一体ここは、いつの時代の日本なのだ? 戦時翼賛体制へと後戻りしないために
能登の被災地にいる間、そして犬の治療のために病院通いしている間も、ここ2週間ほど罵倒や恫喝のメッセージが止まないが、こんな事はこれまでの、どの政権時にも無かった。
大切なものと向き合っている時に届く罵詈雑言はけして愉快なものではないが、個人的な不快感よりも、これからの世情を憂う気持ちが勝ってしまう。
私のことは良いとして、少し意見を述べただけの同業者が誹謗中傷を超えた脅迫まがいのメッセージを受けとる事態が相次いでいる。
しかし公演中止などの実害を受けながらも「(政治的な問題に)口を出すつもりはない」と語った者に対しては「ああ、それでいいんだよ」と侮蔑混じりの賞賛が集まる、なんともグロテスクな状況だ。
一体ここは、いつの時代の日本なのだ?
検閲/自己検閲を経て、内心の相互監視にまで至った日本帝国時代の轍を踏まないようにしなくては。
文化、エンタメに限らず、様々な民間交流が政治的な緊張関係を乗り越えながら国際社会の安定と発展に寄与し続けて来たのは紛れもない事実で、それは時に、政治の領域で解決しきれなかった物事の尻拭いまで担って来た。
最も敬意を払うべきケースとしては例えばパレスチナの地で長年にわたって取り組まれて来た事があるが、日本人であるわれわれにも実感として掴みやすい、もう少しくだけた例を挙げてみる。
仮に、あまり好きではなかった、むしろ嫌悪していたAという国があるとして、今あなたがその国に以前とは異なるポジティブな印象を持っているとしたら、その理由は何か。その国の為政者や統治システムが好きだからという人はゼロでないにしてもおそらく少数だろう。文化、経済、福祉などを介したなんらかの民間交流から発した契機が多いのではないか。日本もまさにそうした理由で愛され、信頼され、内実はともかくとして大戦時のイメージを塗り替えながら国際社会に新たな居場所を確保して来た。
まるで文化・エンタメの連中が「わがままを言っている」かのような奇妙な言説が支配的となっているが、
今回たまたま私の同業者たちが、戦争の前段階的な表現ともいえる「経済制裁」の経験を、日本社会に向けて最初に伝える役割を担ったに過ぎない。
もちろん、「公演中止になりましたが、わたくしは幸せです!総統閣下の方針に全面的に賛同致します!」などと述べている者はおらず、当事者は皆、相応のショックを受けていると思うが、
資源や食糧、製造、観光などの他分野に比べて、われわれ文化、エンタメに従事する者たちの中国に対する経済的な依存度は極めて低い。
愛するリスナーや音楽仲間がいるから、彼ら彼女たちが呼んでくれたから、そこに赴いている。つまり国内ツアーと同じ理由で中国へ行っている者が殆どだろう。
ゆえにサプライチェーンの再構築、などといった間の抜けた助言が役立つことはない。我々はただ友情関係にあるだけで、共依存関係にはないのだから。
しかし今後、日本社会のより広範なセクションが甚大な影響を受けた場合も想定し、覚悟すべきだろう。
経済制裁の応酬、防衛費の増大、武力衝突、考えたくもないが、自国と相手国のリソース、遂行能力すら勘案せず、同盟国とされている国の真意さえ把握せず、事のプロセスと着地点についてなんらのヴィジョンも持たないまま東アジアの緊張を高め、感情的な煽り合いを加速させてゆくことは、官軍民の大部分が時代を支配する空気に呑み込まれていった先の大戦と同様か、それ以上の惨禍をもたらす。
叩きやすいものを相手に誹謗中傷を行なっている人々の生活も、ある段階を超えた時点で、一変することになる。
そのような事態にも繋がりかねない現況で、様々な市民や、他分野の人々が萎縮させられ、電源を落とされた機械のように沈黙を強いられるのだとしたら、不健全を通り越して、不気味だ。個々人の政治的傾向のいかんに関わらず、民主主義国家に暮らす誰にとっても得策ではないことだが、政権与党である自民党の広報がSNSで目を疑うような発信をしている。
「一貫している日本政府の立場が、あたかも変わったかのような主張を国内ですることは、中国を利することにつながります」
「このような認識を示すことは、まさに国益を損なうものです」
https://x.com/jimin_koho/status/1993986972315168950?s=46
他者の「認識」にまで踏み込むポストの中で露骨に願望されているものは、かつての戦時翼賛体制によく似ている。
先日、政権に異議申し立てをするデモに集まった勇敢な若者たちのニュース映像を見たが、そんな彼女たちですら身元が割れてしまう恐怖から取材クルーに対して顔出しを拒み、ボカシ処理を施されていたのが印象的だった。この日本で、市民が顔を隠し始めている。
これまで主にマイノリティの人々が受け続けて来たような過度の重圧(学校や職場に居られなくなるかもしれない、家に居られなくなるかもしれない、殺されるかもしれない、等)が、ごく一般的な層からの意見表明に対しても、のしかかり始めているのだ。
しかし、それにしても、黙れ、殺すぞ、と威圧する人々は、自らの脳内で設定した仮想敵の似姿になって、どうするつもりなのだろう。
同じ敵を憎まない者は敵、非国民、売国奴。そうした空気の醸成が平和に繋がると本気で思っているのだろうか。
暴力の気配を掻き立て、それを顕在化させて行った先には何が待つのか。
むしろ、ぜひとも守り抜くべきものを、これまで以上の危険に晒すことになるだろう。
東アジアの音楽フェスでは、日中台のミュージシャンが集まり、互いに友情と信頼を深め合っている。
中国のアーティストが紡ぎ出す音楽の骨太さと深さは大陸的で、なかなか真似できないもの。台湾のアーティストが持つ精緻さとハイセンスな折衷感覚はもう少し日本や欧州に近いニュアンスも感じるが、やはり真似できないもの。それぞれの現在から生み出された音楽に刺激され、互いに育て合う。アジアに吹き荒ぶ強風のなか、美しい花が揺れている。
どれだけ世情に揺さぶられようとも、こうして人々が年月をかけ積み上げて来たものの根底的な価値は揺らぐことがなく、長い目で見れば軍拡の応酬よりも遥かに強靭な、安全保障のひとつのかたちなのだ。
なんの正当性もない罵詈雑言に対して詫びたり、口を閉ざしたりする必要はない。君自身の実感に基づいた言葉を、愛するものを大切に。
追記:
同業者が圧力を受け続ける状況を看過できず、書き始めたものですが、こうした圧力は黙認していると、どんどん広範囲に広がっていき、常態化してしまうものです。
今回、文化・エンタメが「経済制裁」の経験を最初期に伝えるグループの一員となってしまったが、それを叩いている場合ではない。状況の推移によっては遥かに厳しい局面が待ち受けているからです。平和への道を冷静に模索しましょう。
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noteでの記事は、単なる仕事の範疇を超えた出来事について、非力なりに精一杯書いています。サポートは、問題を深め、新たな創作につなげるため使用させて頂きます。深謝。


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