アカウント閉鎖のお知らせ
本アカウントでの活動は、そろそろおしまいかなと思っています。
当初、このアカウントは特定の係争に対する言及を主目的として開設しましたが、今後、それついて一切触れないと決めた時点で、本アカウントの存在意義は既に失われていました。
つきましては、前言撤回になってしまいますが、最後に書きたいことをすべて書き切った後、数日中には退会する所存です。皆さまから、「無責任」「卑怯」とのご批判をいただくことでしょう。ただ、開き直るわけではありませんが、裏アカの時点で「無責任」で「卑怯」な存在なのです。
また、本稿の内容は一部の方から強い反発があることも予想しておりますが、あくまで推測の域を出るものではありません。
もちろん、私なりのロジックもあり、感情先行の推論はしていないつもりです。ご批判や反論はご自由に、というスタンスですけど、感情論先行と思しきコメントは一切受け付けません。
また、最初の投稿からずっと申し上げておりますように、本当のところは私には全く分からないことには変わりありません。分かったことを書くのではなく、様々な理由から考えたこと、思ったことを書いています。それが大前提となっています。
では、以下、誰も読まないかも、と思うぐらいのかなりの長文になります。(全文で約16,000字になりました)
ご興味のない方は無視してください。
⚠️必ずお読みください⚠️
【本文での「原告」という言葉の使い方について】
本来、日本の裁判では、「原告(げんこく)」は、
民事訴訟にて訴えを起こす人を指します。
しかし、犯罪に関する裁判(刑事訴訟)では、
訴える役割を果たすのは検察官(国側)です。
以上を承知の上、本稿においては、
少しでも分かりやすく読んでいただくために、
刑事事件で訴えた人(犯罪の被害者)のことも
「原告」と表記することにします。
本来の使い方とは異なりますが、
この点をご理解の上でお読みください。
【開設時の意図と反省】
過去にも何度か書きましたが、本アカウント開設の動機は、御丹珍さんを取り巻く状況の改善に微力ながら貢献したいというものでした。
今振り返れば、この試みは極めて浅慮で稚拙であったと痛感しております。
ただでさえ、信頼性の低い裏アカウントという性質に加え、御丹珍さんの(noteでの発信内容から推察される)ご性格を考慮しても、私の計画は実現性の低いものでした。
また、私自身が当時者でないことも、説得力を欠いた要因になったことでしょう。
もし、過去数回の投稿での私の発言が、どこかで誰かに不快を与えたり、混乱を招いてしまったことがございましたら、心よりお詫び申し上げます。
【目的の頓挫と今後の視点】
当該係争が連日応酬される状況は、部外者である私にとっても疲弊を覚えるものであり、noteの閲覧すら不快に感じるようになっていました。
私は事態の早期収束を願い、行動に移しましたが、それはあまりにも傲慢な思い上がりに他なりませんでした。当然ながら、私一人の力で現状に影響を与えることは叶いませんでした。御丹珍さんからも即座にブロックされ、計画はわずか一日で頓挫し、目的を失う結果となりました。
現在、私が至った見解は、過去の検証は大切ですが、過去の責任追及は生産性が低いということです。今後は、未来に焦点を当て、現状の推移を冷静に予測し、状況に応じて各自が最も適切な判断を下すことが肝要だと考えます。
おそらく、大多数の関係者は終息を望んでいると思われます。しかし、我慢を強いられることに抵抗があったり、相手を徹底的に追求してから終結させたいと考えたり、個々人の事態への向き合い方は多岐にわたり、それは当然のことと認識しております。
関係者全員が完全に納得できる「落とし所」は、現実的には存在しないでしょう。
だからこそ、過去を掘り起こすのではなく、少しでも「より良い」未来を模索していただきたいと願う次第です。
とはいえ、本稿においては、その未来を模索する前提として過去の検証も行います。
【御丹珍さんの告訴に関する見解】
御丹珍さんが公言通りに告訴に踏み切る可能性は、十分にあると推察されます。そして、その告訴状が受理される公算は高いと考えられます。
と言いますのも、日本の刑事司法においては、告訴状が法令に則り適切に作成されている限り、警察や検察といった捜査機関に受理される可能性は高いのが実情です。
御丹珍さんは告訴に向け周到に準備されている様子ですので、この初期段階のハードルはクリアするだろうと予想しております。
しかしながら、最も重要なことは、その後の起訴(刑事事件としての立件)の有無です。
告訴状が受理された場合、捜査機関には捜査を開始する義務が生じます(いわゆる捜査の端緒)。
ただし、捜査着手の時期は事案の性質や機関の状況によって異なり、必ずしも直ちに行われるわけではないとされています。
また、実際の捜査を経たとしても、起訴まで漕ぎ着けるには、極めて高いハードルが存在します。これは、「嫌疑が十分であること」や「公判を維持できるだけの証拠が揃っていること」といった、専門的な判断基準が求められるためです。
正確な統計は公にされていませんが、一般的に告訴が受理されたとしても、最終的に起訴に至る割合は低いとされています。ある非公式な情報源によれば、その割合は30%を下回るとも言われています。
