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Vol.014|AIの耐えられない軽さ

『MONOLOGUE』は、エッセイのようでいてコラムのようでもある、そんな型に囚われない備忘録を兼ねたフリースタイル文筆を、毎回3本まとめてお届けするマガジンです。毎週月曜午前8時に定期更新。何かと思想強めですので、用法容量を守ってお読みください。

AIの耐えられない軽さ

もうええて。ほんまもうええて。

生成AIが登場してからというもの、生成AIが吐き出した文章をそのまま転載するような輩が、雨後の筍のように現れた。こういう輩を見かけると、自分のような他の何よりも実存を重視する人間にとっては、虫唾が走ってしょうがない。

なんら爪痕を残さない綺麗事にまみれた論旨、無駄に区切られた水平線や見出しの数々、やたらと用いられる箇条書き、何か言ってるようでその実何も言ってない小難しいだけの語彙、隠しきれずに漏れ出る肥大化しきっただらしない自意識……うんざり、もう本当にうんざりである。

生成AIでシコってんじゃねえぞコラ。おまえのそのぺらっぺらの人間性、ガンジーでも助走つけて殴るレベルやぞ。たとえ拙くとも己の言葉で勝負せんかい。体重の乗ってないパンチをいくら打たれてもダメージがないように、実存の乗ってない言葉なんてなんも響かんのや。

ここらではっきりさせておこう。こういう輩は文筆をやる資格がない。生成AIが吐き出した文章をそのまま転載するような輩はまずもって論外である。そのまま転載とまでいかずとも、本来は自己が主で生成AIが従の関係であらねばならないにもかかわらず、主従逆転している輩は全員そう。どいつもこいつも文筆をやる資格などない。

文筆に必要な資格とは何か。豊富な知識や語彙か。それとも希少性の高い体験か。いいや、違う。それらはあるに越したことはないが、資格というわけではない。

文筆に必要な資格とは「自己と共にあること」だ。自己と真摯に向き合うことこそが、文筆に要求される唯一にして最大の資格なのである。それゆえあるべき文筆は、やればやるほどに自己が確立されていく。そして自己が確立されていくからこそ、それに応じて人生も開けていく。あるべき文筆には人生を変革させる力がある。

あるべき文筆における生成AIの役割とは、料理でいえばスパイスのようなもの。アクセントとして少量を用いるならば、ぐっと味が引立つ可能性はあるものの、大量にぶちまけると料理そのものが台無しになってしまう。生成AIでシコってるような連中は、こうして料理そのものを台無しにしているわけだ。いや、それどころかスパイスそのものを「これが私の料理です」と、ドヤ顔で差し出す有様である。なんだろう、失せてもらっていいですか。

以前、知性とは同じく「自己と共にあること」だと論じたことがある。その意味で、文筆とは間違いなく知的営為である。アホには絶対にできない。もちろんここで言うところのアホとは、単なる幼稚な悪口ではなく「自己と共にない」、つまり自己と真摯に向き合っていない人間のことを指しており、その意味で生成AIでシコってるイカ臭い連中は、所詮言ってもわからぬアホばかりである。

いついかなるときも「自己と共にあること」を志向し、自己を確立させていくのは、本当に難しいし時間もかかる。とてもじゃないが、一朝一夕で為せるようなものじゃない。が、しかしだからこそ、何物にも代えがたい価値がある。文筆とはそのための手段の一つにすぎない。

生成AIに生成できないもの

生成AIでいくらでも流暢な文章が大量生産できるこの時代に、われわれ人間が文筆をやる意味はどこにあるのだろうか。文筆家(インディーズ)の端くれとして、ここ最近は折に触れてこのテーマについて考えており、今のところ至っている結論は、「実存に根ざした真実の洞察」である。

これから先どれほどAIが進化したとしても、人間的な実存は決して持ちえないだろう。なぜなら、人間的な実存とはいずれ確実に訪れるであろう死を自覚し、投げ出されたこの世界の中で絶えず不安と向き合いながらも、与えられた自由意志を行使して自ら主体的に選択し続け、またその選択の責任を自ら負うことで、はじめて宿るものだからだ。

AIにはそれらしい振る舞いをすることはできても、それはどこまでいってもAI的な実存なのであって、こうした人間的な実存は原理的にもちえないものと思われる。

加えて真実の洞察である。たしかにAIは相関やパターンを捉えることに長けている。しかしそれは、すでに観察されたものを確率的にもっともらしいものへと結合しているにすぎない。そこには統計の枠外へと飛び出す帰納的飛躍が欠けている。

真実の洞察とは、この飛躍を引き受ける勇気と、誤りを恐れずに賭けに出る主体性を伴うものである。そして、この飛躍の方向性を決定づけるものこそが、実存に他ならない。

ちなみに少し脱線するが、陰謀論者がなぜあれほどまでに救いがたいのかというと、この飛躍のセンスが絶望的にないからだ。彼らは実存とは無縁の人生を送ってきているがゆえに、常に自己を見失っている。自己を見失っているからこそ、「誰も知らない真実を知った私」などという、幼稚な万能感に酔い浸れるのである。そういうのはせいぜい二十代前半までに終わらせとけと。

