾生はこう説く。「最終的には、文明法則に基づいた来たるべき変化の前に、保守政治家による大同団結に持って行くのが林塾の目的だ」
▽激しくなる「成長痛」
躍進を遂げた参院選後も、報道各社の世論調査で比較的高水準の政党支持率を維持する参政党。政治信条の近い高市政権の発足は存在感を示す好機のはずだが、神谷は足元の組織力強化を最優先事項としているという。本人に近い関係者は内心を代弁する。「急激な党勢拡大への危機感の表れだ」
支持と注目が集まるにつれて、批判も強まり風当たりは厳しくなった。神谷は参院選期間中から、注目に伴う批判の高まりを警戒していた。「小さい政治団体から3年ぐらいでここまで来た。このバランスをかじ取りしないといけない。だから私はこの急成長が怖いって言っているんです。『成長痛』が激しくなるから」
目下、重視しているのが、政治経験の乏しい議員や党員向けの独自教育だ。参院選後の8月には、党員ら向けの教育アプリ「まなび舎参政党」を新たにリリースした。交流サイト(SNS)での政治活動や、公職選挙法について手軽に学べる内容。「どこよりも勉強する政党」(党関係者)として、規律強化を図っている。
▽神谷流教育
政策や世界観における「神谷流教育」にも余念がない。CGSのような従来の動画チャンネルを維持しつつ、連日、党公式の動画チャンネルでも「ニュース番組」を配信。各地の政党支部では講師を招いたセミナーや研修を定期的に開き、政治や経済を学ぶ機会を党員向けに提供している。
教育の成果の一端は参院選でも現れた。大阪選挙区から立候補し、初当選した宮出千慧は投開票日前日、大阪市内の会議室に集まった支持者を前にこう語り始めた。「私は神谷さんのCGSという番組をずっと見ていた」。日本が危機にある、という訴えも神谷譲りだ。「日本に変なイデオロギーがたくさん入り込んでいる。LGBTや男女共同参画、ジェンダーフリーみたいなものをどんどん推進して、日本人が大切にしてきたのとは全く違う方向に誘導されている」。元々パート従業員で政治経験のなかった宮出だが、神谷さながらの演説に涙する支持者もいた。
神谷は次回衆院選で最低でも100人の擁立を掲げる。急成長に伴う「成長痛」を減らしつつ、候補者数を確保できるか。林塾関係者の一人は指摘する。「林塾や龍馬プロジェクトに関係する地方議員経験者のような神谷の『セミプロ』人脈は貴重な戦力だろう」
「戦力」の動きは早速顕在化した。神谷の盟友・石川勝だ。龍馬プロジェクトの会長職を引き継ぎ、林塾OBでもある吹田市議は10月上旬、吹田市を含む衆院大阪7区の立候補予定者に選ばれた。
▽主導権を握れるか
林塾の説く「世界で新しい社会秩序を誕生させていく大きなうねり」への期待が国政挑戦への原動力だと、石川は語る。「政界、国民の大同団結に向けて、神谷が突破口を開いた。僕が国会議員の立場を得られたら、これまで培ってきた龍馬(プロジェクト)や林塾の人脈を使って、政党間をつないだ議論をコーディネートしたい」
四半世紀超に及んだ自民、公明両党連立政権が終わり、流動性が格段に上がった日本政界。急転直下で成立した自維連立を率いる政治家の出身は、自民総裁が松下、維新共同代表が林と、いずれも源流を同じくする政治塾だ。こうしたつながりが政界再編のヒントになる可能性はある。
神谷は大同団結をどう進めるのか。連立与党の自民、維新とは、いずれもたもとを分かっている。「われわれは自民が駄目だからつくった政党だ」との発信を繰り返し、連立入りも全面的に否定した。10月の宮城県知事選では、自民や公明両党が支援する現職村井嘉浩に、自民党元参院議員の新人和田政宗と連携して対抗。惜敗したものの、高市政権にファイティングポーズを取る形となった。
前出の林塾関係者は神谷の行動をこう読み解き、松井一郎からの誘いを断ったかつての姿と重ねた。「今、自民や維新に連携を持ちかけても主導権は向こうにあり、実現したいことはできないと考えているのだろう。神谷が狙っているのは衆院選での躍進。そして対等な立場での『保守合同』。それだけだ」