Vol.557「『台湾論』とは何だったのか?」
(2025.11.25)
【今週のお知らせ】
※「ゴーマニズム宣言」…高市早苗首相は、理屈もへったくれもなく支持してくれるネトウヨと「サナ活」ファンに推されて、依然として高支持率を保っている。高市早苗の「台湾有事」発言が間違っており、危険なものであるという論評は他メディアにも見られるようになってきたが、だがそうすると、ネトウヨ+サナ活連合からの猛批判がやってくる。しかもその批判は何の理屈にもなっていない情緒的な反応ばかりで、ただ批判を全体主義の圧力によってかき消そうとするだけなのだ。わしに対しても、高市の発言を批判したら「台湾を見捨てるのか!」だの、「小林よしのりも『戦争論』や『台湾論』の頃はよかったのに!」だのと、全く頓珍漢な罵詈雑言が押し寄せているようだ。そういう連中は『戦争論』や『台湾論』がどういう作品だったか、全く理解していない。『台湾論』を執筆した当時は、どういう時代状況だったのか?『台湾論』では何が描かれ、どんな事態を引き起こしたのか?ネトウヨは何のリスクも取らず、勉強もせず、ただただ無責任に勇ましいことを言っているだけである!
※泉美木蘭の「トンデモ見聞録」…産経新聞とFNN(フジテレビ)が合同で実施した11月22日・23日の世論調査によると、内閣支持率は75.2%だという。この調査では、高市の「台湾有事」答弁について「適切だ」との回答が22.6%、「どちらかと言えば適切だ」も38.4%で、合わせて60%を超えている。高市擁護の世論が暴走していく一方、国会で当の質疑を行った立憲民主党の岡田克也議員に対する「お前が煽ったからこうなったんだ」「答弁させたほうが悪い」という批判が大きくなっている。勇ましく「台湾は助けなければ!」「中国になめられるな!」と言うが、果たして日本は本当に台湾を救えるのか?
※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」…坂本竜馬についてどう思っている?高市擁護を繰り返す山尾志桜里さんは一体どうしてしまったの?「台湾有事について質問した立憲民主党の方が悪い」という主張をどう思う?中国側の言動も著しく礼節を欠いているのでは?歴女ブーム等に合わせて、歴史ある武将や武士がアニメ風イケメン美青年に描かれることをどう考える?なぜ日本は好戦的なバカだらけになったの?…等々、よしりんの回答や如何に!?
1. ゴーマニズム宣言・第586回「『台湾論』とは何だったのか?」
高市早苗首相は、理屈もへったくれもなく支持してくれるネトウヨと「サナ活」ファンに推されて、依然として高支持率を保っている。
「台湾有事は、日本の存立危機で、中国と戦争開始か?」という点では、論理が一切通じない、議論が全く成立しないという状態は非常に不快であるし、何よりも危険である。
高市内閣の支持率は最新の世論調査でも75.2%(FNN、11月22・23日調査)、72%(読売新聞社21~23日調査)など高水準を維持しており、「台湾有事」発言も6割前後が「適切」と答えているらしい。
岩盤支持層であるネトウヨだけでなく、ただ高市早苗をアイドル化して「推し活」をする「サナ活」ファンが加わったことで、問答無用の「全体主義」的な空気が出来上がってしまったのだ。
高市早苗の「台湾有事」発言が間違っており、危険なものであるということは先週号で詳述したが、同様の論評は24日付朝日新聞1面「座標軸」など、他メディアにも見られるようになってきた。
だがそうすると、ネトウヨ+サナ活連合からの猛批判がやってくる。しかもその批判は「しょせんはオールドメディアだ!」だの、「支持率70%超えの民意に逆らうのか!」だの、「台湾は友人だ!」だの、何の理屈にもなっていない情緒的な反応ばかりで、ただ批判を全体主義の圧力によってかき消そうとするだけなのだ。
この全体主義の空気こそが、いま戦うべき敵である。
わしに対しても、高市の発言を批判したら「台湾を見捨てるのか!」だの、「小林よしのりも『戦争論』や『台湾論』の頃はよかったのに!」だのと、全く頓珍漢な罵詈雑言が押し寄せているようだ。
そういう連中は『戦争論』や『台湾論』がどういう作品だったか、全く理解していない。
『戦争論』も『台湾論』も、「かつての」日本人は素晴らしかったが、「現在の」日本人にはもう見る影もないということを描いている。ところがネトウヨどもはこれを読んで、日本人であるということだけで、「現在の自分」も素晴らしいと都合よく思い込んでいるのだ。
