Vol.008|成功の9割はドライヤーで決まる
『MONOLOGUE』は、エッセイのようでいてコラムのようでもある、そんな型に囚われない備忘録を兼ねたフリースタイル文筆を、毎回3本まとめてお届けするマガジンです。毎週月曜午前8時に定期更新。何かと思想強めですので、用法容量を守ってお読みください。
成功の9割はドライヤーで決まる
数年前、サウナによく通っていた時期があった。最低でも週に一回、多いときは週に三回ほど。サウナーガチ勢からすれば、少なすぎるのだろうけれど、自分史としてはあの頃がサウナにもっとも熱が入っていた時期だった。ロウリュ時期とでも言い換えるべきだろうか。サウナだけに。
で、最近思うところあって、サウナ習慣を復活させようと思い立ち、近所のスーパー銭湯に行ってみたのだけど、そこで重大な問題にぶち当たった。あいかわらずサウナ体験そのものはよかった。が、しかし風呂からあがった際に脱衣所でその問題は起こった。
何かというと「ドライヤーの風量が弱い」のである。弱い、あまりにも弱すぎる。弱いというか、ない。やる気が。やる気がまったく感じられない。にもかかわらず、無駄に音はでかい。いや、変なとこでやる気をアピってくんなと。やる気は実際の行動で示せと。「次から気を付けます」じゃなくて、具体的なアクションプランを示せと。
ドライヤーの存在意義、ドライヤーのレーゾンデートルが失われてしまっている。こんな向きでも立てるんですけど?みたいなドヤった形状をしているくせに、肝心の風量がゴミすぎてお話にならない。形状はどうでもいいから、風量をだせ、風量を。
ドライヤーの至上命題とは、言うまでもなく髪の毛を乾かすことである。それもできるかぎり迅速に。そのためには圧倒的な風量が必要なのだ。イオンもスカルプも、何もかもを吹き飛ばす風量が。風量こそが力。風量こそが正義。こいつはその真理をまるでわかっていやがらない。あまりにもひどいので、途中で乾かすのを断念し、家に帰ってから乾かしたほどだ。それぐらい弱すぎる風量に耐えきれなかった。
生きていれば虚無の時間を経験することはよくある。学生時代は校長先生のやたらと長ったらしい話がそうだし、社会人になってからは上司の自慢話なんかが典型的にそう。
どいつもこいつもそういうのはキャバでやれと。キャバ嬢からしてもいい迷惑だろうが、そこは仕事と割り切ってお望み通り気持ち良くしてくれることだろう。でなければ、いったい誰が好き好んで何の対価もなしに、あなたがたの精神マスタベを手伝うというのか。お前のこと誰が好きなん。介護を受けるには相応の費用がかかってしかるべきである。
このように世の中には虚無の時間が溢れかえっている。溢れかえっているが、「弱すぎるドライヤーで髪の毛を乾かしている」時間ほど、虚無の時間はないように思われる。
たかだかドライヤーと侮ることなかれ。われわれは時間を買うことはできない。失われた時間は二度と戻らない。だが、ドライヤーは買える。圧倒的な風量を誇るドライヤーによる時短効果で、間接的に時間を買うことができるのだ。お金よりも時間のほうが、比べものにならないほど価値があり、より価値の高いものに変換するのは投資の鉄則である。
それゆえドライヤーに投資できる人は必ず成功する。世の中を見渡してみるといい。ドライヤーにこだわっている人は、なんかいい感じの丁寧な暮らし(適当)をしているだろう。あれは偶然なんかじゃない。ドライヤーへのこだわりこそが成功を生む。
もしかして、多くの人は誤解してるんじゃないか。彼らは十分な収入を得ているから、ドライヤーに投資してるんじゃない。ドライヤーに投資しているから、彼らには十分な収入があるのだ。よきドライヤーは時短効果をもたらすだけでなく、正しい因果関係をわれわれに教えてくれる。人生に迷ったらドライヤーを買いなさい。成功の9割はドライヤーで決まるのだから。
ちなみに自分はDyson Supersonicを使っている。風量に定評があるとの噂を聞きつけて購入した品だ。買う前は「本当にこんなオシャレ電マみたいな形状で風量いけんのかよ」と心配していたが、その心配は杞憂だった。さすがダイソン。吸引力が落ちないだけかと思っていたら、まさか吐くほうもいけるとは。価格は3万弱と決して安くはないものの、買ってよかったと心底そう思える一品である。
そこまでドライヤーに投資できないよという人は、サロニアのドライヤーを買うといいだろう。風量至上主義者の道を歩む上で、最初に手に取る品としては悪くない。
値段はどうでもいいから、いちばんいいのを頼むというイーノック派のあなたには、レプロナイザー107D Plusを。価格はなんと17万円。ドライヤーで17万円て。それはひょっとしてギャグで言ってるのか。
なんだかそれっぽいけど、よくよく考えると何もわからないでお馴染みの、バイオプログラミング美の方程式をぜひ体験してみてほしい。行きつけの美容院がもう少しランクを落としたレプロナイザーを使っているぐらいで、自分は使ったことないので責任はとれないが。
「知る・始める・続ける」の壁
それがなんであったとしても、いっぱしの成果を得ようと思うならば、知る・始める・続けるの三つの壁を超えなきゃならんのよな~と、あらためてしみじみそう思った。何をいまさらという話ではあるのだけど、腑に落ちる瞬間というのが最近あって。
たとえば投資クラスタにはお馴染みのNISAを用いたインデックス投資。たしかにこれはあらゆる面で隙がない。各種データを見れば見るほどそれを強く実感する。税制面での優遇を受けながら、期待値の高い投資がド素人でも実現できる。それもほとんど時間をかけることなく。投資における最適解といっても過言ではないだろう。
