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Vol.026|魂のストッパー仮説

『MONOLOGUE』は、エッセイのようでいてコラムのようでもある、そんな型に囚われない備忘録を兼ねたフリースタイル文筆を、毎回3本まとめてお届けするマガジンです。毎週月曜午前8時に定期更新。何かと思想強めですので、用法容量を守ってお読みください。

なぜコメント欄を閉じるのか

「魂のストッパー仮説」というものを提唱したい。

なんだそのいかにも怪しい仮説はと、そう思われるかもしれない。この仮説に関しては、自分もまだそこまで確信に至ってないのだけど、おそらくそうなんじゃないかと思われるので、実験的に書いてみたい。こうした実存に根ざした仮説の提唱は、昨今流行りのAIには決して模倣できないものと思われるので、ここは果敢に攻めていきたい所存。

とはいえ、当たり前のように魂などと言ってる時点で、もうすでに一般向けではないし、魂とは何なのかを明確に定義できない時点で、この議論はたやすく空転しかねない危険性を孕んでいる。わかっている。そんなことは、誰よりも自分自身がよくわかっている。だが、書きたいものは書きたいのだからしょうがない。ここは自分のフィールドである。

自分のフィールドで思い出した。以前『誰に向けて書いているのか』にて、「成熟した魂の持ち主」に向けて書いていると述べたことがある。ここでも意図的に〝魂〟というキーワードを持ち出しているが、より一般的な表現に寄せるならば、それは「自己が確立された知性ある大人」であると述べた。

逆に言えば、世の大半を占めるであろう精神的幼児に向けて書いていないのだから、お互いのために近づくんじゃない、お望みどおりに反応してくれるチャッピーとでも戯れとけよと、そうはっきり告げた次第である。今後とも「AIは福祉」を声高らかに主張していこうと思う。

自分がわざわざ課金までしてコメント欄を閉じているのは、何よりも精神的幼児との接触を避けるためである。俗受けするタイプの書き手でないがゆえに、ろくに手数料収入も見込めないので、せめてショバ代ぐらいはnote社に納めねばと考えているのもがあるが、第一義的には精神的幼児との接触を避けるためである。

ちなみに一見さんに誤解されては困るので、念のため断っておくと、別に俗受けしないことを卑下してるわけじゃない。むしろ、そういう自分を誇りに思っている。が、しかしnote社の顧客として見た際には、せめてショバ代ぐらいは納めねば、膨大な資源を注ぎ込んで創られたインフラへのフリーライダーになってしまうのもまた事実である。

なぜコメント欄を閉じると、精神的幼児との接触が避けられるのか。精神的幼児ほど何かとコメントしたがるし、その内容も書き手をまるで尊重できていない傾向にあるからだ。自己が確立されていない、すなわち自己のフィールドがないからこそ、他者のフィールドをも尊重できないのである。こうした傾向は、世に氾濫するSNS上の反応を見渡してみると、火を見るより明らかであろう。

自己が確立された知性ある大人は、基本的にコメントをしないものと考えてよい。するにしてもその頻度は少なく、必ず相手のフィールドを尊重する。中身のともなわない軽薄な馴れ合い、攻撃的な議論のふっかけ、誰も頼んでいない承認欲求丸出しの隙自語、いずれも精神的幼児の所作である。

自己が確立された知性ある大人は、必ず相手を尊重し対話を試みる。もし、どうしても自分と合わないなと感じたならば、わざわざコメントを通じて相手を変えようとせず、ただただ黙ってそっとそこから離れる。それが洗練された大人の所作というものだ。

見せたのまだわずか

実を言うと、自分の中では「魂とは何であるか」は明確に定義できているのだけど、ここでそれを説明する余裕はない。

以前、本マガジン『MONOLOGUE』では、自分が生涯を通じて打ち立てた思想、大げさにいえば成善主義(nariyoshism)とも呼ぶべき思想を発信していると述べたことがあるが、この成善主義に広く深く共鳴してくれる人でないと、ここから先に足を踏み入れることはできないものと思われるからだ。

背景を含めてしっかり説明しようと思うと、ここから何万字も費やすことになる。が、それだけ労力をかけたところで、徒労に終わるであろうことは目に見えている。

常に自分に正直に、歯に衣着せぬ物言いで書いているつもりではあるものの、その意味では書く内容はだいぶ調整している。控えめに言って本来書きたい内容の十分の一も表現できていない感覚だ。敬愛するラッパーZORNのリリックを借りれば「見せたのまだわずか」というやつである。(cf.『AKLO - カマす or Die feat. ZORN

ここじゃカマすことが礼儀作法なので、例を挙げるとしようか。以前『死を前にしてはすべてが茶番』のテーマで一本書いたことがある。

この考えは今でもまったく変わっていないし、これから先も変わることはないだろう。死と向き合っていない人間の垂れ流す言説など、とてもじゃないが耳を傾けるに値しない。それが人生訓めいたものであれば尚更である。にもかかわらず、SNS上にはそういうぺらっぺらの人生訓で溢れかえっている。うんざり、本当にうんざりである。同じくうんざりしている人たちに向けて自分は書いている。

