皇后 雅子について語る -2-
唯一の功績は男児を産まなかったこと
「世継ぎを産まなかったことを理由に、雅子さまは美智子様にいじめられた」
始めて聞く(読む)話は今上陛下とその后を擁護する人々から、幾らでも聞ける。オランダ国王戴冠式で着用したドレスに皺を入れたのも、首まわりをファンデーションで汚したのも美智子様。雅子さまはオランダに到着して汚れたドレスを見ることになり、とても驚いたのだそうだ。これが事実だとするなら雅子さま、どれほど無能なの。
雅子さまが東宮御所に入られたのは、雅子さまが29歳6ヶ月のこと。聊か高齢であることから「早く世継ぎを」と求められていた。しかし当の本人はアトピー治療に強い薬を使用していたことを理由に、「3年は子を産まない」と宣言。東宮職や東宮侍医を驚かせた。
3年待っても5年待っても懐妊の兆候さえ見られず、平成時代の両陛下は大層心配されたようだ。陛下は雅子さまへ
「国民は待っているからね」
と、お優しく声掛け。しかし当の雅子さま、何を思ったか
「私の友達にそんなことを言う人は一人もいません!」
と色をなしてご返答。国民の中には私の友達もいるが、彼女らからそんなお願いをされたことはない!と主張したかったのだろうが、それ以前の話、会話が成立していない。国民はという陛下からのお声がけに「私の友達」を引き合いに出す雅子さまの思考回路は、一般的、或いは常識の範疇を遥か超えたところに存在しているようだ。凡人には理解できないという感想は、雅子さまの実力を認めたものではない。このような人の相手をせねばならなかった、平成時代の両陛下のお心を、不敬ながら一国民として慮ってしまう。
不妊治療にあたるため、美智子様は医師を差配された。しかしこの医師が美智子様の強い信頼を得ていたため雅子さまは、両陛下のスパイだと断定してしまう。医師がスパイ。なくはない話なのかも知れないがあなたは皇太子妃。世継ぎを産むことが最大の務め。平成時代の両陛下がどれほどご心配なさったか、雅子さまには一生理解できないでしょう。
勿論国民も気を揉んだ。先にご結婚なさった秋篠宮家は佳子様以降お子様の誕生はなく、東宮に至ってはその様子さえ窺えない。心配から始まった気遣いもあまりにそれが続く場合、まして雅子さまのようにどうもそのつもりがないように見える場合、「一体どうなってるの?」と訝しく思われるのは仕方がない。雅子さまは令和の現在に至るまで何一つ、公的にも私的にもお立場に見合った責任を果たしていない。
紀子さま第二子ご懐妊と報じられた翌日、雅子さまは泣き腫らした顔で公務先に現れた。
「どうして私には子供ができないのぉ?」と泣かれたのだろう、くらいに考えていた。当時は。しかし事実は異なる。雅子さまは紀子さまにお子ができたことに豪く憤慨していたのだ。「自分を差し置いて」と。それならばさっさと不妊治療に当たればよかっただけのこと。しかし雅子さまはそれをしない。「自分を超えること」を紀子さまに許さない。高円宮妃を突き、紀子さまに重圧をかける。
「子が男児なら大変なことになるわよ!」
秋篠宮家の方が立場は上なのだから、そのようなことは起き得ない。そう言う人もいるが、高円宮殿下は結婚前から秋篠宮ご夫妻を敵対視していた。ご成婚前の特集番組で
「あの2人に公務依頼は来ないでしょう」
と断言している。蓋を開けてみれば依頼殺到であったわけだが、これも高円宮夫妻にとり、面白くない現象だった。殊妃殿下は、紀子妃殿下にかなり強く当たっていたようだ。紀子さまも「皇位簒奪を目論んでいる」と見做されれば、ショックで何も仰ることはできなかったであろうと察する。第二子が男児であったなら、秋篠宮家の次期当主となられたであろう。秋篠宮ご夫妻は以降12年、ご出産を控えられるがその背景には、雅子さまの陰険な思惑と高円宮夫妻の陰湿な嫌がらせがあったのである。