この統計的な事実を踏まえるまでもなく、私見ではありますが、今回の事案で起訴まで持っていくのは相当困難であると推測します。その具体的な理由はここでは割愛させていただきます。
ただし、後述しますが、立件の可能性が皆無というわけではありません。
【法的誤認を含む表現への懸念】
この度の係争において、個人的に深く懸念している点は、御丹珍さんの言葉遣いや文章表現です。
具体的には、単語の誤用が頻繁に見られることと、それが法的な誤認を招く可能性があることです。
また、私はこれを単なる「誤用」とは捉えておらず、むしろ「意図的」であると考えております。簡単に言えば、故意に専門的なワードを使用することによる威圧や脅しの(少し幼稚な)演出です。
そして、こうした行為が度を越した場合、法的な責任を問われる事態へと発展するリスクがあると感じており、この点は憂慮すべき事態であると認識しております。
⚫︎「二次加害」というワードの誤用
御丹珍さんの現行のプロフィールには、「事実誤認に基づく批判は二次加害であり、名誉毀損や業務妨害に該当し得ます」という記述が見られます。
しかしながら、この文脈における「二次加害」という専門用語の使用は、不適切であると考えられます。
「二次加害」(セカンドレイプともほぼ同義)は、主に性暴力やいじめ(又はあらゆるハラスメント)などの被害者が、その後の周囲の不適切な対応(心無い言動、責任追及、被害の矮小化など)によって受ける深刻な精神的苦痛を指す、極めて重い概念です。
もちろん、性被害の話ではないので、ここでの使用は不適切な選択でしょう。
いや、「いじめ」の被害にあっている、と主張するかもしれませんが、それも当てはまりません。客観的に見て、御丹珍さんがいじめにあっている事実は認められないでしょう。
ただ、たくさんのユーザーに誤りを正当な論理で正されたり、自身の不躾で論拠のない言い掛かりや揶揄、挑発などに反発されたりはしていますが、これらの行為を「いじめ」と見なすことは違うと思うのです。
もしこれらを「いじめ」と判断するなら、建設的な議論や健全な情報交換を妨げ、「発言した者勝ち」という不公平な状況を生み出すことになるからです。
この「二次加害」という重い言葉を、単に自身への批判を抑制する目的で用いている(と解釈せざるを得ない)発言は、恣意的な過度の警告と受け取られかねません。その結果、
①威圧行為と解釈される可能性が生じる
②法的な罪に問われる直接的な根拠とはならないまでも、間接的な心理的影響を与える
③発信者自身の心象を大きく損なう
といった懸念が否定できません。この表現は、受け手に不必要な威圧感を与える可能性があるため、より正確かつ客観的な用語への修正が望ましいでしょう。
⚫︎法的基準を矮小化する表現
「二次加害」に続く「名誉毀損や業務妨害に該当し得ます」との表現は、日本の刑法に関する正確な理解を欠いており、極めて不適切であると言えるでしょう。
日本の刑法において、これらの犯罪が成立するための要件は決して低くありません。
確かに、事実を誤認した上での批判や論評が、結果的に罪に問われる可能性は十分にあります。そこだけを切り取ると、間違ってはいません。
しかし、現状の当事者間の「事実」が明確でない状況を鑑みると、この表現は自己の立場に都合よく、法的なリスクを誇張・歪曲していると言えるでしょう。
基本的に、名誉毀損罪の成立には、人の社会的評価を現実に低下させる程度の具体的な事実の摘示が必要です。また、業務妨害罪に至っては、業務に対する具体的な支障という厳格な要件を満たさなければ成立しません。これらの罪が安易に成立するものではないことは、法的な常識です。
もちろん、「事実誤認に基づく批判」は望ましいことではありません。しかし、その程度の基準だけで「名誉毀損や業務妨害」が成立するような社会は、健全な言論の自由が保障された法治国家とは言えないでしょう。
ただし、批判の内容や表現が度を越して悪質である場合、名誉毀損や侮辱等の罪に該当することは当然あり得ます。
しかし、その段階に至ると、「事実誤認に基づく」という前提条件の有無はもはや本質的な問題ではなく、罪の成否を左右する決定的な要素ではなくなります。
加えて、本件は「事実」が不明確な中での応酬に関する事案です。そのような状況下で、あたかも自らの主張が絶対的な「事実」であると決め付けて、相手の批判を封じ込めようとする主張の姿勢には問題があります。つまり、ここで法的な成立条件を安易に持ち出すこと自体が不適当なのです。
また、スポーツ、芸術、政治、経済、芸能、社会といったあらゆるトピックにおいて、事実誤認を含む批評や批判が日常的に存在しているという現実も無視すべきではありません。
このような現実的な状況や法的な基準には一切触れず、法的基準を意図的に矮小化する発言は、「とにかく批判されたくない」という自己保身の表れと推察されます。
さらに、この発言自体が、法的根拠のない「事実誤認」に基づくデマの流布になっており、批判者を威圧する行為と見なされかねない危険性もはらんでいます。
また、ご自身の過去の主張のほとんど(救急搬送ない、杏里は存在しない、二組の複アカ説など)も、「事実誤認」に基づくものである可能性が非常に高く、もしそうなら自らのことを「名誉毀損罪」に抵触していると判定することになるのです。そうじゃないなら、今すぐにでもこれらの根拠を明示すべきです。
⚫︎刑法における「業務」とは?