それはさておき、あえてこの記事では「自分がどう死を乗り越えたか」を書いていない。結論だけを言えば、歴史にその名を刻んだ偉大な思想家・哲学者たちと同じく「魂の不滅性」を確信することによって、死を乗り越えたわけだが、そう確信するに至った経緯も根拠も、すべて自分は理路整然と説明できる。説明できるがあえてしていないのである。これは一例だが「見せたのまだわずか」とはこういうことだ。

いずれ自分の思想に広く深く共鳴してくれる成善主義者(nariyoshist)とも呼ぶべき人たちのために、ちゃんと場を用意しようとは考えているものの、まだまだ先の話である。もしかすると、その時は一生訪れないかもしれないが、まあそれはそれでいいかとも思っている。

魂のストッパー仮説

いずれもどこかのタイミングで書いておきたかったこととはいえ、単なる前置きで二本使ってしまった。前置きだけでこれなのだから、「魂の不滅性」を論じるとなると、いったい何万文字を費やすことやら。途方に暮れるとはこのことである。

まあいい、そろそろ本題に入ろう。冒頭で述べた「魂のストッパー仮説」についてだ。大前提として、人それぞれ魂レベルというものがある。色々とツッコミたくなる気持ちはわかるが、それはそういうものとして一旦受け入れてほしい。

魂のストッパー仮説とは、一言でいえば「魂レベルが高い人は堕ちきらない」というものだ。高められた魂レベルがある種のストッパーの役割を果たすのである。

ここで言うところの「堕ちきる」とは、どういう状態を指すのか。たとえばわかりやすく失恋した時を考えてみよう。

魂レベルが低い人は、ストーカーになったり、最悪の場合は逆恨みでその人を殺めたりする。魂レベルが低い人ほど他責に走る傾向にあるからだ。「真の弱者は救いたい姿をしていない」とは、医療・福祉界隈における格言だが、魂レベルの高低とその人間が救いたい姿をしているかどうかは、かなり強い相関関係があると考えてよい。それゆえ魂レベルが低い人は、堕ちるところまで堕ちきってしまう。

自ら命を絶つという行為もまた、魂レベルの低さを物語っている。決してその人が立たされている苦境や、生存本能を超えるほどの苦悩を軽視するもりはないが、魂のストッパー仮説に照らすならば、やはり魂レベルが低いと言わざるをえない。ストッパーの役割が果たされていないのだから。

一方で魂レベルが高い人は、それこそ魂では究極的には自責であるべきことがわかっている。環境が与える影響は認めるし、一時は他責に走ってしまうこともあるかもしれないが、心の奥底では究極的には自責であるべきことがちゃんとわかっているのだ。だから、魂レベルが高い人は堕ちきらない。堕ちきるまでに自分でなんとかする。救いたい姿をしているから、他者の援助を受けることもできる。

「何のために生きるのか」や「自分とはいったい何なのか」、あるいは「この世界はどうなっているのか」といった、自己の深いところから湧き上がる答えのでないような問いによって生じる不安を、哲学の世界では存在論的不安という。

存在論的不安は、根源的で本質的な不安であるからして、本来はすべての人が抱えている。ところが、この不安は文字どおり「存在」を揺るがすので、多くの人はそれに耐えることができない。直視することができないのである。それゆえ厳重に鍵をかけて心の奥底へとしまいこみ、見て見ぬふりを続けている。

便宜上、魂レベルをざっくりと低・中・高に分けるならば、この見て見ぬふりを続けているのは、魂レベルが低の人たちである。誰もが少なくとも生涯で一度は存在論的不安に目覚めるチャンスが訪れるものだが、そこで目覚めなければもう今世は諦めて、来世に期待するしかない人たちである。

魂レベルが中の人たちは、魂レベルが低の人たちとは違って、存在論的不安に目覚めている。目覚めてはいるが、それに押し潰されてしまっている。魂レベルが高でないと魂のストッパーが働かないため、ここでいかに墜ちきらないかが最大のポイントとなる。決して墜ちきることが宿命づけられているわけではないが、魂のストッパーがないのでどうしても不安定にはなりがちだ。

魂レベルが高の人になると、一時は堕ちてしまうこともあるものの、魂のストッパーが堕ちきることを防ぐ。そして、遅かれ早かれ存在論的不安と真正面から向き合い、自分なりに何かを掴んでそれを乗り越えることに成功する。ここまでいくと本当に強い。真の強さとは存在論的不安を乗り越えてはじめて纏うことができるものだ。

どれだけ社会的評価を得ていようと、存在論的不安と向き合っていない人間は脆い。「死を考えると恐怖で身動きがとれなくなるから、あえて忙しくして考えないようにしている」という経営者を何人か知っているが、残念ながら彼らの魂レベルは低い。何不自由なく暮らせるだけの資産があり、どこに行ってもちやほやされるだけの華やかな実績はあるものの、魂レベルはどうしようもなく低い。存在論的不安から目を背け続けているからだ。

言うまでもないことかもしれないが、社会的地位や収入の多寡は、魂レベルを担保しないのである。

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