皇后 雅子について語る-6-
日本国憲法 第三章 第十一条
「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」
日本で暮らす日本人には「基本的人権」が保障されている。どの人も健康的で文化的な暮らしを送る権利がある。他国の倣いを見れば非常に有難いことだと思う。日本がどうか国力を再び蓄え、嘗ての栄光を取り戻してくれることを祈るばかりだ。
さて、平成時代から私は小和田雅子ほど、この国に守られている人もいないと常々感じていた。衣食住は勿論、社会的地位も保障されている。立場上必要なものではあるが、金糸銀糸で織られた衣服や、宝飾品。バッグや靴などを含む身の回りのもの、全て所望すれば揃えてもらえる。治療が必要な傷病を発症したとなれば、名だたる医師が診てくれる。誰よりも丁寧かつ詳細な検査及び診察を受け、治療方針もその人に無理が生じないよう細心の注意を払われ、手厚いケアを受けることができる。皇太子妃とはそういう存在だ。
しかし、そもそも人間的な意味での「成長」を全く求めていない小和田雅子に、上皇后陛下や紀宮さま、紀子妃殿下というご存在は宝の持ち腐れであった。宮中での暮らしに馴染む気持ちは微塵も持たず、困りごとが出てくれば相談するのは皇太子殿下でも皇后陛下でもない、実母だったというから驚きだ。宮中の何をも知らない人に何を教わるというのだ。だが呆れるのはそれだけではない。皇室に入った娘からの連絡に対し、小和田優美子氏は相応の対応をしていたのだという。雅子の困りごとを解決するのは雅子自身でも、夫である皇太子殿下でも、皇后陛下でもない、実家の母親。ひたすら庶民でしかない、あの女性であったのだ。
「皇室に入ればこちらのもの」
雅子の婚前、小和田優美子氏はそう嘯いていたという。平成5年6月に小和田雅子は皇太子殿下(当時)と結婚しているが、あの頃皇室を私物化せんとするイキモノがこの世に存在するなど、私は微塵も知らずにいた。小和田雅子が皇室に入ったこと、小泉内閣で田中真紀子氏が外務大臣に就任したことで、私たちは「外務省は伏魔殿」と知ることになった。赴任大使が帰国すれば慰労会が開かれ両陛下も招かれるのだそうだ。その席で帰国した外交官のテーブルに両陛下が回られ労われると、三宅久之氏が「たかじんのそこまで言って委員会」で語っている。
三宅氏は小和田家にかなり手厳しい言論人であった。余談だが西尾幹二氏も東宮や小和田家が抱える問題点を鋭く指摘しておられた。令和の現在、お2人のような存在がひとりもいない事実に、何を思えばよいのであろう。皆天皇に阿ってばかりで、現実を見ようとしない。保守派の言論人で名前を挙げるとするなら、例えば水島聡氏。
彼は、秋篠宮家に対し根拠のないバッシングを繰り返す、週刊文春や週刊新潮に対しては批判的であるが、TICADを創設したのは小和田恒氏であるという事実、令和の両陛下は小和田恒氏の意向により極めて危険な人物とも接見し、国連に限らず皇族がお出ましになるような場ではないと、眉を顰めたくなるような催しにも出席されること。先月開催されたJICAの創立60周年記念式典はそのいい例であろう。このような事実を列挙し、小和田恒氏について見解を求めた人がいた。水島氏は普段「私は逃げも隠れもしない。何にでも答える」と豪語しているが、ついにその人の問いかけには答えなかった。