ここまで読解力がないのでは、「読んだ」とも言えないだろう。
戦後の日本人が台湾に対してずっと冷淡だったことも『台湾論』に描いている。そしてその状況は、いまも大して変わらない。
いくら口先で「台湾有事は日本の存立危機事態!」と言ったところで、本気で台湾を守って中国と戦争をする覚悟も準備もサラサラなく、法的根拠すら用意していないのだから、いざとなった時には何もできず、冷淡に見捨てるしかない。実は冷淡なくせに、偽善で勇ましいことを言ってごまかしているだけであり、むしろずっとタチが悪いのである。
わしが『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 台湾論』を出したのは2000年。2008年には文庫化もされた。
今でも電子書籍などで読めるが、既に25年の月日が経過しており、当時の状況を知らない人も多いだろうから、この機会にまとめておこう。
2000年・平成12年はわしが『戦争論』を出して既に2年が経っていたが、サヨク・戦後民主主義者らからの膨大な批判はまだまだ収まらず、「SAPIO」誌における『新ゴーマニズム宣言』の連載だけではとても反論しきれなかったため、インタビュー形式の反論をエンターテインメントにして、それだけで1冊にした『「個と公」論』という本を出した。
そして、さらなる論理的な補強の必要を感じて『戦争論2』の制作に着手したものの、次から次へと描くべき題材が出てきて、いつ完成するやら全く見当もつかなくなっていた。
その一方で「新しい歴史教科書をつくる会」の活動では、教科書作成が大詰めになったところで、当初やるつもりがなかった教科書本文の執筆まで引き受けざるを得なくなり、教科書が完成すれば今度は採択運動があり、しかも「つくる会」の内部ではいつも誰かが喧嘩しているような有様で、その仲裁にも追われたりして、とんでもなく忙しい日々を送っていた。
そんな中、わしはSAPIO編集部の勧めで台湾へ取材に行った。SAPIOは「国際情報誌」で、以前から台湾についての記事もよく掲載されていたこともあり、台湾で初の政権交代が実現したこの年に、わしに取材に行かないかとの提案があったのである。
それで行ってみたら、面識のあった蔡焜燦氏(さい・こんさん=司馬遼太郎『台湾紀行』の案内役「老台北」として知られる)が宴席を設けてくれた。
わしはそこで、日本統治時代を経験し日本語を話す台湾の年配者の方々と話し、戦後の日本からは失われてしまった日本人の姿をそこに感じ、大いに興味を引かれた。
するとその場に電話があり、李登輝氏と会えることになったという連絡があった。退任したばかりの前総統に会えるとは全く期待していなかったので、非常に驚いたが、翌日会ってみるとすっかりその人柄に魅了されてしまった。
そうして「台湾とは何なのか?」というところから、歴史における日本と台湾のつながりから、アイデンティティとナショナリズムの関係など、描くべきテーマがどんどん出てきて、わしは帰国するや直ちに『台湾論』の制作に取り掛かったのだった。
おそらく台湾の人たちも『戦争論』を描いた小林よしのりに『台湾論』を描かせたいという思いがあって、お膳立てをしたのだろう。
『台湾論』はSAPIO誌での連載と描き下ろしを同時進行で進め、台湾での追加取材も行い、初の台湾取材からわずか半年後の2000年11月、単行本を発行した。大詰めの際にはスタッフが仕事場に泊まり込み、今では考えられない短期間での制作となった。
そして、日本での出版からわずか3か月後の2001年2月には、台湾で『台湾論』中国語版が発行された。この本を待っていたという思いが溢れているようなスピード出版だった。
当然ながら、わしは『台湾論』を日本人の読者に向けて描いており、台湾で出すのなら台湾向けのアレンジも必要なのではないかとも思ったが、そこは台湾の出版社側に任せていた。
そうしたら、台湾版は一切のアレンジをせず、日本語を台湾の公用語である中国語(北京語)に翻訳しただけの形で出版された。
だがそこには、日本では普通に描けるけれども、当時の台湾では決して公然と表現することができなかった、最大のタブーが含まれていた。
それをストレートに出してしまったため、台湾版『台湾論』は予想もしなかった大騒動を巻き起こすことになったのだった。

