「地方の中小クラブで観客動員にも苦労した。収益も中央のビッグクラブに比較すれば少なく、中心選手や監督を手放すこともあった。今後は好条件を提示しての選手獲得も可能になるはずで、さらなるチーム強化に期待が持てる」(サンフレOB)
サンフレは「育成が上手いこと」で有名なクラブ。中国地方各地に複数のスクールを持ち、トップからジュニアまでの一貫メソッドで選手を育ててきた。日本代表クラスの選手も多数輩出したが、他クラブに引き抜かれることも多かった。
「『サッカーとはそういうもの』と理解しているが…」(サンフレOB)と言葉を濁すのも、過去に苦渋を味わってきたからに他ならない。
「経済力があれば、もっと早く安定した強豪クラブになれる可能性もあった。残念だったのは、経営難もありミシャ(ミハイロ・ペドロヴィッチ)監督を手放したこと。引き継いだ森保監督が救ってくれたが、当初のプラン変更を余儀なくされた形だったはず」(サッカー関連ジャーナリスト)
2012年にJリーグがライセンス制度を導入するにあたり、経営面の抜本的改革が必要となった。増資を進めると共に人件費削減を進める中、2011年限りでペドロヴィッチ監督との契約を結ばない選択をした。
「“ミシャ式”と呼ばれた戦術でチーム力を大幅に押し上げてくれた。退団後に指揮を執った浦和、札幌を魅力的なチームにしたことでも手腕は明らか。『もう少しだけ在籍して、確固たるベースを作った上で後任に引き継いでくれればどうなったのか?』を想像してしまう」(サンフレOB)
ミシャ監督退団の前には、広島の下部組織育ちの好選手達も巣立つことになった。“調子乗り世代”として知られた柏木陽介は2010年から浦和へ、槙野智章も同年末にドイツ・ケルンへ移籍したことも記憶に新しい。
「ポイチ(森保監督)はミシャのサッカーを継承、自身の色を加えて素晴らしい結果を出してくれた。しかし苦しい状況の中、厳しいやりくりだったのは明白。結果を出したことには尊敬しかない」(サンフレOB)
















