皇后 雅子について語る -4-
皇太子妃としての責務
言うまでもなく「世継ぎを産むこと」である。
小和田雅子に関しては昭和の頃、福田康夫氏が
「未来の皇太子妃」
と口にしていたという話がある。何とも悍ましいことであるがあの界隈では既に、浩宮を取り込む画策がなされていたのであろう。
今上陛下と小和田雅子はスペインのエレナ王女が開催したパーティで出会ったと、公式発表ではなっている。しかし事実は違う。
その5年ほども前、浩宮は既に兄と慕っていた高円宮殿下から、小和田雅子を紹介されている。しかし浩宮は当初、小和田雅子に関心を示さなかった。それはそうであろう。浩宮の好みのタイプは柏原芳恵。色白でボンキュッボンの美人さんである。小和田雅子など足元にも及ばない。小和田と高円宮殿下はこれに焦った。彼らにとって「まさかの事態」が起きたわけだ。何がまさかだと呆れるが、しかし「浩宮を篭絡し娘を皇室に入れ、未来の天皇を意のままに操る」ことを目していた小和田恒氏が、その程度のことで撤退するわけはない。昭和62年、当時浩宮が訪れていたフランス・コルマールへ小和田雅子は向かった。浩宮が滞在する宿に自分も予約を取って。浩宮は女性に慣れていると言い難い。六本木で遊び呆けていた小和田雅子にとって、浩宮を「モノにする」など朝飯前であったろう。
実際肌を重ねたかは分からぬがしかし、浩宮はまんまと小和田雅子にハマった。小和田雅子は浩宮に恋焦がれ、一夜たりとも忘れることなく浩宮を思っていると囁かれたのだった。
昭和天皇の大御心
「小和田の娘はまかりならぬ」
昭和天皇はこのように仰ったそうだ。
それはそうだろう。小和田雅子の母方祖父、江頭豊氏は熊本県水俣市に本社を置く「株式会社チッソ」の元社長。昭和39年から同48年まで務め、メチル水銀を水俣湾に投棄し続けた。甚大な被害が白日の下に晒され、被害者家族は立ち上がった。㈱チッソの株主総会に一口株主となり出席。社長である江頭豊氏の責任を追及したのだ。
株式総会は荒れに荒れた。中には江頭氏が雇った暴力団の餌食となり負傷する人まで出てきた。江頭氏は「株主総会で混乱を招いた責任」を取り辞任。その後会長におさまっている。
どれほどの被害者を出したか知れぬ。公式発表されている人数では凡そ賄いきれまい。日本の四大公害のうちの1つ、その原因企業の最高責任者の孫など、そもそも皇室に入れるわけがなかったのだ。昭和天皇がご懸念なさっていたのもその点だと言われている。数多の被害者を出した企業、その利害関係者の血縁者。「まかりならぬ」とは畏れながら当然のご発言と受け止める。しかし小和田恒氏と高円宮殿下は違った。小和田恒氏はともかく高円宮殿下は、昭和天皇に謀反を起こしたのである。
「浩宮の乱」とは平成時代、皇太子殿下であった今上陛下が放った「人格否定発言」の揶揄である。
「雅子の人格を否定する動きがあったことも事実」
とんだ内容であるが真の発信者は小和田恒氏と言われている。皇太子はスピーカー役に 抜 擢 されただけであると。
小和田雅子が「予想していたほど海外に行けない」という不満が発端であった。皇太子妃の責務といえば海外へ行き交流を深めることと小和田雅子は宣った。違う。皇太子妃の責務は世継ぎを産むことであって、ともすると政治が絡んでしまうかも知れない行動を、日本はそもそも天皇にも皇族にも認めていない。天安門事件直後、世界から信用を失った中国を復権させるため天皇を差し向けた、小和田恒氏には理解しがたい話かも知れぬが。
断っておくが小和田雅子は「元外交官」ではない。「元外務省職員」だ。
彼女は外交官試験に合格はしたものの、外交官デビューは果たせなかった。その能力が皆無であったからだ。外国語に精通していると言われているが小和田雅子の英語は中1レベル、ロシア語もできると小和田は主張するが、小和田雅子がロシアに滞在していたのは3歳頃のこと。小学2年から高校2年まで日本で暮らした小和田雅子が、生活の中で外国文化に馴染むことは殆どなかったと言っていい。
「You feed them?」
「お前が餌やるの?」
小和田雅子はこの時、ジョコ大統領にこのように問いかけた。呆れたように笑う大統領の姿は全世界に発信された。
アロワナをいただいてホクホクしたであろう小和田雅子だが、彼女は結婚当初も同じミステイクを犯している。
平成7年1月。阪神淡路大震災が発生し日本中が動転していた。いつ収束するかもしれない自然災害に被災者は勿論のこと、今は震災被害を受けていない人々も疲弊した。少しでも助けになるならとボランティアに志願する人、募金する人、物資を送る人、様々いた。
そんな中、小和田雅子は夫となった皇太子殿下と共に中東へ新婚旅行と洒落こんだ。「こんな時なのだから控えられては?」と困惑の声を小和田雅子は、皇太子殿下と共に一蹴。
「閣議決定したことだから」
と皇太子殿下はにべもなかった。その隣で殊勝に頷く小和田雅子の姿を忘れることはないだろう。
嬉々として中東に渡った小和田雅子は、あろうことかオマーン国王が所有する馬を褒めてしまい、下げ渡されることとなった。元外交官とマスコミは持て囃すが、外交官ならこの程度の知識は有していよう。徐々に崩壊することとなるマスコミが描いた小和田雅子像だが、そんなものに守られて小和田雅子は幸せだったのだろうか。この頃やたら得意気だったことを思い出す。
インドネシアにおいては「予定された公務は当日の体調により欠席することもある」という、無責任極まりない態度で過ごした。結果彼女は予定されていた公務を欠席し、予定されていない(天皇単独とされていた)公務に出席するという、自由気侭なやっつけ仕事を披露してインドネシアをあとにする。インドネシアは日本の天皇滞在中「日本の中古電車は購入しない」という決定を下し、公表している。何が「海外訪問して交流を深める」だ。小和田雅子は深まっていた交流を破壊する、悪魔のような存在なのだ。
7月、モンゴルを公式訪問したがこちらでもやりたい放題。出るはずの公務は休み、出席予定でなかった公務には出てくる。天皇は不浄に触れないとされているが、小和田雅子は夫と共に羊の骨を使ったゲームに興じた。令和に入り碌なことが起きないが、今の天皇が譲位しない限り日本の混乱は続くのではないか。そのように思う。
鳴り物入りで皇室入りを果たしたが、結局何にもなれなかった小和田雅子の海外珍道中はまた、別途詳しく記事にする。「褒めるところが一つもない女性」とは外務省時代の同僚の発言と記憶しているが、小和田雅子は本当にろくでもない存在であると言わざるを得ない。


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