刑法上の「業務」とは、判例・通説によれば、社会生活上の地位に基づき、反復・継続して行う活動を指します。
インターネット上での業務は、営利目的の活動(例:ネットショップ経営、YouTuber、オンラインサロン運営、アフィリエイト、ウェブライティングなど)はもちろんのこと、非営利の公益的な活動(例:学校、病院、NPO法人などの運営)も含まれます。
しかしながら、御丹珍さんの個人的なSNSアカウントや、彼が主宰する「コメント解放区」の活動は、一般的に見て刑法上の「業務」に該当しないことは明らかです。
したがって、彼のプロフィールに記載されている「事実誤認に基づく批判は二次加害であり、名誉毀損や業務妨害に該当し得ます」という文言は、業務妨害罪の適用という観点から見ても誤りです。
これは、適用外の罪状を並べ立てることによる威圧や脅しと受け止められる可能性があり、御丹珍さんの性格や意図を反映しているものと考えられます。
⚫︎「催告」という言葉の不適切な使用
ある記事のコメント欄に、「(noteの代表取締役に)証拠保全と捜査への協力を催告した」という報告が記されていました。この表現は、御丹珍さんの高圧的な人柄を強く推察させるものです。
通常、プラットフォーム運営会社への「協力要請」は「お願い」や「依頼」といった表現を用いるのが適切です。しかし、ここでは、債権者と債務者間のような明確な力関係が存在する際に用いられ、「命令」に近い強いニュアンスを持つ「催告」という語が選択されています。これは、極めて不適切な言葉遣いと言わざるを得ません。
しかも、一ユーザーが、自らが利用するプラットフォームの運営会社代表取締役に対して「催告」しているのです。
そもそも「催告」とは、法的な文脈において「義務の履行」や「権利の行使」を強く要求する際に用いられる専門用語です。
したがって、このコメントは、単なる知識不足に起因するものか、あるいは外部に対する威圧を目的としたハッタリ、もしくは発言者の高圧的な性格の表れとして捉えることができます。
⚫︎改正刑法
また、つい最近、ご自身の記事に、相当酷い「情報操作」とも受け取れるコメントがありました。そのまま全文コピペは著作権法に触れる可能性があるので、実際の文面は、添付記事のコメント欄からお探しください。
御丹珍さんのコメントを要約しますと、下記四点にまとめられます。
①2025年6月1日に改正刑法が施行された
②インターネット犯罪に特化した「組織性」の強化
③共同正犯、教唆、幇助も犯罪である
④とりわけ「自演」が計画性と故意の証明になる
このコメントは、事実誤認だらけの文面になっています。相当酷いので、この項目は少しスペースを多く取らせていただきます。
2025年6月1日に施行された改正刑法(刑法等の一部を改正する法律)は、受刑者の改善更生をより重視することを目的とし、懲役刑と禁錮刑を廃止し、「拘禁刑」に一本化することが主要な変更点です。
この点を踏まえ、御丹珍さんのコメントを要約した上記4点について、法的な観点から真偽を検証しました。
①は(御丹珍さんは具体的な内容に言及していませんが)正しいです。
確かに、2025年6月1日に改正刑法が施行されました。
しかし、②〜④は全て間違っています。
②インターネット犯罪に特化した「組織性」の強化
これは、改正刑法の変更点ではありません。
組織的な犯罪は、改正の有無にかかわらず、組織犯罪処罰法(正式名称:組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律)などの特別法や刑法の共犯規定によって、以前から厳しく取り締まられています。
③共同正犯、教唆、幇助も犯罪である。
これも、改正刑法の変更点ではありません。
共同正犯(刑法60条)・教唆(刑法61条)・幇助(刑法62条)は、刑法の基本的な共犯規定であり、以前から犯罪行為として処罰の対象です。ここで、わざわざ取り上げる理由が不明です。ただし、社会の風潮として、これらの共犯規定の積極的な適用が広がる傾向にあることは事実ですが、改正刑法とは全く関係ありません。
④とりわけ「自演」が計画性と故意の証明になる
これも、改正刑法の変更点ではありません。
「とりわけ」も何も、日本の刑法において、「自演」という行為が法的に特定の証明になると定めた規定が新設されたことはありません。
ただし、一般的な刑法解釈として、「自演」行為が犯行の計画性や故意を判断する証拠の一つとして、考慮される可能性は十分にあります。
上記②〜④の書き込みは、改正刑法による直接的な変更点ではないにもかかわらず、御丹珍さんのコメント文は「2025年6月1日以降そうなった」かのように受け取れる表現となっており、誤解を招く可能性があります。
いや、そのように誘導していると考えられます。
「そんなことは書いていない」とか「悪意の解釈だ」といった弁明をするかもしれませんが、意図的にそういった逃げ道を残しているだけで、文面から受け取る印象は改正刑法でそうなったと思う人が大半でしょう。
