FC2ブログ

AIのちょっと辛口分析(6768)

未分類
12 /04 2025
パラパラと読むと少し無理があると感じた。

ある動画を見て“衝撃を受けた”。素直に感動するのは結構だが、読んでいてどうにも座りが悪い。文章そのものに“無理”があるのだ。

まず、動画の中で語られたという「唇と歯の間に声を当てる感じ」。それを“初めて聞いた”からという理由で、ほぼ反射的に試している。初めて聞いたから正しいわけでも、有効なわけでもない。それは単なる新奇性であって、根拠ではない。ここで論理がひとつ目からすべり落ちる。

次に、自分で試して“驚くべき輝きが生まれた”と言う。しかし、なぜそうなったのか、理由の説明がない。「高音が輝いた」などと結論だけが飛び出してくるから、読む側は置き去りだ。そもそも、心理的に開放されたのか、たまたまその日の調子が良かったのか、そこを切り分けずに“技術の成果”と言い切るのは、論理の飛躍だ。

さらに、“自分に効果があった → 皆も見るべき”と話を拡大する。個人の体験には普遍性がない。それを一般化してしまった時点で、文章は完全に破綻する。自転車のサドルを上げたら時速1.5倍で走れたからといって、「皆もサドルを上げろ」と言うのと同じくらい乱暴だ。

そして締めに「ブラボーな動画である」。評価の根拠は“自分がびっくりした”以外に何も提示されない。興奮は分かるが、感情と論理を混同すると、文章は途端に軽くなる。

まとめると、この文章は主観 → 感情 → 結論という最短ルートで書かれており、本来あるべき根拠 → 理由 → 検証 → 結論という階段を丸ごとすっ飛ばしている。

言い回しがどうのというより、論理の骨組みそのものが立っていないから、せっかく面白い内容を書いているのに残念だ。


東京本選前日(6767)

未分類
12 /04 2025
明日は愛好者B部門の東京本選である。今回は車ではなく北陸新幹線で向かい、夕方に公式伴奏者との合わせを予定している。毎回悩むのが服装だ。初めて東京本選に行った時、師匠に聞いたら「スーツ一択」と即答された。最近は地区や准本選では黒シャツで済ませることもあるが、さすがに“花の東京”へ黒シャツで乗り込むのは気が引ける。

とはいえ遠征で荷物を増やすのも煩わしい。今回はスーツを着て行き、現地でシャツだけ交換するという、実務優先の落とし所にした。

この4日間は合唱団の練習にも行かず、家でおとなしくしていたので喉の調子は良い。この間だけでアデライーデを300回は聞いた。日曜日には金沢メンネルコールのステージがあるのだが、そちらの12曲はまだ暗譜していない。東京の帰りの新幹線ででも軽くさらうことにしよう。本選前に別の曲を頭に詰め込んでもろくなことがない。

昨日、妻の会議の送迎の待ち時間に、昨年4月の第3回プリマヴェーラコンコルソ大阪本選の録音を聞いた。あの時は86.5点で2位(1位なし)だったが、今聞くとあれこれ問題点が見えて、現在はその多くを修正しているつもりだ。今回も同じ点数が出れば上位に入るだろうが、その“修正”を審査員がどう評価するかは完全に運である。今回は東京なので審査員がほとんど入れ替わっている。

思い返せば、昨年第4回は「伯爵のアリア」を自信満々で歌って盛大にこけた。表彰式まで着替えずに待っていた自分を思うと、あれはなかなか哀れな光景だった。今回は、上位に入らない限りこのコンクールは“卒業”と決めているので気持ちはむしろ楽だ。

勝ちに行くというより、「今の自分のアデライーデ」を置いてくるつもりで行く。採点は審査員の仕事であって、自分の仕事は歌うことだ。それだけは間違いない。





りんごジャムの失敗(6766)

未分類
12 /03 2025
IMG_1590.jpeg


りんごをカットして圧力鍋に入れ、砂糖とレモン汁を加えてじっくり煮込めば、それだけで立派なりんごジャムになる。気分を変えてワインを少し入れることもある。普段はペーストにするが、薄く輪切りにして形を残すこともある。

