なぜ『男磨きハウス』は有害なのか:対人能力を男らしさに回収したために起こること
いま、SNSで『男磨きハウス』なる番組が話題となっている。これはAbemaで放送されているリアリティーショー形式の番組であり、メンズコーチを自称するYouTuberジョージが中心となってダメな男たち5人を本物の男にするというコンセプトになっている。
SNSにおける『男磨きハウス』の評価はおおむね否定的である。そりゃ、SNSでごちゃごちゃ呟くしか芸がない陰キャのオタクと、メンズコーチが信奉する「本物の男」的な概念の喰い合わせがいいはずもない。大元を辿れば、ジョージがSNSで著名となったのも『厳しいって』などの独特な言葉遣いと共に時代錯誤的な主張を繰り返す滑稽さが注目されたからだった。
この記事を書いている現時点で、『男磨きハウス』に対する批判で主要なのは以下のような反応だ。要するに、番組が「弱者男性」を見世物にして笑うために作られているという主張がされている。
俺はこれ全然笑えなくて、俺が女修行初めて婚活パーティーやストナンやクラブ行った時まさにこのままだったから。俺は最初声をかけられなかったから声掛けてるだけ偉いし凄いと思う。女と違い非モテ男性が頑張るとこうやってばかにされる。だから男の女修行は尊くて偉い。女と違いこういった様々な困難… https://t.co/FPgp5EdFQu
— 恋愛のドグマ🦁マッチングアプリ恋活婚活で幸福を掴ませる (@dogmapua666) November 23, 2025
女にとっては非モテ/弱者を攻撃することが最大の幸福であり、最上のレゾンデートルなんですよ
— 田中 (@Pd4Ha) November 23, 2025
この女の喜び様とよがり様を見よ!!
これこそが、これこそが、女の至福、最大の快楽、最上にして究極のエンタメなんですよ
嘘なんかつかずに素直にそれを出すだけこの女はマシですよ https://t.co/95w4uqfbQn
私も、番組を見る前から番組には重大な問題があると感じ取っていた。ただし、その問題は「弱者男性」を見世物にしていることではない。むしろ、上に挙げたような反応が生じることこそが『男磨きハウス』の問題の本質だと考えている。
そこで、今回の記事では『男磨きハウス』が何をしているのかを探りつつ、この番組の一体何が問題なのかを詳しく考えていく。
なお、この記事を書くうえで実際に番組を視聴したが、実際に見てみると悪くない面もそれなりにあり、だからこそ番組が抱える問題点が一層深刻になっているという気もしている。悪い点ばかりを書くのもアンフェアだと思うので、『男磨きハウス』の悪くない点も拾っていきたい。
男磨きハウスの悪くない視点
逃げ癖を直すのは実際必要
メンズコーチであるジョージがオーディションから5人のダメ男を選び、10日間にわたる地獄の合宿を乗り越えていく。これが『男磨きハウス』の概要である。
参加者の5人は多種多様なダメさを抱えた人々だが、彼らの問題点を一言でまとめるなら「逃げ癖」と表現してかまわないだろう。それが顕著に表れているのが合宿の最序盤、「チキンスティック田中」と呼ばれるヒョロガリの参加者の言動だ。
『男磨きハウス』にはいくつかのルールがあり、スマホの使用期限もそのひとつだ。だが、チキンスティックは早々にスマホを使用してしまう。寝室には監視カメラ(というか収録用のカメラ)があり、彼のスマホ使用はジョージにあっさりバレる。翌朝、ジョージが促すとチキンスティックはスマホ使用を認める。ただし、数分使ったという嘘をついた。
ジョージはその嘘を一旦信用した振りをし、その日の夜に暴いた。彼がこれまで口先で誤魔化しを続けて切り抜けてきただろうと考え、それが通用しないことを突きつけたのだった。
この出来事の前にも、彼の逃げ癖が現れるシーンが多々あった。きつい筋トレでは足をつったふりをして体を休め、木を切り倒さなければいけないという課題を与えられたときにはごちゃごちゃと言い訳をして斧を手にすることすらなかった。彼はそうやって自分にできないことやできそうにないことと直面することを避けてきたのだろう。彼は参加者の中でとりわけ多弁でそのために鬱陶しがられている節があるが、その口数の多さも逃げ癖を成立させるために鍛えられたものだと思われる。
確かに、人間は人生を生きていく中で自分にできないことや失敗と向き合わなければならない。向き合い方は様々だろうが、正面から受け止めず目を逸らすことを続けては成長しない、人間としての進歩がないことは事実だ。だから、逃げ癖を直す必要があるというジョージの意見は間違っていない。
失敗を恐れる人々
参加者たちの逃げ癖は失敗を恐れる特徴から来ているといえる。失敗を経験しないからこそ対象に対する苦手意識が膨らみ、それが留まるところを知らない。犬嫌いが犬を避け続けるために犬への恐怖心が修正される機会を失い悪化していくようなもので、こうしたプロセスは実際に恐怖症を形成していく過程として挙げられる。
合宿のあるとき、ジョージは参加者に個別の課題を出した。そのなかで、東大卒の参加者アンカメを街へ連れ出した。アンカメは男子高出身ということもあり女性への苦手意識が参加者の中で最も強い。そこでジョージは駅前でとにかく5人の女性に声をかけろと指令を出すが、アンカメがその指令を達成するには相当の時間を要した。
ここで注意すべきなのは、ジョージは女性をナンパしろと言ったわけではないということだ。そのようにアンカメをけしかけこそしたが、指令はあくまで声をかけるところまでで、実際に彼は道を尋ねることで指令の大半をクリアしている。しかし、それをするまでにすら躊躇いと逡巡を長々と繰り返す羽目になった。