もし作為的な誘導なら、かなり悪質と言えますし、個人的には実際にそうだと受け止めております。
要するに、既存の法的な取り締まりの厳しさ、そして、社会における法運用の傾向を、強引に法改正と結びつけて誇張した「もっともらしい誤情報(ガセネタ)」に過ぎません。その目的は、自己保身と外部に向けた威圧や警告でしょう。
そのために、私的な解釈や希望的観測を織り交ぜた「ハッタリ」と推察されます。
一方で、擁護出来る点もございます。
誹謗中傷やインターネット上の犯罪に対する取り締まりは、今回の改正とは別に、2022年7月7日施行の改正(侮辱罪の法定刑引き上げと公訴時効の伸長など)によって既に大幅に強化されており、その後の法運用の傾向としても、共同での犯罪行為や計画的な行為に対する処罰が厳しくなっている傾向にあることは確かです。
したがって、この書き込みの「大筋」、すなわち「インターネット上での違法行為は厳しく罰せられる」という注意喚起の趣旨自体は有効です。
しかし、それを法改正と結び付けて、あたかも6月からそうなったんだと印象付ける書き方は、かなり問題があると思います。
関連する法制度についても触れておきます。
・共同正犯(刑法60条): 2人以上の者が共同して犯罪を実行した場合、全員を正犯として処罰する基本的な共犯規定です。組織的な犯罪に限らず、単発的な犯罪にも適用されます。今回の改正とは無関係です。
・組織犯罪処罰法: 特別法として既に存在し、組織的な殺人・詐欺などの犯罪に対する刑の加重や、組織的関与の処罰を定めるなど、組織性が認められる犯罪を厳しく取り締まるための規定を設けています。今回の改正とは無関係です。
⚫︎その他
過去のプロフィール文やコメント等にも、意図的に語彙を誤用していると見受けられる表現が散見され、高圧的かつ威圧的な印象を与えることが少なくありませんでした。
生憎、私は具体的な記録(スクリーンショットやメモなど)を残しておりませんが、これまでの発言の全体的な傾向として、皮肉や揶揄を交えた挑発的、攻撃的な言動が多く、第三者から見るとそのような人物像だと想像されると思います。
この点が法的手続きにおいて重要視されるのは、刑事訴訟においてです。刑事訴訟では、被告の「人間性」が判決にかなり大きな影響を与えるのです。
民事訴訟においては、提出された証拠と法律の適用に基づいて判決が下され、当事者の人間性が直接的に判決を左右することはありません。
しかし、刑事訴訟においては、被告人の人間性、特に反省の有無や態度は、判決(特に量刑)に大きな影響を与えます。
現状では、御丹珍さんは原告となる予定であるため、この点が直ちに不利に働く可能性は低いと考えられます。
しかしながら、仮に誰かに訴えられた場合、noteなどで示されてきた一連のネガティブな言動や人間性は、裁判において極めて不利に作用すると考えられます。
特に、上述してきたような、法解釈や論理を自己に都合よく捻じ曲げるような自己正当化の姿勢、そして、それを自己保身や外に向けた威圧、脅迫や封圧などに利用する姿勢、また、過去の拙稿で取り上げた「悪魔の証明」の詭弁的な悪用による義務の押し付け、こういった実績から窺い知れる人間性は、刑事裁判においては深刻な不利益を招きます。
これは、裁判官の心証や発言の信頼性を低下させるだけでなく、反省しない人と見なされる可能性もあり、量刑に重大な影響を及ぼす恐れがあるからです。
【係争の焦点と「救急搬送」の真偽について】
⚫︎画像の真贋の意味
Keiさんが公開した証拠写真の真偽を巡る応酬は、本件の核心から逸脱した、不毛な議論に終始しておりました。
なぜなら、当該画像の真贋は、「救急搬送」という事実の有無を確定させる直接的な証拠能力を持たないからです。
もし、画像が無加工であったと立証されたとしても、それ自体が救急搬送の発生を証明するものではありません。
反対に、画像に偽装(加工)が認められたとしても、それをもって直ちに救急搬送が狂言であったと断定することもできません。
裁判における心証形成に一定の影響を及ぼす可能性はありますが、これは本来、当事者間が争うべき本質的な事実認定から外れた、意地の張り合いと見受けられます。真に焦点とすべきは、救急搬送を裏付ける客観的な記録や証言の有無であると考えるべきです。
⚫︎争点とすべきこと
本来、法的な論点として争うべきは、救急搬送の事実の真偽ではなく、まず「誹謗中傷行為の有無」に限定されるべきです。
なぜなら、名誉毀損罪や侮辱罪は、原則として摘示された事実の真偽を問わないからです。つまり、救急搬送が真実なのか虚偽なのかは、犯罪の成立そのものに直接関係しないのです。
最も重要なのは、行為時(誹謗中傷の発言時)に、どのような意図があったのか、という点です。これが、法的判断の根拠となります。
この観点から見れば、当初、何らかの確証もなく「救急搬送はされていない」と断定し、それを不特定多数に向けて発信した御丹珍さんの行為は、その時点で名誉毀損罪に抵触している可能性が高いと見なされます。