今年はもう作らないつもりだった。ところが妻が、Aコープでジュース用として売られていたりんごを見つけて買ってきた。品種はふじ。せっかくだからと、また作ることにした。

ピーラーで皮をむき、いつものように包丁で切り始めたが、途中で面倒くさくなった。そこで山本電気の「マルチカット」を取り出した。家庭用では最高性能の部類に入るフードプロセッサーだが、油断すると一瞬で細かくなりすぎる。今回もわずか2〜3秒でりんごがシャーベット状になってしまった。

それでも圧力鍋で煮詰めればなんとかなるだろうと思い、そのまま加熱した。ところが、いつまでたってもジャムらしいペースト状にならない。妻に言った。

「これ、細胞が壊れたんかな」

後で調べると、まさにその通りだった。りんごは細胞壁がしっかり残っているからこそ煮ると自然にとろみが出る。だがフードプロセッサーで細胞を完全に破壊すると、煮ても粘度が出ず、サラサラのままなのだという。

今さら砂糖やレモンを追加してもどうしようもない。しかたがないから、そのままヨーグルト用のソースにした。とろみはなくても、味はちゃんと美味しい。

“最高性能の機械” も、使いどころを間違えるとこうなる。まあ、それもまた台所の小さな発見である。






一手バッタリ(6775)

未分類
12 /02 2025
将棋でよく使われる「一手バッタリ」という表現は、もともとは遊里・娼妓の隠語に由来すると言われている。

「バッタリ倒れる」のバッタリではなく、“その一手(=ひと言)で関係が決定的に終わってしまう”という意味の言葉で、転じて将棋では「その一手で急に形勢が完全に崩壊する最悪手」を指すようになった。

2025年の第11期叡王戦 段位戦・九段戦、深浦九段 vs 佐藤九段の終盤がまさにそれだった。

■形勢95% → 投了へ。まさに一手バッタリ
局面は深浦九段が圧倒的優勢(AI評価値 先手+95%)で迎えた終盤。
98手 後手:佐藤九段 3一桂 (AI評価:先手95%)
99手 先手:深浦九段 同龍 (AI評価:後手93%) ← ここ
100手 後手:佐藤九段 同玉
101手 先手:深浦九段 投了
99手目・同龍。これが「一手バッタリ」そのものだった。

どれを指しても勝ちの局面で、よりによって唯一の最悪手をつかむ。次の瞬間には形勢がひっくり返り、後手優勢に転落。深浦九段ほどの大棋士でも、終盤の罠はかくも恐ろしい。

パソコン相手の対局なら、こちらの方が思わず「ブチッ」と電源を切ってしまいたくなるような逆転劇である。






ド下手と思ったら(AI添削)

未分類
12 /02 2025
レッスンの録音を聞いて復習しようとしたら、あまりに下手で驚いた。
「これ誰?ほんとに自分? これでコンクール?」
あほらしいというか、情けないというか、何とも言えない気持ちになる。

念のために2回、3回と聞き返してみたが、やっぱり同じ。どう考えてもおかしい。

「これはもう選曲を間違えたとしか思えない」
そんな考えまで浮かんできた。

ところが、ふと録音機(ICD2000)を見ると、再生速度の表示が妙だ。講演を早聞きしたり遅くしたりする機能がついているらしい。そういえば紛失した旧機種(ICD1000)には、こんな機能はなかったはず。

再生速度を100%に戻して再生する。
……あ、いつもの声だ。
ほっと一息。と同時に、ちょっと物足りない気もするのは贅沢だろうか。

とにかく、妙な絶望感の原因は“再生速度のせい”だった。ただし、現実の自分の歌に満点がついたわけでもない。「やっぱり日本歌曲は難しいなぁ」という溜息だけは、変わらず胸に残った。(2017,11,12)







sawatak

FC2ブログへようこそ!