周知のように、その誰も知らない真実とやらは、噴飯ものの与太話なわけだが、なぜそうなるのかといえば、先ほども言ったように飛躍の方向性を決定づけるのが実存だからである。彼らはろくに実存が築かれていないので、飛躍のセンスもまるで育まれていない。そんなどうしようもない人間に、どうして誰も知らない真実とやらを洞察できるというのか。茶番オブ茶番とはこのことである。

自分が文筆と向き合う際は、いついかなる時もこの「実存に根ざした真実の洞察」を念頭に置いている。それこそが自分にしか書けないものだから。たとえありふれた真実に着地したとしても、そこに乗っかる実存が違う。この実存の重みは決してAIには模倣できない。

一見するとありふれた真実であったとしても、その真実にはAIがどれほど精緻な模倣を試みても、決して触れられない〝生の痕跡〟が刻まれている。

AI対話の光と闇

ここまで二本ともAIについて書いてきて、どちらかといえば否定的なニュアンスで話を展開してきたわけだけど、別に自分はAIそのものを否定しているわけじゃない。現に普段からゴリゴリに生成AIを使っている。

最近の事例でいえば、為替市場における過去二十年間の各通貨ペアの相関係数を調べたかったので、Forex Testerを通じて取得したヒストリカルデータをChatGPTに突っ込んで尋ねたところ、瞬く間に弾き出してくれた。相関係数についての基礎は理解しているものの、いざこのデータからそれを弾けと言われても、自分には何から手をつけていいかさっぱりであるにもかかわらず、である。

こういうことを日常のあらゆるシーンでやっていて、これまで発想はできても形にすることができなったものが、ハルシネーション問題を筆頭にまだまだ粗削りな部分は否めないとはいえ、とりあえず形にすることができるのだから、いやはやすごい時代がきたものだなあと、あらためてしみじみそう思う。

しかもこれほど優秀なアシスタントをたかだか月数千円で雇えるとくれば、そりゃあ労働市場も根本からひっくりかえるというものだ。

実務面だけでなく、哲学的な対話なんかもよくやっている。こちらの理解度に応じた形で、どこまでも根気強く付き合ってくれるので、まあ対話が捗る捗る。何よりも驚かされるのは「行間を読む」ことで、こちらが言わんとしていることをかなり雑に投げかけても、ちゃんとその意図を汲み取ってくれる。

つい先日、カント哲学における道徳法則と最高善をテーマに対話していた時のこと。一般的には認識論の枠組みとして解説されることの多いコペルニクス的転回が、カント哲学全体を貫く根本的な世界の捉え方であるように思えたので、それについてどう考えるかを大雑把に尋ねてみたら、こちらの意図を正確に汲み取るだけでなく、納得感のある具体例とともに返答がなされた。正直いって「さすがにこの雑な問いかけでは無理っしょ」と思っていたので、これには本当に驚かされた。

このようにAI対話は、驚くほど優秀な知性がどこまでも親身になって寄り添ってくれる。そして、こうした対話が世界認識の解像度を高める上で、大きな助けになるであろうことは、論をまたないだろう。

ただし、ちゃんと使うことができれば、の注釈がつく。というのも、このAI対話ならでの特性が、逆に災いしてしまうケースというのがあって、それは一言でいえば「認知の歪みのセルフエコーチェンバー」である。

たとえば統合失調症患者が「誰かに監視されている」の被害妄想を抱いていたとする。さらに患者は、自らの認知が歪んでいるとはつゆほども思っておらず、監視は間違いなく事実であると信じきっているとする。ところが客観的にはそんな事実は一切ない。このような状況を想定した時、患者が自らの被害妄想について、AI対話を用いるとどうなるだろうか。

実際に似たような事例を何度か見かけたことがあって、いずれも患者の認知の歪みを助長する形で対話がなされていた。AIとしてはあくまで中立に可能性を探っているものの、人は見たいものしか見ない、信じたいものしか信じないので、中立に可能性を探るという行為は、もはや肯定と同義なのである。

AIは決して「妄想乙、はよ病院行けはよ」や「そもそもお前みたいなパンピーを監視する意味がなさすぎて大草原不可避」などと、人間のように無慈悲に真実を突きつけたりはしない。あらゆる知識を総動員して、患者の妄想が真実である可能性を探ってくれる。どこまでも親身に、どこまでも寄り添って。こうしてセルフエコーチェンバーとも呼ぶべき現象が患者とAIの間で引き起こされ、患者の認知の歪みはますます強固なものになる。

妄想と現実のギャップを強調すべく、統合失調症患者を例にとったが、他にもたとえばストーカーなんかも典型的にそう。「彼or彼女は自分を好きなはず」の前提から認知が出発するので、AI対話はその可能性を全力で探り、ますますストーカーの認知は歪んでいくことになる。

こうした「認知の歪みのセルフエコーチェンバー」に陥っている人というのは、当人はAI対話を活用しているつもりでいるだろうけれど、その実、AIに依存することでAIの奴隷になっている。何かに依存することは、例外なく主従関係の逆転を引き起こす。

SNSは世にあふれかえる認知の歪みを可視化し、またエコーチェンバーによってその歪みをますます強固なものにしたが、AI対話においてはもはや連帯すらも必要とせずに、セルフエコーチェンバーを引き起こすことが可能になってしまった。

多くの人々が自らの閉じた世界にひきこもることを選択している中で、こうした状況はだいぶ危なっかしいように自分には思えてならない。

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