たとえ後になって、その断定が御丹珍さんの主張通りだったことが判明したとしても、このケースにおいては「名誉毀損」の成立が否定されることにはならないのです。
ただし、一般的には、真実性の証明は刑の減免や民事における違法性阻却事由にはなり得ますので、本件でも微かにその可能性は残されているかもしれません。
もっとも、これは御丹珍さんが訴えられた場合の話になります。
※違法性阻却事由:本来は違法行為だが、違法性を否定する事由のこと
⚫︎悪質な誹謗中傷の法的リスク
誹謗中傷行為が原因で、被害者に身体的な悪影響が出た場合、そこに因果関係が認められると、より重い罪に問われる可能性があります。
・傷害罪(刑法第204条)
精神的な疾患やストレスも対象になり得る、法定刑が15年以下の懲役または50万円以下の罰金という重い罪です。
・傷害致死罪(刑法第205条)
最悪の想定ですが、虚偽情報の発信と病状悪化の因果関係が極めて強く、結果として被害者が死亡した場合に問われる可能性があり、法定刑は3年以上の有期懲役とされます。
ただし、誹謗中傷が医学的・法的に身体への影響を与え、病状悪化などの直接の原因となったことを立証するのは非常に困難であり、傷害罪や傷害致死罪の適用は現実的にはかなり厳しいと言えるでしょう。
⚫︎証拠要求の裏付け
御丹珍さんは、keiさんの緊急搬送から数日後になって「救急搬送が事実なら証拠を出せ」と要求し始めたと記憶しておりましたが、皮肉なことに、これは行為時に確証がなかったことの裏付けとも受け取れます。
私の推測ですが、誹謗中傷を行っておきながら、後にその行為の危険性に気づき、「もし、緊急搬送されていなかったら罪を免れるかもしれない」という誤った認識にすがりつき、証拠写真の真偽に固執するという行動に発展したのではないでしょうか。
さらに、自分で真偽を立証すべきところを、「悪魔の証明」を悪用して、相手側に立証責任を負わそうとした手法は姑息で悪質です。
結論として、御丹珍さんによるkeiさんへの「誹謗中傷行為」は、刑事・民事を問わず、認められる可能性は十分にあると思います。
と言ったところで、「名誉毀損罪」も「侮辱罪」も親告罪であるため、外野の意見は無力で無意味なのです。
訴訟や告訴を推奨したり後押しするつもりは全くありませんが、いつまでも言い争いが続くのであれば、法に委ねるのも一つの手段ではあると思います。
もっとも、これもまた外野の意見に過ぎません。
【御丹珍さんの告訴の可能性】
今のところ、刑事告訴を行う可能性が高いのは御丹珍さんの方でしょう。
しかし、誰に対して、何の罪状で告訴するのかは分かりません。ただ、もしkeiさんを告訴し、受理され、各方面に捜査が入ることになると、御丹珍さんの方が圧倒的に不利になる可能性が高いかもしれません。
もっとも、そのことに全く気付いていない、あるいは理解していないのであれば、あり得るシナリオではあります。
ただし、先に少し触れました通り、御丹珍さんの告訴は、相手と内容によっては起訴まで辿り着く可能性もあります。
客観的に見て、彼もまた、謂れのない誹謗中傷(特に誹謗)を受けている側面があるからです。
認めたくない人も多いでしょうが。
一般的にも、「悪いことをした者にはやり返してもいい」といった「復讐」の意識が、犯罪に結び付くケースはよくあります。
行き過ぎた報復行為や私的な制裁など、被害者がいつの間にか加害者になってしまう例は実際に沢山あります。
同様に、誹謗中傷されたからといって誹謗中傷をやり返す行為は、一歩間違えると法的な問題に繋がりかねません。
相手からの誹謗中傷とも受け取れる発言に対し、否定や反論、誤りの指摘など、常識の範囲での言葉の応酬はあって然るべきことです。
それは、「議論」や「討論」だからです。
しかし、議論や討論の範疇に留めないといけません。もし、そこから一線を越えてしまうと、客観的に誹謗中傷と受け取られる可能性も無視出来ないのです。
その線引きは曖昧で微妙ですが、御丹珍さんが確実に名誉毀損罪が成立するであろう案件に絞り込んで告訴すれば、立件される可能性は微かにですが、あると考えられます。
【keiさんの言動への疑問】
keiさんが「証拠写真」を提示し、その真実性を強く主張した点は、私にとっては不可解な行動に映りました。
多くの方々にとって、この行動は自然なものと感じるのかもしれません。しかし、keiさんに関する予備知識を一切持たない私から見ると、いくつかの点で釈然としない部分が残るのです。
⚫︎証拠を提示する不合理性
まず、法的な観点から見れば、keiさんには証拠を提示する義務は全くありません。
しかも、御丹珍さんは「救急搬送はデマである」という自らの主張に、証拠が何もないことは明らかでした。
ここでの御丹珍さんのロジックは、搬送の証拠がない、若しくは証拠を出せないのなら搬送された事実はない、という法的にも論理的にも破茶滅茶なものでした。逆に言えば、完璧に証明されると困る状況でもありました。
なので、もしkeiさんが提示したところで、効力のある証拠と認めるわけがないのは分かり切っていました。
