「もう撮ることができない風景」 京成本線で最後まで残っていた行商専用車。朝の上野行普通列車1本だけ残っていた。  町屋から日暮里にかけて殆ど降りて得意先へ。  取材は受けておらず写真も殆ど残されていない。  平成後期に消えた、もう二度と見ることはできない風景。 📷2008年8月撮影・千葉

Dec 2, 2025 · 9:58 AM UTC

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もう撮ることができなくなってよかった。半世紀前に25歳だった「千葉のおばさん」が花森安治のインタビューに「おら、若くなりてぇ」と答えていたような世界はなくなったのだから。
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あのおばちゃんたちの若い頃は、生活に必死で(当時は農家の女性がある程度稼げる仕事は、何十kgも背負う重労働の行商だった)。  華やかな同年代の都会のコを横目に、青春の殆どを行商捧げている25才の女子が「おらも、若くなりてぇ」  実に深い。 そう、もうカメラの向こうにはいなくなった時代。
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大阪の阪和線でも90〜00年代に下り電車で見かけました。 当時は行商だとは知らず、お年寄りなのに大変だなぁと、呑気に考えておりました。
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阪和線!もと和歌山市民としては懐かしい。さすがに行商人は見ませんでしたが、太公望列車という新大阪を23時前にでて翌朝新宮に着く夜行普通列車に1994年頃乗った記憶あります。
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1970年代、通学・通勤で朝京浜東北線に乗っていた頃、日暮里駅で大きな荷物を背負ったおばさん達が多数乗り込んできました。 当時は正直「こんな大きな荷物を背負って大変だろうけど、車内が狭くて邪魔だなあ」と思ったものです。 その後、この人たちが行商人であることを知りました。
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かなり珍しい光景ですね! 日暮里はまさに行商の本場で、京成も上野駅まで行く行商人は末期は殆どいなかったそう。 これもまた、農業と水産の県でもある千葉の歴史のヒトコマですね。
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京成成田駅にもまだ置台あるよね
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京成成田はまだ置台あるんですね! JR成田線の湖北駅は最後の置き台があったが、2021年に撤去、鉄道博物館へ持って行ったそうです
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1970年代、目黒に住んでいたころ、ウチの母親が買っていて“千葉のおばさん”って呼んでいました。商店街に行かないですむからラクなんだよね。「暮しの手帖」にルポルタージュ記事が出ているのを読んだな。
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日暮里を経て目黒あたりまで営業に行ってたんですね。 行商人の商品は安くはないがものがいいので、料亭などや素材にこだわるお得意さんが多かったとか。
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今初めて知って、調べてみました。 凄く人情味のある風景ですね。。! 行商っていう業務自体が無くなっている気がします。 あと、物を包む風呂敷とかを日常的に使う現代若者を見たことがないです。 日本の伝統が消えている
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行商はかなり減りましたが、まだ岩手の大船渡など、路上の朝市に姿を変えて生き残っているところはありますね。  おそらく令和7年時点で列車を使った行商は、近鉄の鮮魚列車(お魚図鑑列車として残る)だけでしょうね。
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外から失礼します。コロナ禍で完全にいなくなってしまいました。それまでは、1~2名ほど見かけてました。新鮮野菜もですが、手作り草餅が美味しかったですね。また逢いたいです。
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行商もまた、千葉ならではの風物詩だと思ったのであります。 千葉は何しろ農産物水産物が豊かで、しかも東京という日本最大の消費地と鉄道で一本。まさに千葉だからこそあそこまで栄えたのでしょう。しかし平成後期の行商人の写真殆ど残されておりません。。(取材を受けなかったことも大きいかも)
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その容姿から「カラス部隊」のおばちゃんと呼ばれてたことを担任の先生から聞いた思い出。おばちゃんの手作りであったとおぼしき干し芋が懐かしい。
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行商というと青函連絡船のイメージが強いですが、千葉方面もまたかなり多かったんですよね。 ただ、現役当時は「静かに消えたい」と行商人組合はほぼ取材を受けなかったため、記録が殆どないのですよね。。。
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横から失礼します。同人誌「行商のおばあちゃんと行商専用列車」(地図ラーの会)という名作があります。漫画「カメレオン」でも描かれた古き千葉の風景ですね。小林裕美氏によると最初の行商人の一人は明治41年、南行徳の男性だったそうです。横から失礼しました。貴重な写真をありがとうございます。
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あぁ 大阪でも、20年近く前はいたけど そういや見なくなったなぁ
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嘗ては青電でしたね。
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私、2006年1月に、お花茶屋-京成上野の各停に乗ったことがあります。その時、お花茶屋駅に「行商人専用車」の表示があったのを覚えています。ひっそりと、消えていったものの、大切な輸送を支えていたのですね。
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昭和50年代位までなら行商の方は横浜線でも時々見かけましたね。今は改札前でイベントとして販売やりますから、二度とは見ない光景。
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ローカル線のムック本だったですが、成田線のなら国鉄時代の記事ですが読んだことがあります。「カラス部隊はいく」のタイトルだった。
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約30年前、池袋の北口で月に何度か行商に来ていたおばあちゃんがいました。 草餅美味しかったなあ。 話は変わりますが50年くらい前、母と乗車した車両に段ボールに入ったひよこが積まれていました。何箱も積まれていて、確か京成だったような…
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栃木県からも行商人がおられました。手ぶらで帰る彼女たちに秋葉原でラジオなど電気製品を仕入れもらい商売を始めたのがコジマでした。
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京成八幡にも、標示してました。 懐かしいです。 (⁠ㆁ⁠ω⁠ㆁ⁠)
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鉄オタ探偵っていう小説でこれを題材にした話があったなぁ
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行商の専用車あったんだ。 早朝行商のおばちゃんは昔見かけたな。
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行商のおばあさん達、よく見かけたなぁ… 小さな体に大きな荷物背負って…都心の電車(山手線?総武線?)あたりでもお見かけしました。子供心に働き者なおばあちゃん達だなぁ…と感心してみていました。このお写真拝見して思い出しました。ありがとうございます😊
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子供の頃、千葉のおばさんが新鮮な野菜をたくさん担いで行商に来ていました。背負子の中から何が出て来るか楽しみで、千葉のおばさんが来るのを待ってました。品川区です。
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4枚目の行商車両の幕、イベント貸切列車の関係者用の仕切りとして再利用されてましたね。
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高砂の駅前でお店を広げていた人が居たな。おいしそうだったんで、お餅かなんかを買った記憶がある。あれは1990年代中頃、高校をサボってほっつき歩いていた頃だったはず。
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