「世継ぎのこともありますが、やはり皇太子妃としては皇室外交に励むべきという思いがあった」と、佳子様ご誕生から暫くして、雅子さまはお誕生日会見でお気持ちを明らかにしている。いやいや、あなたがなすべきは皇室外交とやらではなくお世継ぎをあげることだろうと誰もが思った。先述した「雅子さまに嫌がらせする美智子様」説を解く人々は異口同音に、「皇太子妃に世継ぎを産むことを強要するなんて人権侵害!」と喚く。彼らはナチュラルに「天皇制」なる造語も使用する。非常に分かり易いポジションにいるようだ。当の雅子さまは外圧に負ける形で「高度懐妊治療」とやらを開始するが、第一子は流産している。これは妊娠の兆候が見られたにも拘らず、先に決定していたベルギー訪問をどうしても実現したがり、周りに緘口令を敷き極寒の日本から更なる極寒のベルギーへ旅立った。現地ではヒールを履き石畳の上を長時間歩き、飲酒もしている。結果、帰国後流産。お腹に我が子がいると知りながら、海外旅行を楽しんだのだ。「いいところが一つもな女性」という嘗ての同僚の言葉を思い出さずにいられない。
2001年に愛子さまは誕生する。女の子だ。しかし大変な喜びようの雅子さま。「この人男の子を生まなければならないと分かっているのかな?」そんな疑問が頭を擡げる。そして現に理解していなかった。「次は男児を」と宮内庁長官に声掛けされ、まさかの激怒。愛子さまを3歳を迎えた頃には表に出さなくなり、ご自分も引きこもってしまわれる。当時「ぶっ壊す」でお馴染みの総理大臣は福田康夫氏や小和田恒氏に唆され、女性天皇誕生に躍起になる。「皇室典範改正(改悪)に着手する初めての総理」という甘言?に心動かされたのだそうだ。
本当に危機的状況だった。安倍晋三元首相が女系天皇の説明をし、やっと理解したという体たらくであった元総理は「愛子さまいいじゃないですか、可愛いじゃないですか」と、可愛ければ内親王だって天皇になれるとでも言わんばかりの言い草で、周囲を呆れさせた。余談だが「可愛ければ天皇になれる」のであれば、佳子さまはぶっちぎりの「天皇候補」ですな。そんなことは起き得ないのだけれど。
神風、という言葉はあまり好きではない。特攻隊を連想させるからだ。しかしこの時ばかりは「神風が吹いた」と感じた。紀子さま第三子ご懐妊。愛子さまが皇太子の次の天皇になると決定される、ほんの瀬戸際。この報で福田・小和田ラインが企んでいた日本崩壊への道筋は完全に途絶えた。国会での審議はストップし、2006年9月6日、悠仁さまご誕生により「女性・女系天皇論」は吹き消された。この時点で皇太子-秋篠宮さま-悠仁さまと皇位継承は保たれた。愛子さまに負担を敷くこともなくなった。本当に良かった。
悠仁さまご誕生の前年、皇太子は「愛子は将来どのような立場になるにせよ」と、暗に女性天皇誕生を容認したかのような発言をしている。これを未だ撤回していないことに疑念は残るが、しかし現実に愛子さまが天皇になる可能性は皆無であり、男児がいない今上とその后は秋篠宮さまが即位されれば傍系となる。上皇陛下から秋篠宮さまへと、直系での皇位継承が守られるわけだ。
今年9月に悠仁さまの加冠の儀が予定されている。それを見越してのことか、ネット上では上皇両陛下や秋篠宮家に対する捏造やバッシングが苛烈さを増している。こんなことをして何になるというのだ。愚かな。
小和田雅子さんへ。あなたの唯一の功績は「男児を産まなかったこと」つまり、「小和田の血を皇室に残さなかったこと」これに尽きる。いつまでも「愛子天皇」とやらに夢を見なさんな。現実を直視するがいい。震えて声も出ないだろうがな。


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