しかし、noteでの私的なやり取りの中で、有無を言わせぬ証拠を提示することは、まず不可能です。何を出しても否定される要素は必ずあるので、提示する方がトラブルを大きくする予測は容易に出来ました。
そもそも、提示する必要も義務もないのです。
なのに、何故提示したのか、それだけでも大きな疑問です。
また、仮に提示された写真が本物であるならば、他者から加工や偽装(ここでは意図的な情報操作としての「偽装」を用います)を疑われたとしても、無視しておけばいいだけです。
むしろ、将来的な裁判の可能性を考慮した場合、相手方に「偽装」と決めつけさせた方が、後の法的展開において有利に作用することは間違いないでしょう。
客観的に見ると、keiさんの態度は、必死さをもって写真の真偽に固執しているように映りました。
緊急搬送の真偽は、第三者には証明しようがないものですが、唯一証明出来る本人が、なぜ証拠としてあの写真を選択したのか、そして、その真偽への執着は何を意味するのか、私には理解し難い点です。
加工されたものか否かは鑑定に回せば物理的に判別出来ますが、それは全く無意味です。
大切なことは、写真に本当に証拠となり得る状況が写っているか、ですが、これも第三者には判断しようがありません。
ただ、keiさんが提示した写真は、その気になれば捏造出来るものです。それを疑うつもりは全くありませんが、単なる可能性の問題として無視出来ません。
猜疑的に見る人にとっては、偽装写真と判断する可能性は高いでしょう。
そして、猜疑的に見る人に向けて提示する証明ですから、その時点で、証拠能力としては疑問が残るのです。
もし「どうしても証拠を突きつけたい」という意図があったのなら、あれらの写真ではなく、公的な裏付けが確実な「救急搬送証明書」を取得すべきでした。
それにしたところで、プライバシーの部分は修正が必要ですから、猜疑的な視点を失くす効果は限定的ではあります。
ただ、「救急搬送証明書」は消防署が発行する公文書なので、偽装や捏造も法に触れますから(公文書偽造罪)、私的な写真とは比べようもないぐらいの説得力はあるでしょう。
いずれにせよ、真偽を知るのはkeiさんだけである以上、それが「真実」であるならば、その証明に躍起になる行為自体が、合理性を欠いているように感じられるのです。
⚫︎被害の真実性と法的手段の選択
keiさんの主張が全て真実であると仮定すると、その事案は単なる名誉毀損罪や侮辱罪に留まらず、傷害罪の成立の可能性も極めて高いと考えられます。
前述の通り、傷害罪や傷害致死罪の適用は現実的にはかなり厳しいと言えるのですが、本件ではログを解析し時系列を追えば、明らかな因果関係が浮かび上がると思います。
また、民事においても高い確率で損害賠償(慰謝料)の請求や、公式の場での謝罪を要求することが可能でしょう。
つまり、救急搬送が事実であるならば、公的機関からの要請でもないのに証拠を出す必要なんて全くなく、黙秘していた方が戦略的にずっと得策であったはずです。
それに、何を提示したところで、偽装を疑われることは容易に予測できました。それに対し、反論する必要もなかったと言えます。
もっとも、そういう性格(例えば、勝ち気で感情的で意地っ張りとか)と言われれば、何も言い返せません。
その辺は、私には想像も出来ない領域です。
⚫︎虚偽の可能性に関する考察
一方で、keiさんの主張が、仮に全て虚偽であった場合についても検証が必要です。
数か月に及ぶこの騒動において、その可能性を想定する論考が皆無であったこと(一方的に狂言と決めつけた御丹珍さんの言動は論外とします)も、私は不自然に感じておりました。
これは、おそらく多くの人が、keiさんの人柄や誠実さを信頼していたため、と推察しておりました。
しかし、私はkeiさんのパーソナリティを全く知らないため、その要素を一切考慮せず、「全て虚偽である」という仮定のもとでもこの事象を検証してみる必要性を感じました。
「真偽は分からない」のですから、そちらの検証もしないとフェアとは言えないからです。
⚫︎「救急搬送」が虚偽だった場合の動機(仮説)
もしkeiさんの救急搬送が虚偽だった場合、その動機は主に以下の2点に絞られると考えられます。
①加虐的・制裁的な動機
御丹珍さんを精神的に苦しめ、困難な状況に追い込み、あるいは法的な責任を負わせたいという意図。
②有利な展開を目的とする動機
救急搬送された事実をアピールすることで、周囲の同情を集め、支持者を増やし、議論を優位に進めたいという意図。
これらの動機は、あくまで「仮に虚偽であったら」という、仮定に基づいて導き出した私の推測であり、当然ながら、これを裏付ける客観的な証拠は何も存在しません。
したがって、たとえ虚偽を強く確信していたとしても、証拠の提示もなくそれを断定し流布した御丹珍さんの行為は、非難されるべきものだという考えに変わりはありません。
ただし、その後の経緯を「救急搬送はなかった」と仮定して考察すると、ごく一部の事象に論理的な整合性を見出せることも事実です。