流石にナンパをして来いと言われれば誰だって戸惑うし声をかけられないだろう。しかし、今回はそうではなく、ただ道を聞くだけだった。それすら出来ないというのは少々尋常ではない。恐らくだが、アンカメこれまで女性に苦手意識があり、女性を避け続けてきた結果「失敗してもせいぜいぶっきらぼうにあしらわれる程度」だという事実を経験することがなく、女性と接触した際に起きることに対するイメージを修正する機会を得られなかったのではないか。
産むが易しとはよくいったもので、大抵の物事というのは想像よりも大したことがない。だが、人は想像で実態以上のモンスターを生み出してしまい、その怪物に振り回されることになる。それを解消するには、怪物の実態をその眼で見て体感するほかないのだろう。そういう意味では、ジョージが実際にアンカメにやらせたのは間違いではない。
過大なプライド
なぜ人は失敗を嫌うのか。それは多かれ少なかれ持っているプライドを傷つけられるからだ。誰しもプライドを傷つけたいとは思っていない。とはいえ、実際には失敗無しで人生を切り抜けられる人はいない。そう言うことの繰り返しで人はプライドを削ったり摩耗させたりしながら、ほどほどのところで落ち着く。
ところが、あの手この手で失敗から逃げてきた『男磨きハウス』の参加者たちにはプライドの摩耗がない。そのため当人たちの能力や実績をはるかに超えた過大なプライドを抱えており、それが対人関係を阻害している節がある。
この点で象徴的なのが田中シュンスである。彼はロックで武道館を目指すという大きな夢を持っているが、実績は全く伴っていないようで番組からも「イキり」の称号を与えられてしまっている。実はジョージがアンカメを街に連れ出したとき、彼もいっしょに連れ出されて路上ライブをするミッションを与えられた。だが、彼の演奏に耳を傾ける通行人は現れなかった (彼の名誉のために書いておくが、演奏はそれなりにうまいしジョージも褒めていた)。ミュージシャンとして舞台に立てば自身の能力の受け止められ方は残酷なまでにはっきりするはずだ。そんな立場にある彼がこれまでどうやって人生の荒波を乗り切ってきたのかはわからないが、彼の根拠不明のプライドにはすさまじいものがある。
合宿中、トレーニングの一環でボクシングトーナメントが開かれ、最弱となってしまった参加者はレッドカード (3枚集まるとハウスから退場)を与えられてしまうという状況に置かれる。シュンスは一度敗北し、最弱の座をかけてチキンスティックと戦うことになるが、彼はこんなことに意味があるのかとわかりやすく駄々をこね始める。明らかにがりがりで虚弱そうなチキンスティックに敗北すること、参加者の中ではっきりと最弱であると決まってしまうことを恐れたのだろう。ジョージの指摘する通り、敗北という失敗を恐れていた。
また、合宿の中盤では軍神というホストが登場して彼らにモテるための技術を指南する。だが、シュンスはホストに教わりたくないと拒絶して出ていくことになる。別に聞いてるふりをすれば済む話なのだが、それができない。表面上で聞いてるふりでもすれば済んだ話なのだがそれも出来ず、さりとて軍神を拒絶してしかるべき技量があるわけでもないというのが彼のプライドが課題であると言える所以だ。
興味深いのは、彼のプライドの高さは不徹底であるという点だ。ボクシングのときには駄々をこねたが、結局は試合をやってチキンスティックに勝っている。また、軍神とのひと悶着でも結局はジョージに説得されて戻ってきている。結局言われたとおりにするなら最初から言うことを聞いておけばよく、不必要に心証を悪くする必要もないと思うのだが……。
『男磨きハウス』の有害さ
それは男らしさと関係がない
ここまで、『男磨きハウス』の悪くない点を挙げてきた。しかし、こうした細々としたプラスを飲み込むほど本質的な問題を抱えている。
それは、改善すべき参加者たちの問題点をすべて「男らしさ」の文脈に回収してしまっていることだ。
番組名が『男磨きハウス』であり、メンズコーチを自称するYouTuberに主導されていることから明白なように、この番組は参加者たちの男を磨く、つまりより男らしい人間にすることを目的としている。しかし、ここまで挙げてきた「逃げ癖を直す」「失敗を経験する」「過大なプライドを修正する」といった要素の重要性は性別と関係がない。女性だってこれらの問題を抱えている人はいるだろうし、そういう人は対人関係がうまくいっていないだろう。
ところが、メンズコーチの手にかかると、こうした要素は男らしさと接続され、男らしさと不可分となってしまう。これが、『男磨きハウス』の抱える問題の根本であり本質だ。
「気合」以外の解法を失う
ではなぜ、対人能力の問題点を男らしさに接続するのがまずいのだろうか。いくつかあるが、まず指摘しなければならないのは、問題を男らしさの文脈に回収した結果として、問題解決の手段が「気合」以外に無くなってしまうことだ。
ここまで参加者の様々な問題点を番組で観てきて、様々な解決法が試みられた。だが、基本的に番組がやっていることは「きついことをガツンとやる」以外の何物でもない。言い訳ばかりをするチキンスティックへの対処も、女性に声をかけられないアンカメへの対処も、プライドが高く無駄に衝突するシュンスへの対処も全てだ。
このような心理的な問題に直面したときに重要なのは、直面した問題をどう捉え、自分の感情をどう処理するかだ。プライドが高い人間ならば、失敗をしたときに感じる感情をうまく処理しなければならない。あるいは、失敗という事実に対する解釈をうまく処理する必要がある。こういう処理は本来的には技術であって、そこの挙動を支援するのがカウンセラーなどの支援職だったりする。
この記事は『九段新報+α』の連載記事です。メンバーシップに加入すると月300円で連載が全て読めます。
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