チャンネル桜の「新・探答直入」にて2週に渡り質問を投げかけた人がいたのだが、水島氏は答えなかった。私は「逃げた」と感じた。水島氏が小和田家の、小和田雅子の実像を、知らぬはずがない。水島氏曰く「天皇はいてくださるだけで有難い」のだそうだが、いてくださるだけで有難いと感じさせるようなご存在が、日本を破滅に追いやろうとする老い耄れの言いなりであるのなら、それを糺すべきであろう。平成にこそ「保守派の言論人」は存在したが、令和の現在、完全に潰えてしまった。ひとり、櫻井よしこ氏はスタンスを変えることはないように感じているが、彼女も平成の頃の威勢はなりを潜めている。「天皇を批判してはならない」とは、誰が敷いたルールなのであろう。その隙を突いて皇室破壊せしめんとする姿を、目の端に留めながら「いてくださるだけで有難い」と述べるのなら、それはもう信仰の域だ。天皇という位に有難味を感じる国民がどの程度存在するだろう。上皇陛下が人心を掴んで離さなかったのは、天皇という高位におわしながら、私たち国民と常に共にいてくださったからだ。口では「国民のため」と言いながら、夏のバカンスの合間に慰霊の旅を楽しむような存在の、何を有難がれというのだ。今上陛下、小和田雅子が批判されるのは至極当然のことだ。不敬でもなんでもない。
「皇族にも人権はあるのよ」
私は皇太子殿下と小和田雅子の婚約時代、雅子が皇太子殿下にこのような言葉を囁いたのではないかと疑っている。小和田雅子と交際するまで、今上陛下は色々と問題を抱えていらしたようではあるが、それなりに皇族としてお務め下さっていた。国民と触れ合ってくださっていた。浩宮さまがご結婚においてこんなミステイクを犯すなど、予想だにしなかった。お妃探しこそ人任せにすればよかったのだ。ご両親をご覧になり「自分も」と淡く期待しておられたのかも知れないが、最終的に引いたカードがジョーカーでは全く笑えない。ましてそのジョーカーに篭絡され、小和田家の奴隷に成り下がるなど。あってはならないことが目白押しだったのが平成時代の東宮であり、令和時代の天皇ご一家である。昭和天皇と上皇陛下の侍従長を務められた山本悟氏が「この結婚は失敗だった」と嘆いたそうだが、それまで純粋培養されていた浩宮さまに、ガサツな上にだらしなく、禁忌を犯すことに躊躇がない女性が近付き、それまで「考えてはならない」とお心に蓋をしていらした事象について「もっと自分に正直に生きていいのよ!」などと無責任極まりない発言をしていたとしたら。
仮定の話で申し訳ないが、これに近い出来事はあったように思う。何故なら皇太子殿下はご結婚後すぐに、小和田雅子が風邪(仮病)をひいたとし公務を欠席するのだがそれが長引き、「ご懐妊では」と色めき立ったマスコミに対し「風邪が長引いたのが思わぬ方向にいってしまった」と明言。それについて誕生日会見で改めて問われ、「はっきり申し上げて、あれは否定のニュアンスです」とお答えになっている。平成6年2月のことだ。ご自身より早い秋篠宮殿下のご成婚を後押しされ、ご自身が求めるお妃像について「紀子さんと上手くやれる、そういう人柄の女性が必要であると思います」と述べられた皇太子殿下と、小和田雅子の夫となった皇太子殿下と。まるで別人である。
この国の誰より守られた存在
皇族に「人権保護」は不要である。先にも述べたが私たち国民とは立場が違い、私たちが享受できない待遇をもって守られたご存在であり、お立場であるからだ。私たちが皇族方と同じ環境を求めるだろうか?「雅子さまは働かないのに生活は保障されていてずるい。私も仕事を辞めるから、雅子さまみたいに守ってほしい」と役所に申し出たところで、聞く耳を持つものはいまい。公務員も忙しいのだ。門前払いが関の山であろう。
そういう「戯言」「世迷言」を言わせれば右に出るものがいないのが小和田雅子だ。外務省においても父親の威光に縋るばかりで、自身で築き上げたものなど何一つ持たない人であるが、そんな女性の甘言(?)に唆され、上皇両陛下に大切に育てていただいたご恩も忘れ、小和田家の婿と言われても何ら不思議はない存在に成り下がった今上陛下には、そもそも皇族としての、或いは皇位継承者としての資質など、おありでなかったのではないだろうかと考える。もしそのような性質のお方であれば、長らく妃が見つからない現状であっても小和田雅子だけは避けるだろう。少し会話すれば気が付くはずだ。「この人に伸びしろはない」と。


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