これは、あくまで私個人の内的な納得感に基づく(憶測に近い)推測であり、詳細な記述は控えますが、この仮定によって解決できる個人的な疑念が存在することもまた事実です。
もちろん、それをもって断定には至りませんし、断定するつもりも全くありません。しかし、小さな可能性ではありますが、完全には排除できないというのが、私の率直な感想です。
詳細はごめんなさい、私の妄想や思い過ごしの可能性も否めない(むしろそうであって欲しい)ので書けませんが、現状では全く根拠がない話なので公開出来ません。
【法的手段における「原告」の重要性】
結局のところ、本件の全ての真実を知り得る人物は、紛れもなくkeiさんご自身だけです。
keiさんが主張されている被害が全て真実であると仮定するならば、刑事告訴や民事提訴といった法的手段を講じることは、極めて合理的かつ効果的な選択肢となります。
もちろん、ご病状により心身に多大な負担を負われているkeiさんにとって、法的措置の遂行が極めて困難であることは想像に難くありません。
しかし、御丹珍さんが実際に法的措置の準備を進めている現状を鑑みると、keiさんが被告・被告訴人の立場に立たされる可能性も、看過すべきではありません。なぜなら、訴えられた側(被告・被告訴人側)から真実性を証明し、自身の正当性を主張することには、本質的な限界があるからです。
⚫︎法的手段における「被告・被告訴人」の限界
① 刑事手続の場合(被告訴人・被告人)
もしkeiさんが起訴され、裁判において自身の主張の真実性を立証し、無罪判決を勝ち取ったとしても、それは「御丹珍さんがkeiさんを有罪とすることに失敗した」という結果に過ぎません。
したがって、御丹珍さんの行為の不当性が法的に断罪されたことには直結しないのです。
② 民事手続の場合(被告)
これも同様です。keiさん側が勝訴したとしても、それは「御丹珍さんの請求が法的に認められなかった」という結果に留まります。
これをもって、御丹珍さんの加害責任や、法的・社会的・道義的な責任を積極的に問うことには直結しません。
つまり、被告側としてどれだけ徹底的に防御したとしても、得られる司法判断は、原告(御丹珍さん)の訴えが「正当ではなかった」(請求棄却/無罪)という消極的な認定が精一杯なのです。
もちろん、全てが真実であるという前提の話であり、もし虚偽が含まれている場合は、言うまでもなく敗訴や有罪の可能性も生じます。
⚫︎「原告・告訴人」として能動的に行動する意義
一方で、keiさんご自身が原告として提訴や告訴を行うことには、極めて大きな意義があります。なぜなら、それは御丹珍さんの行為が「間違っていた」(違法性・不当性が存在した)ことを積極的に証明し、その責任を追及する闘いになるからです。
法的な意味で、「正当ではなかった」(真実性が証明されなかった)という消極的な判断と、「間違っていた」(違法性・不当性が認定された)という積極的な判断の間には、決定的な隔たりが存在します。
もし、後者のような積極的な司法判断を求めるのであれば、原告・告訴人として能動的に行動することこそが必須となります。
要するに、keiさんが自ら提訴に踏み切ることは、単なる防御に留まらず、御丹珍さんの行為に対する法的責任(不法行為責任など)を明確に追及し、「御丹珍さんが間違っていた」という司法の判断を勝ち取る最も確実な手段なのです。
御丹珍さんが自発的に罪を認め、謝罪や償いを申し出るようなことがあれば別ですが、現状ではその可能性は極めて低いでしょう。
そうなると、この能動的な法的行動こそが、真実の証明と、御丹珍さんの責任の所在を確定させる唯一の道なのです。
⚫︎法的措置への踏み切りの是非と疑問
もちろん、何度も言うように、訴訟や告訴を推奨する意図は全くありません。ただ、私の抱く本質的な疑問は、どうしてもそこに繋がってしまうのです。
つまり、もしkeiさんの主張が全て真実であるならば、その被害の程度は極めて悪質かつ残酷にエスカレートしているにもかかわらず、なぜ能動的な法的措置(提訴・告訴)を講じないのかという疑問を、どうしても拭い去ることができないのです。
御丹珍さんと他の方々との係争(明らかにkeiさんとのトラブルとは「別物」ですので、切り離して考えるべきです)は、事の大小はあるものの、一般に見られるネット上のトラブルの範疇と見なせるかもしれません。
もちろん、個々人の怒りや精神的苦痛を軽視するつもりはありません。ただ、客観的に見て、時間や経費の浪費、心身の疲弊、日常への影響といったリスクを天秤にかけると、自ら法的手段を取ることに躊躇いがあるのも理解できます。
多くの場合、「訴えられれば対応する」という消極的な姿勢に留まるのが現実でしょう。
平易に言えば、大多数の人にとって、告訴や提訴は「煩雑で面倒」なプロセスに過ぎず、実行したところで得られるものよりも失うものの方が大きいと考えてしまうものです。
そして、多くのケースで、それは実際にその通りでしょう。
