親の金で女遊び→バレて家なし無職「まあ、俺最強だしなんとかなるっしょ」で戦国乱世を駆け抜けた超問題児
水野勝成は、織田家・徳川家と親交の深い水野家の長男です。
家柄もよく、戦闘能力も優れた彼は出世コースを突き進むはずでした。
しかし、約15年間も水野家を追い出され、流浪(フリーター又は無職)生活を送ることになります。
今回は、福山城城主にして福山藩初代藩主「水野勝成」の波瀾万丈すぎる流浪生活を紹介しましょう。
※本記事の内容は様々な方に歴史の魅力を感じていただけるよう、史実を大筋にした「諸説あり・省略あり」でお届けしています。
・流浪生活のはじまり
水野勝成は、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康も認める実力者です。
彼の最強エピソードは数え切れませんが、16歳の初陣で15人を斬首した活躍は徳川家康も賞賛するほどのものでした。
しかし、合戦以外は親の金銭を盗んで女遊びに明け暮れ、喧嘩三昧のスーパー問題児。
素行の悪さは身内をも困らせるほどでしたが、腕っぷしが良かったことから彼の暴走は誰にも止められませんでした。
しかし1584年、水野家家臣が「勝成様は金銭を盗んで女遊びをしている」と当主に告発したのです。
これに激怒した水野勝成は告発した家臣を殺害。当主・水野忠重はいくら息子の勝成でも庇護できないとして、事実上の絶縁を言い渡したのでした。
こうして、職と住む家を失った水野勝成の流浪生活がスタートします。
・グレた勝成
家を追い出された水野勝成は最初に再就職先を探しました。
しかし、水野忠重は勝成を雇用したら敵として認知するという意味の「奉公構え」を周囲に告知していたため、彼を雇用する雇い主は簡単にみつかりません。
宛にしていた徳川家康からも雇用を断られ、ぐれた水野勝成は乞食同然の生活で酒・女・暴力に溺れる自堕落な生活へ転落します。
どうしてそういうことをしたのかは詳細は不明ですが、自分の体の垢を丸めたものを薬と偽って赤ちゃんに飲ませたこともあるのだとか。
そんな最低ライフを謳歌していた水野勝成ですが、もともとは戦場の覇者として君臨した実力者です。
彼の能力が欲しい権力者も多く、世代交代で時の権力者となった豊臣秀吉が水野勝成を雇用しました。
しかし、水野勝成は原因・詳細不明の失踪をして、豊臣秀吉に指名手配されてしまいます。
・どうなる勝成
一般人は指名手配書がばら撒かれた時点で人生詰みかもしれません。
しかし、水野勝成は最強戦士ともいわれる実力者。
その能力を欲しがる者は多く、佐々正成・黒田官兵衛・小西行長・加藤清政・立花宗茂といった戦国猛者も彼を勧誘しています。
しかし、どこへ行っても殺人を繰り返しては家出を繰り返す始末でした。
そんな彼を受け入れたのが三村親成です。
三村親成と出会い、心を改めた水野勝成は世話係の女性との間に子供を儲けました。
・仲直り
数年後、腰を据えたい年頃になった水野勝成は徳川家康のもとへ戻り、家臣にして欲しいと志願します。
徳川家康は水野勝成を歓迎しましたが、「奉公構えは解除されていないから雇用は難しい」と説明。続けて「仲介するから、お父様と仲直りしなさい」と話しました。
徳川家康の仲裁もあり、水野勝成は約15年ぶりに父親と再会を果たします。
こうして父親と仲直りをした水野勝成は徳川家康の家臣となり、のちに福山城城主・福山藩初代藩主として成功を収めました。
福山城内には、水野勝成に関する資料も展示されています。
また、周辺にある福山自動車時計博物館には水野勝成の蝋人形も展示されているため、気になった方はあわせて足を運んでみてください。
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