欲しいものを取りに行く。
長野在住の自称全詰まり無感動女K様から「生きるのが面倒臭い。いつまでこんなことをやらなくちゃならないのかと思うとトータルで虚無る」とご連絡をいただいた。私の正しい使い方である。虚無るのは枠の中を生きているから。ちゃんとしなきゃとか、落ち着かなきゃとか、人と会う時は相手に合わせなきゃと思うと、虚無るのは当然。相手に合わせるのはコミュニケーションではなくてゴミニケーション。自分がゴミに成り下がる。
家庭環境や幼少期のトラウマや毒親はまぼろし。ビビっているだけ。本当はやりたいことがあるのに、ビビっているから獄中で退屈しているだけ。相手に合わせるのはゴミニケーション。相手に従うのはゴミニケーション。人と会うのが嫌になるのは当然。コミュニケーションは「これをやりたい」「これはやりたくない」「ここまではやってあげてもいいけど、ここから先は自己犠牲になるからやらない」と言うこと。一切の我慢をすることなく、お互い気持ちいいポイントにいられることを目指すのがコミュニケーション。従うことはゴミニケーション。どちらかの我慢を前提とするのはゴミニケーション。自分自身がゴミになる。
K様は長女。人前で泣くことができないと言って泣いた。ここで泣けたら楽になるとこれまで何度も思ってきたと言いながら泣いた。泣いたら心配されたりびっくりされちゃうから泣けないと言って泣いた。たくさん泣けてよかったねと思った。末っ子の私はがんがん泣いた。人前でがんがん泣きながら「全部お前のせいだからな」と人のせいにする幼少期を過ごした。それはそれで問題があるが、自分の内側に何かを溜め込むことはなかった。泣いてスッキリ。美味しいものを食べたり、面白い漫画を読んだり、褒められたら復活した。
K様は「トータルで虚無ったから本当にもうこれで終わらせていいと思った」と言った。私は「どうせ終わらせるのなら終わる前にこれをやって終わりたいと思うことはないのか」と聞いた。K様は「ある」と言った。私は「それを一緒にやって終わろう」と言った。K様の願望を叶えてめくるめく官能の時を過ごした。K様は「楽しい」と言った。今は全然死にたくないし虚無感もないと言った。虚無るのはビビっているから。本当に欲しいものに真っ直ぐ手を伸ばさなかったから。欲しいものを取りに行く。欲しいものを取って死ぬ。
狂人扱いされてもいいから、自分の心の深いところにある本当の望みを聞く。拒絶されるのが怖いとか、嫌われるのが怖いとか、保身に負けない。保身に負けると退屈になる。何度でも嫌われて、何度でも拒絶されてからが本番。何回もトライすると、時折すんなりオーダーが通って「わーい」となる。嫌われることを恐れると、自分自身から見放される。こどもは遊ぶことを休みたいとは思わない。遊べば遊ぶほど元気になるのが本当の遊び。遊んでも元気にならないなら遊び方を間違えている合図。虚無の奥にはさみしさがあり、さみしさの奥には激しさがある。激しさを遂行する。欲しいものを取りに行く。恥ずかしいからやらないのではなく、死ぬほど恥ずかしいことをやる。死ぬほど怖いことをやる。死ぬほど危険な遊びをやり、我が人生に一片の悔いなしと言って死ぬ。
おおまかな予定
12月4日(木)長野県長野市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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ばっちこい人類!!うおおおおおおおおお!!


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