しかし、keiさんが被った被害は(虚偽が一切ないのなら)、そのような範疇を遥かに超えた、非常に事件性の高いものです。被害は家族にまで及び、傷害罪に発展する可能性のある事態にまで及んでいるのです。
さらに、何故か相手方(御丹珍さん)も被害を訴えており、すでに告訴予告を行っている状況下では、いずれ法廷で争う可能性が極めて高いと言えます。
前述したように、相手の責任を追及し、真実を積極的に証明するためには、原告としての能動的な行動が必要不可欠となる局面が多いはずです。
もし私がkeiさんの近親者であれば、この状況において沈黙を貫くことは到底できません。
多くの人々は訴訟や裁判といった法的な手段を避けたがるものですし、私もそれを積極的に推奨するつもりはありませんでしたが、事態はもう、そんな悠長な判断が許される局面ではなくなったと思うのです。
状況は明白に新たなフェーズへと移行しており、残された道は法的な解決しかありません。
若しくは、「泣き寝入り」かの二者択一の状態です。
該当する罪状は全て親告罪ではありますが、代理人として訴える、あるいは弁護士を通じた法的措置を取ることを考えるでしょう。
少なくとも、現状のようにネット上で騒ぎ立てるだけに留まることは、問題の根本的な解決に繋がらず、騒動を拡大させるばかりに見えます。
正直なところ、現在私が拾える状況の判断だけでは、keiさんがこの一連の行動を通じて、何を最終的な目的とし、何を望んでいるのかが、私には全く見えてこないのです。
表面上は、御丹珍さんへの憎悪に駆られ、周囲の同情や同調を誘い、御丹珍さんの社会的排除や懲罰を求めているだけに映っていた時期もありました。
もちろん、この行動は「自分が正しい」という確信の裏返しとも解釈できますが、積極的な法的行動の欠如という点で、拭い切れない違和感が残るのです。
もっとも、水面下で着々と告訴の準備を進められているのなら、全て私の邪推になります。
合理的、現実的な行動で理知的な戦略でもあり、正しい判断だと思います。
もしそうなら、きっと上手くいくと思います。
結局のところ、この状況には不明な点が多すぎます。もし、「事を荒立てたくない」「穏便に話し合いで解決したい」といった意図があるのだとすれば……実際にそうとも受け取れる言動もありましたが……絶対に応じないであろう御丹珍さんの性格を鑑みても、また被害がこの段階までエスカレートした今となっては、もはや手遅れではないでしょうか。
【おわりに】
以上、部外者である私なりの見解を述べさせていただきました。
くどいぐらい繰り返しておりますが、本当のところは誰にも分かりません。だからこそ、客観視した時に疑問を感じる点を中心に論理を整理しました。
この文章を、本アカウントの最後の投稿として、数日間ここに置いておきます。
申し訳ございませんが、コメントをいただきましても返信はお約束出来ません。
ご了承いただければと思います。
短い間でしたが、本アカウントの記事に目を通してくださった皆様に感謝申し上げます。


美讃珍さま、はじめまして…ではないかもしれませんね。 私も元解放区メンバーの別アカです。 はじめてコメントさせていただきます。 理路整然とまとめられた文章、大変、勉強になりました。 正直申しますと、IDに関する計算については何とも判断がつきませんが、 私も素人ながら法律や訴訟に関…
長くなり申し訳ありません。 彼が私の投稿に目を通してくださったのかどうかは分かりませんが、もし読まれたのなら、一度自説を客観視し、何故そういう結果と断定したのか、全てにおいて、その理由を考え直して欲しいと切に願っています。 このアカウントでの記事をもって、私の根拠を押し付けるつも…
美讃珍さん、こんばんは。 記事全般において、ごもっともと思われることばかりでありますが、 keiさんのことを書かれた中・後半の内容については、 私の目には違和感として映っております。 keiさんの現状や気持ちは、本人にしか知り得ないことです。 日々、体調や気持ちにつきましては、大…
ご質問の件ですが、正直私に聞かれても……と思うのですけど、一応向き合ってみますね。 まず、十六夜さんの仰る「ネットの世界」は、主にSNSのことですよね? ネットビジネスの世界では「eKYC」という仕組みが既にありますけど、SNSだと、強いて言えばXの認証バッジとかインスタのMeta認証程度が…
美讃珍様。初めまして。 大論文を有難う御座いました。 「本アカウントの存在意義は既に失われ」「この文章を、本アカウントの最後の投稿として、数日間ここに置いておきます。」 とのことですが、今後同アカウントで発信し続けることはないにしろ、記録として残して置いていただければ幸いに存…
はたちゃん様 はじめまして。 コメントをありがとうございます。 お気持ちは純粋に嬉しく受け取らせていただきます。 ただ、「記録」として残すことに抵抗があるのです。 ここでの発信は、全て私の考察や推測、時に憶測さえ含みますし、論理の飛躍もあると思っています。 間違いもあるでしょうし…