けれども、これだけ国を挙げて投資が推奨されているにもかかわらず、いまだNISAなにそれおいしいの状態にある人は、決して少なくない。ましてやインデックス投資となると、さらにその割合は少なくなる。
投資クラスタにとっては、セオリーどおりで何の面白味もない投資戦略であったとしても、投資に馴染みのない人は当然ながらインデックス投資なんて知らないわけで。われわれは住まう界隈の常識をつい世界の常識と錯覚してしまいがちだが、界隈と界隈のあいだには深い断絶がある。ここにまず第一の壁として「知る」があるわけだ。
仮に知ることができたとしても、始めるかどうかはまた別の話である。NISAもインデックス投資も、なんとくなく聞いたことはあるものの、いざ始めるとなると、まず証券会社の口座開設を申し込む必要があるし、注文方法などの操作面もマスターしなければならない。こうした諸々の手続きが面倒で、ついつい後回しになっている人も多い。ここに第二の壁として「始める」がある。
さらに無事始めることができたとしても、続けることができるかどうかはまだわからない。第三の壁「続ける」である。どれだけインデックス投資が期待値の高い戦略であったとしても、暴落時にすぐにパニック売りしていては、期待値もへったくれもない。長い目で見た時、暴落時こそ絶好の買い時だと思える人こそが、確固たる信仰によって数十年スパンでガチホできる人こそが、インデックス投資の恩恵を受けることができる。
知る・始める・続ける。この三つの壁は時系列であるのと同時に、難易度順にもなっている。といっても、それぞれの難易度は同程度に上昇するわけではなく、指数関数的に上昇していく。知ることよりも始めることのほうがはるかに難しく、始めることよりも続けることのほうが、比べものにならないほど難しい。
多くの人は続けることの価値を見誤っているように思う。続けている人は、同じく続けている人と比較するから、続けることをまるで前提条件かのように考えてしまうが、本当はその続けていること自体が、ものすごくハードルの高いことをやってのけているのだ。
自分は人生において何を続けてきたのか、何を続けたいと思えたのか。「続ける」をキーワードに人生を棚卸してみるのもまた一興だろう。
社不ムーヴはオワコン
「オワコン」なるキーワードがそもそもオワコンであるという、一種の自家撞着には一旦目をつむるとして。
いい加減、飽きないかそれ。ASDだのADHDだのHSPだの、メンヘラだの躁鬱だの適応障害だの。私には任意の特性xがあって、それゆえ社会に馴染めずに困窮に喘いでますみたいな、その社不ムーヴ。己を無能と罵り、社会に恨みつらみを垂れ流す、そのテンプレじみた社不ムーヴよ。
人生のどん底にいる時、真実が受け入れられないのはよくわかる。真実とはえてして厳しく冷たいものだから。
だからこそ、弱っている人ほど「あなたは悪くないですよ、悪いのは〇〇です」の甘い言葉にほいほい釣られてしまう。真実を受け止めて傷つきながら前に進むよりも、たとえそれが虚言であったとしても、今の自分を無条件に肯定してもらい、その場所で停滞することを選んでしまう。
けれども、あなたがたもいい大人なのだから、もうそろそろいい加減に気付かなければならない。いかにそれが幼稚な振る舞いであるかを。社不ムーヴなんてのは、成熟した大人がやるようなものじゃない。それが許されるのはせいぜい十代までだ。
本当はあなたがたも心の奥底では気付いているんだろう。かりそめの安心感を得たところで、このままじゃ何も変わらないことを。何も変わらないどころか、あの真綿で締めつけるような焦燥感は、日に日に増していっていることを。
当たり前といえば当たり前の話である。世界はあなたがたがそうやって立ち止まり、幼稚に泣きわめいているこの瞬間にも、進み続けているのだから。つまり、あなたがたの停滞はそのまま停滞を意味しない。相対的には後退しているのである。
なぜいつまでたっても、このまとわりつくような苦しみから、逃れることができないのか。シンプルにあなたがたの生き方が間違っており、社会が間違っているからだ。どちらかが間違ってるんじゃない。どちらとも間違っている。
ならば、やることはただ一つ。己を鍛え抜いて生き方を正し、社会の歪みを正していくことだ。どちらもやろうとしないから、あなたがたはいつまでたっても、苦しみの連鎖から逃れられないのである。
あなたがたに与えられたそれらの特性は、文脈次第でいくらでも武器になりうる。絶対的な弱みなんてものは、この世に存在しない。戦時下においては、大量殺人者すらも英雄視されることを思い浮かべてみるといい。すべては文脈次第なのだ。あなたがたに与えられたそれらの特性も例外ではない。
与えられたその武器を手に取り、いまだ社会に蔓延る不公正、不平等、不自由と戦わなければならない。それはあなたがたにしかできない。社会に嬉々として適合するような人間には、その社会の歪みを正すことはできないからだ。歪みを歪みとして認識するためには、その構造から一定の距離がとれる人間、すなわち不適合者でなければならないのである。
社会から排斥され、社会を恨み、まるで社会から相手にされないような、そんな囚人のような存在であってはならない。優れたハッカーがシステムの内部に入り込んでハックするかのように、社会というシステムの内部に深く入り込み、なおかつシステムに組み込まれることなく、内部から社会システムを変容させるハッカーでなければならない。
あなたがたには、それができる。その過程で傷つくこともあるだろう。立ち止まってしまいたくなることもあるだろう。自分を卑下する気持ちもよくわかる。だけど、結局はこの道をいくしかない。それが生きるということであり、躍動こそが生命の本質なのだから。
祈るな。祈れば手が塞がる。あなたがたが握っている〝それ〟はなんだ。


