天下人を裏切った6人の反逆者と怖すぎる織田信長の一面
尾張国の織田家に生まれた「織田信長」は高いリーダーシップと独自の戦術で戦国大名としての頭角を現し、底辺から天下に迫る偉業の数々を残しています。
その功績やリーダーシップの高さから現代の会社・企業では理想の上司に例えられることもある信長ですが、実際は冷酷な一面や奇抜な性格から何度も部下に裏切られており、理想の上司とはかけ離れた「嫌われ者」だったのです。
今回は、そんな戦国時代の嫌われ者「織田信長」を裏切った6人の反逆者を紹介します。
※本記事の内容は様々な方に魅力を感じていただけるよう、筆者が足を運んだ歴史スポットとともに史実を大筋にした「諸説あり・省略あり」でお届けしています。
織田信成・柴田勝家・林秀貞
織田信長が人生ではじめて裏切りを経験したのは織田家当主を継いだ直後のことです。
当時の織田家臣は「うつけ者(馬鹿者)」とバカにされる信長に織田家当主は務まらないと考えていました。
そこで反信長派の柴田勝家と林秀貞らが「織田信成(織田信長の実弟)」と共謀し、謀反を企てたのです。
信長陣営を凌駕する戦力を用意して挑んだ戦いでしたが、信成陣営は惨敗。
信長の怒りに満ちた恫喝に怯んでしまい思うように戦えなかったのが原因とされています。
浅井長政
1570年6月、織田信長と浅井長政の対立により「姉川の戦い」が勃発。
浅井長政は信長の妹「お市」と結婚し、信長を本当の兄のように慕っていました。
しかし、姉川の戦いでは謀反を起こして信長を襲撃しています。
離反理由は諸説あり、真相は未だ解明されていません。
松永久秀
松永久秀は織田信長を二度も裏切った人物です。
一度目の裏切りは信長が武田信玄と対峙したときのこと。
織田軍が劣勢となった瞬間、松永久秀は武田信玄に寝返ったのです。
しかし、その直後に武田信玄が急死し、武田軍は一気に劣勢に陥りました。
信長を出し抜く算段を失った松永久秀は織田軍のもとへ戻り、信長に許しを乞うたといわれています。
当時の信長は松永久秀に対して「憎き面」と卑下した一方、久秀の所有する名茶器「古天明平蜘蛛」を気に入っていたため、茶器の譲渡を条件に無罪放免を約束しました。
しかし、松永久秀は茶器を持ち逃げし、再び信長を裏切るのです。
その後に信長に追い詰められた松永久秀は茶器と共に自爆して死亡しています。
彼の寝返る速度は戦国時代でも最速の部類に入るかもしれません。
荒木村重
荒木村重は織田信長お気に入りで、織田家のなかでもとくに優遇されている家臣です。
一方で信長のサイコパスな一面を最も身近に感じた人物でもあります。
信長が刀で串刺しにした饅頭を荒木村重に食べさせたというエピソードは有名でしょう。
そんな信長のサイコパスな一面に恐怖を抱いたのか、荒木村重は理由不明の謀反を起こして有岡城に籠城。
織田軍に包囲されて追いつめられると、妻子も家臣も見捨てて行方を眩ませています。
このとき有岡城内に見捨てられた荒木村重の妻子や家臣は一族郎党皆殺しにされており、やはり織田信長はサイコパスだったのかもしれません。
今回は戦国時代の英雄「織田信長」を裏切った人物と共に信長の怖すぎる一面を紹介しました。
岐阜県岐阜市には「黄金の織田信長像」や彼の居城「岐阜城」もあるため、気になった方は足を運んでみてください。
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